10/31(バベル)


だるくて何もする気がなかったので、TSUTAYAで「バベル」を借りた。

何も知らず、ああケイト・ブランシェットが出てるなあと選んだんだが、びっくり。
久しぶりに身体ごともっていかれた。
原案・脚本・監督アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ。
知らない人だったが、これでカンヌで監督賞を取った。
カメラと音楽も凄い。

世界が絶望していることがわかる。
その絶望がどんな種類のものかもわかる(気がする)。
そして、かすかだが希望があることも。

グローバル資本が世界を侵していることは確かだが、それがわが愛する資本主義の現段階であることは疑いない。
そして、資本は国家主権(日本であれアメリカであれ同じように)を侵そうとし、侵してきたことも疑いない。
それが、アメリカが日本を侵しているように見えるのは、まあ事実として属国だからだろう(と思う)。

聖書のバベルの塔は言葉が通じないので世界は滅びるという話だったろうか。
とにかくもの凄い才能を持った監督です。

こんなコメント(この映画についてではないらしいが)を見つけた。
「人は失ったもので形成される。人生は失うことの連続だ。失うことでなりたかった自分になるのではなく、本当の自分になれるのだ。」
むむ。
http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tydt/id325136/
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10/30

安倍内閣は「新自由主義」だからダメだという話になっているようです。

中野剛志さん、三橋貴明さん、また安倍内閣のブレーンであられる藤井聡さんもそのようです。チャンネル桜もかな?

Will12月号で、中野氏はついに「かくも強力な新自由主義レジーム(これこそ『戦後レジーム』である!」と書くまでになっています。
何のこっちゃ??

一方、倉山さんや上念さんなどは「新自由主義」と決めつけて切り捨ててしまうのは間違いだという意見らしい。

私にはわからないが、「戦後レジーム」が「新自由主義レジーム」だなどという戯言はないでしょう!

たしかにあれころがっかりすることも多いのですが、私としては、今のところ安倍内閣に希望を託すしかないと思っています。
どんな材料を集めてきても、現状ではほかに選択肢がない。
それが経済学はわからないが国は愛していますという国民の思いではないでしょうか?

いずれにせよ、何らかの結果が出たときには、「間違って国民を惑わした知識人」は筆を折っていただきたいものです。

10/29

「神道は宗教に非ず」という解釈は、「信教自由」「政教分離」という近代国家観にもとづいています。

「当時の政府の新知識として代表的な伊藤博文は、明治3年から米国憲法を研究していた。
特にその信教自由・政教分離の法理は、骨髄に徹していた。
後年になって、かれはドイツ法学者に学ぶところが大きかったのは事実だが、グナイストやシュタインから国教論(イギリスにならって神道を国教とせよ)を勧められても、信教問題だけは、頑として米国法理を固守して変わらなかった。
この信教自由・政教分離論は、明治7年ころからようやく政府の主流になってきた」(葦津前掲書)

明治10年西南戦争に至る士族の反乱、またその後の自由民権運動には、この政府の主流になっていった神道政策が大きく絡んでいたようです。

私たちが大日本帝国憲法を正しく継承するためには、この問題は避けて通れないと思います。
まず正しく理解することですが。

10/29(国家神道について)

憲法について勉強しようと思っていますがなかなかはかどりません。
葦津珍彦『国家神道とは何だったのか』(神社新報社、昭和62)を読んでいます。
ほぼ全ページ知らないことばかりでおどろいています。
というか、ぶん殴られるような読書の秋です(笑)。

ちょっとだけ紹介します。

明治5年、島地黙雷という真宗の僧侶が新政府に以下のような建白をしました。

「神道について臣はことごとく知るわけではないが、それが宗教でないことだけは確かである。
神道とは朝廷の治教である。
古くから天皇は神道の治教を保たれた。
宗教として儒仏を用いたまうことがあっても、制度としては漢洋の風を模せられても、歴代天皇は天祖継承の道を奉じて国民に君臨したもうた。
これが惟神(かんながら)の道であり、朝廷の百般の制度、法令、みなことごとく神道である。
この皇室の神道こそが惟神の道である。
ただ近世にいたって、私に神道者と称するものが宗教まがいの説を立てて、勝手に自らの一私説をもって、それを皇室の「神道」であるかのごとく曲解せしめようとする者があるが、それは皇室の神道を小さなものにしようとする誤りである。神道とは決して宗教にあらざるものであり、天祖いらいの治教の大道である。」(建言「教導職治教、宗教混同につき」)

