中学2年「ハルノートとわが国の選択」

1 経済封鎖される日本
◆前時の結論を教える。
『日本は松岡洋右の直言を否定し、ほぼまとまっていた「南進論」でいくことを選択しました』

*世界恐慌以来、わが国は列強のブロック経済に苦しめられてきたが、1939年の日米通商航海条約を延長しないという通告で危機感を高めた。各国による日本に対する経済封鎖を、わが国は「ABC包囲網」とよんでいた。

*ABCDの4カ国がどこかを生徒に聞きながら確認していく。
・Aはアメリカ、Cはチャイナ(シナ)はみんなわかる。Bがブリテン(イギリス)は半分くらいわかる。Dは各学級1~2名わかった。ダッチ(オランダ)である。ロイヤル・ダッチ・シェルの貝のマークの話しなどする。
*教科書の図を見る。
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2 日米平和交渉
◆シナ事変の英米の国民党援助や経済封鎖を通じて、わが国と英米との対立が鮮明になってきた。近衛文麿首相は日米戦争を避けようとして日米交渉を開始した。話し合いは難航する。

1941(昭和16)年 4月 日米平和交渉が始まる。

◆わが国は、援蒋ルートを絶ちきるために南部仏印に進駐した。これは1940年9月の北部仏印進駐からの展開で、援蒋ルートを絶ち切りシナ事変を終わらせるためである。
*仏印がフランスの植民地(仏領インドネシア)のことで、いまのベトナムにあたることを確認する。また、フランスのビシー政権と協議して平和裏に軍を進めたことも教える。

1941(昭和16)年 7月 帝国陸軍の南部仏印進駐

◆アメリカはこれを「アメリカの植民地フィリピンへの軍事的な威嚇である」として、わが国の生存を脅かす通告をする。

1941(昭和16)年 7月
①在米日本資産の凍結(アメリカにある日本人の財産をすべて使えないようにすることです)
②日本への石油輸出の全面禁止(多くをアメリカからの輸入に頼っていた石油が入らなくなります。日本の生存がおびやかされました)

◆8月、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトとイギリス首相チャーチルは大西洋上で会談を持ち、大西洋憲章を発表した。これは、アメリカがイギリスやソ連と連携して、ドイツと日本に対抗する姿勢を公然とするものだった。
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1941(昭和16)年 8月  大西洋憲章(領土不拡大・国境不変更・民族自決)

『これまで弱肉強食のルールでやってきたが、これからは禁止だ。軍事力で植民地を取ったり、領土を広げるのはダメだ。そういう第1次世界大戦後に決めたルール変更を確認して、ナチスドイツを批判したものでした。しかし、彼ら自身がこのルールを守りませんでした。有色人種には民族自決権はないままでした。ソ連の領土拡大は認め、日本の北方領土は奪われました。自分たちの都合でルールを変え、自分たちの都合でそのルールも守らない、これが欧米列強のやり方でしたね』 

◆10月、近衛文麿首相は内閣を投げ出しました。シナ事変を意欲的に進め今日の事態を招いた責任者でしたが、アメリカとの戦争が避けられないと見て、責任を放棄したようです。続いて東条英機陸軍大将が総理大臣に任命されました。
近衛文麿2
東条英機

『登場は対米開戦論者でしたが、昭和天皇の御意思が和平にあることを知り、和平交渉の進展に努力しました』

◆しかし、11月、アメリカはハル・ノートとよばれるとんでもない文書を日本につきつけてきた。

*ハル・ノート(日本はインドシナ・中国から無条件で撤退せよ)

◆それは、強固な対米戦争反対論者だった外務大臣東郷茂徳でさえ、次のように証言したものだった。
◆資料「わが国はハル・ノートをどう受け止めたか」

*************************

「わが国はハル・ノートをどう受け止めたか」

(日本がハルノートを受諾した場合)日本が撤兵し、警察官までも即時引き揚げる事になれば、中・南支でも日本がそれまでしたことは全て水泡に帰し、日本の企業は全部遂行できない事になる。また、日本の信義は地に墜ち、地方での排日侮日感情は強くなり、日本人はこの地から退去しなければならなくなる。さらに日本は満州からも引き揚げなければならなくなり、その政治的影響は自ずから朝鮮にも及び、日本は朝鮮からも引き揚げなくてはならない事になる。ハルノートは日本が日露戦争以前の状態になるような要求である。ハルノートは日本に対し全面的屈服か戦争かを迫るものと解釈された。もしハルノートを受諾すれば、日本は東亜における大国の地位を保持できなくなるのみならず、三流国以下に転落してしまうのが、ハルノートを知る者全員の一致した意見であった。

