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江戸無血開城

江戸無血開城

■西郷隆盛と勝海舟が、敵味方の立場を超えて新しい日本のために決断したことに共感できる。幕府派も反幕府派も「西洋に支配されない国をつくる」という大目標は同じだったことを理解する。


1 西郷隆盛

■大政奉還→王政復古→鳥羽・伏見の戦い→官軍は江戸へという流れを説明する。

 ●板書:1986年(明治元年) 王政復古の詔→天皇中心の国にもどす
官軍(5000)対徳川軍(1万5000)の戦いが始まる。

■西郷隆盛の写真を貼り、プリント「西郷隆盛」を配り、読む。



西郷隆盛の決断
隆盛西郷

 みなさんは上野公園にある、ゆかたを着て、ぞうりをはき、犬をつれている銅像を知っていますか? あれが「西郷さん」と親しみをもって呼ばれている幕末の英雄・西郷隆盛です。西郷さんは身長一七八センチ体重108キロの大男でした。
 西郷さんは薩摩藩の身分の低い武士の子として生まれました。
 子供のころの名前を小吉と言います。 小吉は勉強熱心で、毎朝一番に先生のところへ来て教えをうけました。しかも、体もずばぬけて大きく運動神経も抜群でした。小吉の家は貧しく、兄弟も多かったのでいつも弟や妹のめんどうをみるやさしい性格でした。あらしがやってきて大雨が降ったとき、小吉は流れてくる板の上のコオロギを見つけてそれを助けてやりました。あらしの中でコオロギを助けるとはよほど、きもっ玉がすわっている子だったのでしょう。
 西郷さんは、やがて実力を認められて薩摩藩のリーダーになっていきました。そして、他の志士たちと同じように「アジアの中で日本だけは西洋の植民地にしてはならない。西洋と対等につきあえる力と道徳をもったりっぱな国にしなくてはならない」と考るようになりました。
 西郷さんのえらいところは、ただ戦争が強い国にして、西洋と対等になれればいいとは思わなかった点です。強いだけではなく、勇気・愛情・思いやりなどの道徳の面でもりっぱな、誇り高い国にしたいと考えていたのです。
 さて、政権を朝廷に返して一大名にもどった将軍徳川慶喜でしたが、大政奉還の本当のねらいは、新しい朝廷の政府の中で最大の大名である徳川家を中心にすることでした。
 しかし、西郷さんや大久保利通(おおくぼとしみち)は、それでは新しい国づくりはできないと考え、あくまで徳川家を新政府からはずそうとしたのです。
 この方針の違いから、ついに戦いが起きることになったのです。西郷さんはその戦いの新政府側(官軍=朝廷の軍隊)のリーダーのなりました。
こうして、徳川VS反徳川(薩摩藩・長州藩など)との戦いが始まりました。
 もしこの戦争が本格的なものになれば、日本はまっぷたつに分かれて長い国内戦争が続くことになるでしょう。どちらが勝つのかまったくわかりません。
 このころ、西郷さんのもとにある情報が入りました。
 西洋の国・フランスが「幕府の味方をしよう」と話をもちかけているというのです。
その内容は、①600万ドルの軍資金を貸す ②戦艦七せき、弾薬。大量の兵器を送る、などです。
 これはたいへんです。
 西郷は考えました。われわれには、薩英戦争で仲よくなったイギリスがいるが。さて、どうすべきだろうか?

【A】 イギリスの救援を頼む      【B】 頼まない




┌───────────────────────────────────┐
│  西郷さんはどうすべきか?

│  A:イギリスの応援をたのむ。  B:たのまない │
└───────────────────────────────────┘
 *人数分布をとり、意見を言わせる。