黙雷は長州の維新者に大きな影響を与えた人物であり、吉田松陰の倒幕論も黙雷に由来するそうです(長州は真宗、薩摩は神道らしい)。

それはともかく、この「神道は宗教ではない」という説が、明治大正昭和のいわゆる「国家神道」の原理になりました。

島地黙雷は、英国以下の欧州君主国がキリスト教を「国教」とするように、政府が神道を国教とすることを恐れたため、つまり神仏分離後の「廃仏」を恐れたために、この建言をしたそうです。
これは、民間の神社への国民の信仰を皇室の神道とは分離するというアイデアでした。

神道には3つある。
A 皇室の神道、
B 水戸学や本居平田学などの神道、
C 民間の神道(村の鎮守やお稲荷さんなど)。

皇室の神道(近代日本という国家)を守るために、BとCの神道は別物であるとするわけです。
Bは一私人偏見であり、Cは未開原始のアニミズムすなわち迷信邪教とするものですね。

昭和の動乱期に民間神道の興隆に激しく圧迫されて多少流れが変わることもあったようですが、政府の考え方は一貫していたようです。

10/21

毎日新しいことを知るとそのたびに何年か何ヶ月か前の愚かさというものがわかります。しかしそれは何かしら考えるようになった若い頃から今日までずっと続いていて、おそらくもうしばらく続くでしょう。

何日か前に安倍総理の演説の感想を書きました。
やっぱり靖国神社にもお参りにならず、それもがっかりしました。
私は頭に血が上りやすいタチですので「裏切られた」気持ちにもなりました。

しかし、急ぐのは待ちましょうと自分に言ってみます。
私たち、私どもの世代より上の日本人はみなこの日本に責任を負っています。
自分らが生きてる時代になんとかなるんじゃないかなんて甘えた夢は棄てた方がいいのだろうとと思いました。

ことの本質は歴史戦争です。
憲法問題も全てそうです。

私は20年東京裁判に抵抗する歴史授業をやってきましたが、結果は出せませんでした。
それは歴史教育界、歴史学会、そして教育現場の空気のすべてが東京裁判史観だからです。
彼らが教育界を支配していて、教員の歴史観も、児童生徒が読む本も、教科書も、視聴覚教材もすべて汚染されています。
これは左翼は関係ありません。
むしろ保守の方々です。
だから「教育基本法」が変わっても、びくともしませんでした。

国際社会の常識も行き着くところは東京裁判史観だと思います。
いまは特亜が目立っていますが、アメリカもヨーロッパも。
ドイツこそニュルンベルグ裁判が前提ですから、最強の敵になります。
これをひっくり返すのはたいへんなことだろうな感じています。

10/14


1945(昭和20)年の2月頃になると、つまりヤルタ会談の頃ですが、日本の上層部はみなソ連こそが日本を救うのだと考えるようになっていました。それが時代の空気だったようです。

『宗像久敬日記』に次のようなやりとりが出てくるそうです。
以下は岡部伸『消えたヤルタ密約緊急電』の引用です。

宗像久敬(当時日本銀行)は、昭和天皇の最側近だった最後の内大臣木戸幸一(元勲木戸孝允の妹の孫です)にこう話したそうです(3月3日)。

「ソ連の仲介で和平を進めたら、ソ連は共産主義者の入閣を要求してくるだろうが、これを受け入れてもよい」
「共産主義というが、今日ではそれほど恐ろしいものではないぞ。世界中が共産主義ではないか。欧州もしかり、支那もしかり。残るは米国くらいだ」

そこで宗像が、
「共産主義になると皇室はどうなるのか、国体と皇室の擁護は国民の念願である。米国と直接接触すべきだ」
というと、木戸はこう答えました。
「今の日本の状態からすればもうかまわない。ロシアと手を握るのがよい。結局皇軍はロシアの共産主義と手を握ることになるのではないか」

昭和の歴史はまだわからないことだらけですが、政治家、官僚、軍人という指導層の多くが共産主義(全体主義)にはまっていました。東大や京大の学生はみな真っ赤でした。

それが皆転向したといいますが、あの昭和の転向というのは、共産主義を棄てたわけではなく、天皇と皇室への殺意だけ棄てたわけです。
それ以外はまったく問われずに残っていたんですね。

実際にソ連とつながっていた人物がどれだけいたのか。
ルーズベルトの周囲に200人いたのですから、日本は尾崎秀実とゾルゲとあと数人ということはありえません。

足利義満の授業

1年生に室町幕府第3代将軍足利義満の授業をやりました。

1 まずは恒例のズバリ言いましょうで、この人物が国史の上で果たした代えがたい業績は、南北朝を合一したことであ~ると、解説および断言して入ります。

2 さて、鎌倉以来の商品経済の発達の意義を見抜いた義満は、日明貿易でもうけて、わが国の経済発展を図ろうとします。そして明の皇帝に親書を送りました。

3 明の皇帝は、次のの2条件をのめばOKだと返事をよこしました。「それは何でしょう?」と問いました。
生徒は二つとも答えました。何と優秀なことでしょうか!
A 倭寇を取り締まってくれ!
B 明の家来になれ!