               (東郷茂徳『時代の一面』などより要約)
****************************

4 わが国はどうすべきか?
『当時のリーダーの立場に立って、どうすべきかを次のA/Bから選び、その理由を描いてください』

A 自衛のためにアメリカと戦うべきである。
B ハル・ノートを受け入れ、アメリカとの戦争はさけるべきである。


*2クラスで実施し、結果はA自衛のためにアメリカと戦うべきである(31名)、B(ハルノートを受け入れセンスは避けるべきである(18名)だった。主な意見を以下に示す。

A 開戦論

・ハルノートはあまりにもひどすぎる。日露戦争以前にもどると言うことは、また他国からねらわれやすくなる。アメリカとの貿易も凍結しているので、よけい負けやすくなる。つまり、ハルノートは日本に攻撃させるという挑発的なものである。ここでひいたら立ち直れないと思う。

・いつまでもアメリカのやりたい放題をやらせるのは危険だ。だから、日本がアジアの発展や満州に注いできた力を見せるべき。もし、ハルノートをうけいれ撤退した場合、アメリカは東南アジア、満州は中国かロシアが進出し、アジア全体が日露戦争以前と同じ状況ににもどってしまう。

・自分はAを選びます。理由はアメリカ側がハルノートなど提示してきた時点で、日本をつぶそうとしているのがまるわかりだからです。日本が中国から出て行ったりして、徐々に危機に襲われるより、戦って日本の「大和魂」的なものを見せつけよう!

・私はAを選びます。たしかに平和を守るのであればBを選んだ方がいいと思いますが、これでは明治からの日本の努力が無駄になり、三流国以下の扱いを受けることになります。日本のプライドといままでの努力を考えたら、戦うしかないと私は考えます。

・ぼくはAを選びます。理由はBを選んでも結局は戦うことになると思うからです。Bを選んだ場合、無防備で攻められるので、あとかたもなく負けますが、Aを選べば勝てる可能性があるからです。また、Bを選んだら、日本を強くしようとして日露戦争などを戦った戦死者や兵士の人たちに失礼だと思いました。

・石油もまともにない今、戦うのはとても不利だが、列強の好きにさせるわけには行かない。また、日本は明治から今にかけて成長し、ここまで上りつめた。したがって、日本は意地を見せてアメリカと戦う米である。ここで逃げれば後々後悔することになると思う。

・ハルノートを受け入れたら、日本は他の国にぶじょくされたり、ここまでしてきたことが無意味になったり、それだけでなく、これを受け入れるのなら他のどんなことでも受けいるのでは?と思われて、日本がどんどん不利になっていく気がします。メリットは一つもありません。今のままでは日本が負けてしまう可能性は高いけど、強い日本の軍事力を信じていちかばちか戦うべきと私は思います。

・もしハルノートを受け入れたら、国の誇りと力を失うので、受け入れないで堂々と戦いたい。そうすれば武士としての誇りを失わずにすむと思ったから。いくら強い相手でも屈しないのが日本(武士)だと思う。

・ぼくはAです。そんな勝手なことは許しません。人はなぜいじめられるのか?弱いから?違います。戦う意志を見せないからです。牙を見せればひるむ相手もいます。負けてもいいんです。言いなりになってはいけません。日本バンザイ!

B 避戦論

・Bを選ぶ。なぜなら日本は日中戦争で弱っているから確実に負けると思う。国民の信頼を失うかもしれないが、日本国民は心が良く理解の早い人たちだと思うし、いままでみんなを引っ張ってきた政府に文句を言うはずはないので、決断すれば戦争はさけられると思った。もし戦えば、弱っているの負けてしましたくさんn被害が出ると思う。

・ハルノートを受け入れ、戦争をやめる方が国民的にも死者が出ないですむ。条件的にはよくないと思ったが、せんそうだけはやるべkではない。

・ぼくはBの方がいいと思います。戦争で日本がアメリカに勝つ確率はそんなに高くないと思うし、もし負けた場合、またアメリカにそれ以上のことをつきつけられるだけで、犠牲者が出てしまうので戦争はさけたほうがよいと思います。

・私はBです。立ち向かって戦争をしても、経済など日本より発達してるアメリカに勝てっこないと思うからです。たしかに、イギリスやアメリカはずるいことをやっているし、本気で世界の平和を考えてはいないだろうけど、強いんだからしょうがない。ただ、中国大陸から無条件で出て行けというのはかなりひどすぎるから、少しは変えてもらいたいと思います。

・Bです。アメリカは強いから、負けたとき、植民地になってしまいます。日本への石油の輸出が禁止されて、日本が圧倒的に不利な状況なんだから、ここはがまんすべきときだと思います。「がしんしょうたん」を思い出しましょう。