 ■答えは、あとで伝えることにする。


2 勝海舟

 ■勝海舟の写真を貼り、プリント「勝海舟」を配り、読む。




勝海舟の決断
katukaisyu.jpg

勝海舟は、徳川幕府の下級武士の家に生まれました。子供時代は暴れん坊で、よくけんかをしていたようです。
 青年時代から剣術の修行と座禅(ざぜん)の修行にはげみ、ものに動じない強い心をもつ剣術の達人になりました。しかし、殺すことを好まず、暗殺者にねらわれるようになっても、自分の剣をぬけないようにしばっていた時代があったそうです。 また、すすんで蘭学(西洋の学問)を学び、学問の面でも幕府にこの人ありと知られるようになります。二五歳の時です。どうしてもオランダ語の辞書が必要になりましたが十両もの大金がはらえる家ではありません。そこで、持っている人をさがして、その人が夜寝ている間だけ貸してもらい、五十七巻もの辞書を全部、しかも二回も写したそうです。一冊分を売って、貧しい家の家計のたしにしたのです。
 勝海舟は、咸臨丸という船で、初めて太平洋を渡った日本人の一人です。
 帰国して、幕府のえらい人に感想を求められたとき、「わが国とちがって、上に立つものはみなりこうでした」と答えた話は有名です。
 昔ならその場で、切腹させられたかも知れませんね。
 また、反幕府の長州や薩摩の志士たちとも自由に交流し、坂本竜馬などたくさんの人物から先生として尊敬された人です。

 さて、その勝海舟がいま江戸城で大討論会に出ています。
 徳川家の未来を決める話し合いです。あっとうてきな多数派は、あくまで薩摩・長州軍と戦うべきだという考えでした。官軍とはいえ、明治天皇はまだ十七才の少年だ。大久保や西郷にだまされているだけだ。
 フランス軍の応援があれば、兵の数も多いのだから、関東で戦えば負けることはない。薩摩や長州をほろぼして「天皇中心の国」をわれわれ元幕府の武士たちで作ろうというわけです。

 ところが、勝海舟は、なんと、こんな意見を主張しました。
┌───────────────────────┐
│ われわれが、まずやるべきなのは、 │
│ フランスの応援をきっぱりとことわることだ! │
└───────────────────────┘
【理由・私の考え】




┌───────────────────────────────────┐
│ 勝海舟は、なぜフランスの応援をきっぱりと断れと言ったのでしょうか? │
│ ノートに書きなさい。 │
└───────────────────────────────────┘
 *書いたものを発表させる。
 
●発表させてから、1「西郷隆盛の決断」の答え(B)を教える。
二人は、列強に救援を頼めば、勝利しても必ず彼らが利権を要求してくることがわかっていた。場合によっては、それをきっかけに植民地化に至るかもしれないと考えた。だから、日本のことは日本人自身で解決しなければならないと考えたのである。

3 江戸無血開城と東京遷都

■勝は、徳川慶喜を江戸城から出し、上野の寛永寺というお寺で謹慎させた。そして、勝は、敵の大将西郷隆盛と面会した。西郷が江戸総攻撃を決めた日の、3日前だった。 

■こうして、
 *徳川慶喜は江戸と江戸城を新政府に渡す。
 *徳川家は今の静岡県の小さな藩にひきこむが、殺したり刑罰を与えたりはしない、
 などが決まり、江戸は火の海になることをまぬかれ、100万江戸市民は平和のうちに新しい時代を迎えた。

●勝海舟の証言を教える。

「西郷は、おれを上座に座らせ、礼儀正しかった。勝者が敗者をむかえるおごり高ぶったところがなく、攻撃を自分の責任で中止すると約束した。西郷でなければ無理だっただろう」

●なぜそういう結果になったか?
 それは勝も、西郷も、

 ①日本が西洋の植民地にされないようにする、
 ②天皇中心の立派な国になる


という戦いの目的が同じだったからである。

 それを誰がやるべきかと考えたとき、最後の将軍徳川慶喜は徳川家の立場よりも日本全体の立場に立って、勝の言うことを聞いたのだった。

板書:1868年4月:江戸城無血開城。
   1869年3月 天皇が江戸城にうつる。
           江戸は東京になり、明治政府ができた。       
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授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫

Author:授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫
戦後70年間日本の教育は根無し草の「世界市民」を育ててきました。そのため小中学校の歴史教育はウソとタブーによって大事な内容が教えられていません。また誤って教えられています。
「授業づくりJAPAN」は、日本の教育のウソとタブーを排し、真実とフェアネスを取り戻していきます。
かつてGHQに禁じられた教育は現在も禁じられたままです。私たちは「日本人を育てる教育」を取り戻します。そのために、命ある限り授業づくりとその普及につとめます。私たちは「誇りある日本人」こそが「真の国際人」になれると信じています。

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