・今アメリカと戦っても日本は勝つことができないと思う。無理に戦って、すべてを失うよりは、ハルノートを受け入れて、それからまた力をつけていけばいいと思った。

・私はBを選びます。理由は日米交渉を続けても進展がなかったなら、ハルノートを受け入れてここはいったん謝ったほうが、日本のためになると思ったからです。

・戦争をした結果を知っているからかもしれないけど、戦わない方がいい。明治にもどっても、日本ならきっとまたもとにもどれるし、もしかしたら、もっと強置くなれるかもしれない。それに、満州を取られても、日本本土が守れるなら戦争はぜったいにやめたほうがいい。

・国土が小さくなるのはイヤだけれど、国民よりも大事なものなんてない。またがんばればいいんだから!

・ハルノートを受け入れて、一からやり直して行く方が、大きな危険が避けられる。そのほうが、今までの流れを見直しながら、今までよりももっと正しい選択ができるかもしれない。

*すべてではないが、A派とB派それぞれ4名ずつ発言してもらった。
*授業後、どちらでもないという者がいて驚かされた。
その理由(ノート)は次の通りだった。
とくに興味関心の高い生徒がいろいろと情報を集めるようになって、以前の中学生では考えられなかったような学習が起きるようになっている。

C 第三の道

・ぼくは、ハルノートを無視したい。当時のアメリカが平和ぼけしていたなら、アメリカからは日本に宣戦布告ができないので、無視していれば問題はないと思った。

・アメリカはほっといて、インドネシアとシンガポールだけ攻めて石油を確保すればいい。ルーズベルトは戦争はしないという公約で大統領になったから、よっぽどじゃないと自分からはやってこれない。うまくいけば、インドまで攻めてオランダとイギリスの植民地を解放できる。米英不可分論というのが当時もありました。

◆東郷茂徳の文章の続きを教えて、授業を終えた。
「従って、日本は自衛のため戦うの外なしとの意見に一致した」
『日本は、自衛のための戦争を決意し、開戦日を12月8日と決め準備に入りました』



11/19 
明日からちょっとした手術のため病院に入ることになりました。たぶん師走半ばまで更新できませんが、どうか今後ともよろしくお願いします。

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中学2年「第二次世界大戦が始まる」

《前時の説明》
シナ事変が終わらないのは英米が蒋介石を支援しているからだった。
国民は、欧米列強とは一度も戦わず彼らと組んで日本を敵国としているシナを、アジアの裏切り者だと感じた。
そして、長く続くシナとの戦争の真の敵は英米ではないのかと考えるようになった。

1 ノモンハン事件
1939(14)5月、ソ連との満州国国境で軍事衝突。ソ連崩壊で秘密情報が出てきて、戦闘では大日本帝国陸軍のほうがやや勝っていたっこ(死傷者数)とがわかった。ソ連軍は以後日本軍を怖がるようになった。

2 第2次世界大戦のはじまり
1939(14)8月 独ソ不可侵条約
ドイツとソ連はポーランドを分割して併合する約束を結ぶ。そして1ヶ月後にそれを実行に移した。まさに弱肉強食の独裁国家どうしのやることだ。
ヒトラー2

1939(14)9月 ドイツ軍がポーランドに侵攻。ソ連も東から侵攻。独ソでポーランドは蹂ポーランドとの条約をもとに、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告して、第二次世界大戦が始まった。

1940(15) ドイツはフランスを含む全ヨーロッパを占領し、バルカン半島も占領した。ドイツの進撃はとどまるところを知らない勢いに見えた。

日本のリーダーたちはドイツと組もうというグループと、英米と組みたいというグループに分かれた。昭和天皇はドイツよりも英に親近感を持っておられた。

3 松岡洋右の構想
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外務大臣松岡洋右は次のような壮大なプランを持っていた。
〈独ソは不可侵条約を結んでいる。日独伊で同盟を組み、ソ連とも条約を結べれば、日独伊ソの強力なグループができる。いずれアメリカもイギリスを応援するだろうが、英米VS日独伊ソならば、力は均衡しているからこれ以上戦争が広がることはなくなるだろう〉

松岡は構想力だけでなく行動力もあった。
瞬く間にこのプランを完成させてしまったのだ。
1940(15) 9月 日独伊三国同盟
1941(16) 4月 日ソ中立条約

すると、わずか2ヶ月後、あっと驚くとんでもないことが起きた。
ヒトラーがイギリスを攻めるのをあきらめて、ソ連に進撃を始めたのだ。

1941(16) 6月 ドイツ軍が「独ソ不可侵条約」を破ってソ連に攻め込んだ。

松岡のプランはたった2ヶ月で砕け散った。
ヒトラーの頭は常識を超えていた。

4 南進か北進か?
日本では以前から南進論と北進論が対立していた。この時期近衛内閣と陸海軍はほぼ南進論に決まっていたのだが、自分の構想が失敗した松岡洋右は、ここで断固たる北進論をとなえます。

今日はこの対立を考えてみましょう。
次の資料で、両論を示し考えさせる。

*******************************

南進論(近衛文麿)
・援蒋ルートを断ち切り、シナ事変を終わらせることを優先すべきだ。
・東南アジアの資源(オランダ領インドシナ=いまのインドネシアの石油など)を活用しよう。
・東南アジアの植民地解放につながるだろう。
・北進とはソ連との戦争だ。「中立条約(約束)を破りたくない」(昭和天皇)
近衛文麿2

北進論(松岡洋右)
・共産主義こそ日本の真の敵である。
・ドイツと挟み撃ちすればソ連はつぶせる。
・シベリアの資源を活用しよう。
・南進すれば植民地を支配する米英と戦うことになる。これこそ危険だ。
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**********************************

*2学級で授業して、南進論派(24名)、北進論派(29名)になった。
いくつか代表的な意見を示しておく。

南進論
・私は南進が正しいと思います。理由は、北進でソ連を攻めればはさみういちで勝てるかもしれませんが、いつ裏切るかわからない国(ドイツ)と力を合わせるのは危ないと思う。それに日本はいま中国との戦争を終わらせるのが一番重要だと思う。松岡さんはドイツに裏切られて、作戦を変更せざるを得ないので、けっこう無理矢理な考えになっているのではないか?

・私はAの南進です。たしかに共産主義は敵ですが、ドイツも共産主義と同じです。はさみうちでソ連に勝てたとしても、その後日本はドイツとやっていけるでしょうか?中国との戦争を終わらせるのが先です。

・松岡は一回失敗しているので信用できない。

・英米と直接対決になってしまうかもしれないが、そうでもしないとこの戦争は終わらないと思うからです。ほんとうに戦争を終わらせたいなら、男らしくガチンコ勝負するしかないと思います。

・北進してロシアを攻めても勝てる保障はないし、日中戦争もあり、ロシアとの戦いもありでは日本が大変(汗)。またドイツは訳のわからないことを始めるかも(笑)しれないから、手を組まない方が良いと思う。

・援蒋ルートをたち切り、日中戦争を即座に終わらせる。日本に必要な資源を東南アジアで補給した後、アジアの植民地を解放し、アメリカ・イギリスを崩すための戦力にする。Bの場合だと、日本の戦力が減る可能性があるし、わざわざ共産主義を止めるなら、日中戦争を終わらせる方が良い。ドイツとソ連をはさみうちにするのは少し賭けに出過ぎだと思う。

・泥沼化した日中戦争を終わらせるには援蒋ルートを絶つ必要があり、戦争が終われば日中で組んで東アジアが立ち上がることができる。そうすればソ連に対しても対抗できる。東南アジアで独立運動が起き、日本と中国を中心に、白人と対等になれる可能性が出てくる。

・日本は昔からアジアの植民地の解放を望んでいた。そういう意志を持ってがんばってきたのならば、それを貫いていけばいい。ベルサイユ会議の「人種平等」という目標を貫きたい。

北進論
・私はBです。ドイツは信用できないけど、共産主義にふりまわされてきたのも確かだしイギリスとアメリカを敵に回すのは良くないと思うからです。中国への援助を断ち切る方法は戦争だけじゃないと思います。植民地解放は日本の最重要な課題ではないと考えるからです。

・私はB派です。Aは理想主義かなと思います。植民地解放をめざして敵を増やしてもどうかと思います。植民地の人も日本と同じように努力して独立すべきです。

・私はBを選びます。なぜかというと、Aはアメリカイギリスと本気で戦わなければならないからです。そうすると日本という国が弱くなり、日本が恐れている共産主義になる可能性があります。今までのスタイルである「協調外交」でいくならBだと思いました。

・ソ連とドイツを倒せば、この世から共産主義とファシズムを消すことができる。独裁政治がなくなれば、虐殺などもなくなり、平和になると思う。イギリス・アメリカと組んでソ連・ドイツを倒したい。

・僕は北進がいいと思います。理由は二つあります。一つ目は、ソ連はあとあとじゃまになるから早めにぶっ倒した方がいいからです。二つ目は、ロシアを倒せば世界の共産主義国家が滅びると思ったからです。

・自分はBです。たしかに植民地を解放することも大事ではあるけれども、今の本当の敵はソ連とドイツ。同盟や条約を結んでいても、いずれは裏切り、裏切られの繰り返しで戦争になり、つぶし合いになると思うので、つぶすなら今のうちということでBです。

・私はBにしたほうがいいと思います。なぜなら日本の最大の敵は共産主義だと思うから。共産主義を終わらせなければ何もはじまらないと思うからです。また、シベリア資源を使うなどして、ソ連をドイツとはさみうちでよいと思います。援蒋ルートを切ってもまた何か仕掛けてくるような気がしてなりません。だから、確実に共産主義を消してしまえばよいのです。
あと、近衛より松岡のほうが行動力があると思います。

・松岡のカンペキなプランを裏切ったのはドイツだから、まずソ連をはさみうちにして共産主義を倒し、次にイギリスと組んでドイツをはさみうちにしてナチスを倒したい。

*数人ずつに発表させて授業を終えた。
授業案の予定の半分しかできませんでした。


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授業「日米安保条約」 3

4 吉田茂の選択・・・日米安全保障条約

■吉田はダレスとの交渉で、あくまで再軍備を拒み続けた。経済復興優先と言われるが、GHQ占領政策への意趣返しという思いもあったかもしれない。

[1953年の防衛費]
┌────────┬─────────┬──────────┬────────┐
│   国 │ 1人あたりのGNP │ 1人あたりの防衛費 │防衛費のGNP比│
├────────┼─────────┼──────────┼────────┤
│ ギリシャ │ 298ドル │ 25ドル │ 8.5% │
├────────┼─────────┼──────────┼────────┤
│ ポルトガル │ 166ドル │ 8ドル │ 5.0% │
├────────┼─────────┼──────────┼────────┤
│ トルコ │ 204ドル │ 13ドル │ 6.5% │
├────────┼─────────┼──────────┼────────┤
│ ユーゴスラヴィア│ 199ドル │ 36ドル │ 18.2% │
├────────┼─────────┼──────────┼────────┤
│ 日本 │ 200ドル │ 3ドル │ 1.6% │
└────────┴─────────┴──────────┴────────┘
                         坂本一哉『日米同盟の絆』より

■ダレスは次のように言って粘った。
「再軍備への障害というのは、克服すべき課題ですか、それともやらない言い訳ですか?」
「もしやる気があるのなら、やってみて、国民を説得してはどうでしょう?」
「国民の意識を変えるために、啓発活動はしないのですか?」
「あなた自身の考えが熟していないのを、国民のせいにしているのではありませんか?」

■吉田は、防衛努力ゼロのまま日米安保条約をまとめるのは難しいとみて、講和条約締結後に5万人の保安隊を設立を約束した。しかし、ダレスにはこう言っている。
「憲法改正は無理だから、国民が軍備を持ちたいと考えるまでは治安警察力としたい」
しかし、外務省が米国に提出した文書には次のように書いてあった。
①保安隊は再建される民主的軍隊の第一歩である。
②自衛企画本部を設ける。これは将来の参謀本部である。
外国には「軍隊」とし、国内には「警察力」とする二重説明がここに始まっている。

■こうして、1951年4月8日、サンフランシスコ講和条約が結ばれた。
この条約により、日本は主権を回復した。条約では日本の領土が決められた。朝鮮の独立、台湾・千島・南樺太の放棄を日本は承認した。沖縄、奄美、小笠原諸島についてはアメリカが統治を続けることになった。
国内ではソ連ぬきの条約を批判する動き(共産党・社会党・知識人など)があったが,世論は吉田の決断を評価し主権回復を祝った。
同日、サンフランシスコ郊外の米軍基地で日米安保条約が結ばれた。

────────────────────────────────────────
日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約
                 (1951年4月8日署名、1952年4月28日公布)
前文
日本に独自の防衛力が充分に構築されていないことを認識し、また国連憲章が各国に自衛権を認めていることを認識し、その上で無責任な軍国主義への防衛のために、日本はアメリカ軍が日本国内に駐留することを希望している。また、アメリカ合衆国は日本が独自の防衛力を向上させることを期待している。平和条約の効力発行と同時にこの条約も効力を発効する。

第一条(アメリカ軍駐留権)
日本は国内へのアメリカ軍駐留の権利を与える。駐留アメリカ軍は、極東アジアの安全に寄与するほか、直接の武力侵攻や外国からの教唆などによる日本国内の内乱などに対しても援助を与えることができる。

第二条(第三国軍隊への協力の禁止)
アメリカ合衆国の同意を得ない、第三国軍隊の駐留・配備・基地提供・通過などの禁止。

第三条(細目決定)
細目決定は両国間の行政協定による。(刑事裁判権・共同防衛のための協議・分担金など)

第四条(条約の失効)
国際連合の措置または代替されうる別の安全保障措置の効力を生じたと両国政府が認識した場合に失効する。

第五条(批准) 批准後に効力が発効する。
────────────────────────────────────────
■こうして安保条約は明白な不平等条約となった。基地を貸すから安全保障をたのむという関係があからさまになった。
日本は非武装なのだから、対等な集団的自衛関係にはなれないのが道理ではある。
また、アメリカの日本防衛義務が明確でないという意味でも不完全な条約だった。

■しかし、一方で日本は防衛力を向上させる約束をして、やがて努力が実れば対等条約になり、米軍基地も縮小または撤退への道も開かれている。名実ともに再軍備して防衛力を向上させることが日本政府の明白な課題になった。

■また、アメリカからも憲法改正と再軍備の要求が繰り返された。その結果、軍備増強が対米従属と批判され、防衛力抑
制が対米自主と評価されるというねじれが生じた。

5 授業のまとめ

■1954年、第5次吉田政権で自衛隊法が成立し、実質的な国防組織である自衛隊が発足した。吉田茂の8年にわたる長期政権の最後の年だった。が、自衛隊はまだ軍隊としての完璧な法律的な条件を与えられていない。
┌──────────────────────────────────────┐
│  「自衛権」とは、何を守ることでしょうか? 
│  (  )にあてはまる語句を書きましょう
│ 
  自衛隊法(自衛隊の任務)
│  第三条  自衛隊は、我が国の平和と(     )を守り、国の安全を保つため、
│ 直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、
│ 公共の秩序の維持に当たるものとする。
└──────────────────────────────────────┘
■正解は「独立」である。
「不平等条約」といえば、幕末の日米友好通商条約を思い出す。
幕末の武士たちは、わが国の植民地化を避けるために、幕府を倒し近代国家建設を進めた。
明治国家の大目標は、不平等条約を結ばされていた「半独立国家」、列強と対等につきあえる国家「独立国」するために懸命な努力をした。
汗を流し、血を流した。そして、殖産興業につとめ、立憲っせいじを確立し、日清戦争・日露戦争に勝利した後、ようやくその目標を達成した。
領事裁判権を廃止し、治外法権を回復して、日本は西洋と対等な一等国になったのであった。
つまりわが先人たちは、わが日本国の「独立」を守るために、歯を食いしばって努力し、団結して戦ったのである。

■幕末の志士たちが、日米安全保障条約を見れば、おそらく「不平等条約」だとというであろう。
講和条約後も日本は「半独立国家」だと。
もし、講和後もわが国の国家主権が完全に回復されていないのだとしたら・・・。

■吉田茂の後、内閣は鳩山一郎・岸信介・池田勇人・佐藤栄作へと自由民主党でリレーされていく。
再軍備はどうなったのか。憲法改正はどうなったのか。米軍駐留はどうなったのか。日米安全保障条約はどうなったのか?
それが次の問題になる。(授業終了)


[補説]その後のわが国の安全保障政策

■日米安全保障条約はある意味で、幕末の不平等条約よりもみじめな条約だった。講和条約で得た「独立」は形式的なものにすぎなかった。
わが国が実質においても独立して世界の一等国に戻るための課題は次の通りである。
1 国連の集団安全保障体制への加入
2 国際法・国内法ともに軍隊と呼べる実力を持つ。
3 日米安保条約を対等な軍事条約にする。
4 GHQ憲法を変える。
5 米運の駐留をNATOなみの限定的なものにする。

■自主防衛への努力(鳩山内閣~岸内閣~池田内閣まで)
・内閣法制局長官:林修三(1954~1964)

[鳩山政権]
自衛隊合憲論・・・憲法9条が放棄した「戦争」とは不戦条約・国連憲章の禁止する「戦争」である。自衛隊は、自衛のための実力であり、憲法はこれを禁止するものではない。
郷土防衛隊構想・・・民間防衛組織(消防団や青年団をベースにした民兵組織)

[岸政権]
 集団的自衛権は制限付き合憲・・・日本独力では自衛できない。集団自衛は日本を守るために必要である。
PKF派遣は合憲・・・・国連の制裁活動への参加は、憲法が認めている自衛行動にも、禁じている「国際紛争解決のための武力行使・威嚇」にも属さない第三のカテゴリーであり認められる。(林1961)
安保条約改定・・・事前協議、防衛の義務明記。基地を貸して米軍を抑止力にするという条約の本質は変わらなかった。→米軍駐留の永続化

[池田政権]
 反共路線の明確化・・・私は中立主義は取らない。共産主義と戦うのが我が党の方針である。日本の平和と安全を脅かす国際共産主義勢力の活動には対処する準備を進めなければならない。(池田1964)
自衛隊の地位向上・・・「自衛隊礼式に関する訓令」など


■一国平和主義の定着(佐藤栄作内閣~現在)
・佐藤政権の内閣法制局長官:高辻正巳(1964~1972)
  ①憲法の制約の下に国防を放棄した。
  ②国連への軍事協力を完全に否定した
  ③自衛隊が「軍隊」ではなくなった。
  ④林修三の憲法解釈をすべて否定した。



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授業「日米安保条約」 2

3 講和条約を結んで「戦争」を終わりにしよう!

■アメリカは日本に賠償金なしという寛大な講和条件を示した。ただし沖縄諸島は占領を続けることになった。吉田内閣はこれを受け入れた。

■問題になったのは、日本の安全保障だった。
共産主義の侵略がいま目の前で起きている(朝鮮戦争)のに、日本には軍隊がなく、憲法では戦争放棄をうたっている。

■憲法について、吉田茂は自衛権はないと言い続け、1950年1月施政方針演説で、初めて自衛権はあると述べた。しかし、自衛権を行使する軍がない。
マッカーサーは日本弱体化憲法9条を「人類の理想」だと宣伝し、日本人の中にもこうした理想主義(?)に共感する人が増えていった(言論の自由がないので)。

┌──────────────────────────────────────┐
│  皆さんが吉田内閣の閣僚の一員だったら、A~Dのどの方針を支持しますか?
│  資料を読んで考えましょう。
└──────────────────────────────────────┘

A:再軍備せず、アメリカ軍には撤退してもらう。

●日本は侵略戦争をやって負けました。日本が戦争を始めなさえしければ、アジアは平和だったのですから、日本が軍隊を持たなければ、アジアの平和が保たれるのです。だから日本に軍隊はいりません。(アメリカ占領軍民政局:ケーディス)

●日本に軍隊がないならばソ連が日本をいただこう。そうすれば日露戦争以来の夢がかなう。日本の生産力と労働力を使えばソ連はますます発展するだろう。(ソ連第一書記:スターリン)

●全面講和によって非武装中立を守り、アメリカ軍にも出て行ってもらう。そうすれば戦争に巻き込まれることはなく、憲法9条の理想が実現できます。本音を言えば、地上の楽園共産主義の実現もたやすくなります。(日教組の先生)

B:再軍備せず、アメリカ軍にこのまま駐留してもらう。

●せっかくすばらしい憲法を作ったのだから、軍隊を作るのはやめよう。理由は5つ。①日本の軍国主義化を恐れる国がある。②占領軍の威信が失墜する。③五等国に落ちた日本の軍備などあてにできない。④日本経済は軍備の負担に耐えられない。⑤日本人は平和主義を愛している。ただし、アメリカが日本の平和と安全を守ってあげます。日本は太平洋のスイスになればいい。(占領軍総司令官:マッカーサー)

●日本の経済力はどん底で軍備に予算をつける余裕はない。朝鮮戦争でアメリカ軍がいないので治安維持の警察力は強化しなければならないが、共産主義国の侵略にはアメリカ軍に守ってもらおう。まずは経済の復興がだいじだ。また、いま再軍備すれば国内の共産主義勢力が社会不安を引き起こす。これはアメリカにとってもマイナスだろう。(首相:吉田茂)

強調文C:再軍備し、アメリカ軍にこのまま駐留してもらう。

●アメリカの駐留軍4万人だけではソ連の侵略に対抗できません。3~5個師団(15~20万人)の日本軍再建計画を立てたので、ただちに着手してほしい。
                   (占領軍司令官:アイケルバーガー中将)

占領軍の責任で憲法を改正し再軍備しなえければならない。これまでのような日本弱体化政策は日本の共産主義化を進めるだけだ。アメリカの目的は、合衆国の強力で安定した同盟国日本をつくることでなければならない。アメリカ軍も貢献するがNATO(ヨーロッパの同盟関係)と同様に日本も自由主義陣営のために貢献しなければならないのだ。    (ジョージ・ケナン:アメリカ冷戦政策立案者)

●吉田茂は旧日本軍を嫌ってるが、軍事力のない国家が独立できるわけがない。アメリカ軍に保護されれば、最後はアメリカに隷属することになるのだ。国防は軍事のプロに任せればいい。われわれはGⅡのウイロビーと組んで、すでに陸軍再建計画(ダレスが吉田に示したもの)を作成してある。ぜひこれを生かしてほしい。
                        (元陸軍大臣秘書:服部卓四郎)

D:再軍備し、アメリカ軍には撤退してもらう。

●日本は再軍備しなければならない。憲法9条は私の修正(芦田修正)があるからだ  いじょうぶだ。再軍備は、あくまで自衛のための戦力であって「国際紛争解決のため  の」軍ではないからだ。さて、その上で、本土に駐留する占領軍には撤退してもらう  のが望ましい。そうでないと国民は占領が終わっていないと言うだろう。マッカーサ  ーも言っていたが、沖縄のアメリカ軍とくに空軍があれば、再建した日本軍と共同し  て日本の防衛は十分可能である。
  (元首相:芦田均)

┌──────────────────────────────────────┐
│【私の考えと理由】



└──────────────────────────────────────┘

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授業「日米安保条約」 1

模擬授業「日米安全保障条約」
(1)教材としての吉田茂 
吉田茂は、これまでも現在もさまざまなイメージが与えられている。ざっくり分類すると次の4つになるだろう。
A 片面講和を結び民主・平和に対する逆コースを進めた宰相
 B 講和条約を結び、自由主義陣営の一員として日本を独立させた宰相
C 講和条約を結び、再軍備に反対し、経済再建の道を開いた宰相
 D 講和条約を結び、再軍備に反対し、米軍の駐留を継続させた宰相

 Aは日教組を中心に左翼教師がいまも進めている授業である。
 Bは本研究会の安達弘先生の名授業がある。(『近現代史の授業改革』5号:1996年)
(注)当時は教科書や教育界でAのイメージが強く、吉田茂の功績を教えることが   歴史教育改革の課題だった。
CはAの正反対で、これがいわゆる「吉田ドクトリン」という評価である。
 DはCとセットであり、Cの裏面である。
  Dには講和条約後現在までの日本は本当に独立国なのか?という疑念が含まれてい   る。今回の授業が取り上げる吉田像の一面である。

(2)授業のねらい
  講和条約を結んで独立したいが、憲法と追放と武装解除によって日本には自己防衛能力はなかったため、日米安保条約が結ばれたことを理解させる。主発問は、吉田の選択肢の中からどれを選ぶかを考えさせ、討論させる。生徒たちには、この授業を通して国家の安全保障について、また国家の独立について関心を深めるきっかけとしてほしい。

(3)授業の流れ
1 「占領下の日本」の復習から
┌──────────────────────────────────────┐
│ アメリカ軍の占領で日本および日本人が失ったもの、奪われたものを箇条書きに
│ しなさい。
└──────────────────────────────────────┘
*独立、大日本帝国憲法、大和魂、日本人としての誇り、教育勅語、軍隊など
┌──────────────────────────────────────┐
│  占領期の日本の、最大の課題(目標)は何だったでしょうか?
└──────────────────────────────────────┘
*占領を終わらせる。独立国になる。講和条約を結ぶ。

2 講和条約への動き
①19473月、マッカーサーは憲法施行を前に、1年以内の対日講和を進めると発表した。東京裁判も終わり日本弱体化(民主化)も完成するとみたからだ。
・バーンズ講和案:航空機の禁止、興業・商船の制限、常駐して25年間日本を監視する。
・日本外務省:非武装である以上、日本の防衛はアメリカにゆだねて独立するほかない。

②1948年 米ソ冷戦の激化(ベルリン封鎖、朝鮮の分割、中共軍の攻勢)
ジョージ・ケナン、トルーマン大統領による対日政策の転換(日本を共産主義に対するアジアの防壁とする。再軍備要求。弱体化から強化へ)。
マッカーサーは反これに対し続けた。
その結果(再軍備がない以上)、対日講和の無期限延期が決まる。

③1950年 第3次吉田内閣が講和に向けて動き始める。冷戦のために寛大な講和の可能性が高まったからだ。日本側から「英軍駐留の継続」を申し出て本決まりになった。
国務省顧問のダレスが対日講和担当になり来日し、講和交渉が始まった。

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プロフィール

授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫

Author:授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫
戦後70年間日本の教育は根無し草の「世界市民」を育ててきました。そのため小中学校の歴史教育はウソとタブーによって大事な内容が教えられていません。また誤って教えられています。
「授業づくりJAPAN」は、日本の教育のウソとタブーを排し、真実とフェアネスを取り戻していきます。
かつてGHQに禁じられた教育は現在も禁じられたままです。私たちは「日本人を育てる教育」を取り戻します。そのために、命ある限り授業づくりとその普及につとめます。私たちは「誇りある日本人」こそが「真の国際人」になれると信じています。

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