4 ここで本日メインの学習に入ります。
「義満は迷っています。将軍のブレインとなって助言してほしい。つぎの選択肢から立場を選んで、その理由をノートに書きなさい」5分与えました。
意見分布は以下の通りです。

A 明の皇帝の家来になって、貿易をやって大もうけしよう。これが14人。
B 明とは対等な独立国n立場を守るべきだから、貿易も断る。これも14人。

1組では3対26だったので議論は低調でしたが、今回は盛り上がりました。

Aの理由:家来になっても経済発展は大事だ。家来になっても中国はいずれ滅びるからっそれまで儲ければいい。
儲けた金で軍事力をつけて衰えてきた明を滅ぼそう、など。

Bの理由:国の独立は外交では一番重要だから守るべきだ。聖徳太子のご恩を忘れるな。将軍が金儲けのために中国の皇帝にぺこぺこするなんていやだ。たとえ一時的でも独立の伝統を失うべきではない、など。

とても楽しそうでした。○○くんがそういうのはすごくわかるよ!などなど。

5 義満はBを選んだこと。皇帝と義満の親書を示し、この「国王」は日本の伝統に照らしておかしくはないか?と問いました。天皇がいるのに国の代表みたいでおかしい。「王」は皇帝の家臣だが義満は天皇の家臣でもある。っという2つの意見が出た。この発問はちょっと?でした。

6 義満は勘合貿易を始めたこと。勘合貿易の仕組み(勘合符のしくみ。銅を5倍で売って、絹を仕入れて40倍で売ると行って帰って200倍の売り上げだった、など)と、明銭(永楽通宝)が大量に輸入され貨幣経済が進んだこと。今のお金で数千億円を使って花の御所や金閣などを造営したことなど。

7 締めはクイズ。「義満は大きな野望を抱きました。次のどれでしょうか? A:次男を天皇にする。 B:明を征服する。C:黄金の大仏を造る」さてどれでしょうか?
Aは3人。Bは21人。Cは4人でした。

8 義満は次男善嗣を「親王」とした。金閣に天皇を招いたとき同じ衣服をまとい上座に並んで座った。天皇の務め(祈りや位を与えること)を代行した、などを根拠にAを正解としました。真実は多数決では決まりませんねえ。

9 義満は野望を成し遂げる寸前で死にました。善嗣は退けられ、父に反抗して嫌われていた長男義持が将軍となり、日明外交は対等な独立関係にもどりました。めでたしめでたし。

授業後生徒の一人がやってきて、「先生、日本は結果的にうまくやったんじゃないでしょうか?」。う~む、なるほどねえ。今日も楽しかったなあ。

ロシア革命

2年生に「ロシア革命と第一次世界大戦の終結」を教えました。
自由社の教科書は第一次世界大戦に3小単元を費やしてたいへん重視しています。日本の運命の分岐点だったからです。
今日はその2時間目、1時間たっぷりロシア革命を扱いました。
1 共産主義が当時の資本主義国家の欠陥を見事に突いたこと。
2 帝国主義国家を暴力で打倒し、労働者農民による自由で平等な社会をつくろうという高い理想主義を掲げ、世界中のエリート達を魅了したこと。
3 1917年11月、ドイツのスパイとして送り込まれたレーニンが暴力革命によってロシア帝国を倒し、ドイツと単独講和を結んだこと。
4 共産主義革命の現実は「ニコライ2世一家の皆殺し、資本家や地主たちを皆殺し、共産主義に反対する国民は死刑または強制収容所送りにし、共産党エリートの独裁国家(ソビエト連邦)になったこと。
以上を資料を元に理解させてから、「当時の日本国民はロシア革命と共産主義にどんな態度を取ったでしょうか? と問いました。
結果はこうでした。
賛成した(3名)、反対した(25名)、どちらにも決められなかった者(6名)でした。
賛成側・・・それまで農民だったのが無一物の労働者になり、労働条件は最悪で、一部の金持ちだけが喜んでるような国は最悪だ。
反対側・・・日本は立憲君主制だから議会で決めるべき。暴力革命は良くない。
      天皇中心の国にはふさわしくない。長い伝統が失われる。平等な国と言っても、結局独裁国家になり、反対したら殺される。

5 ソ連はコミンテルン(国際共産主義運動)をつくり、世界中のエリートをスパイや工作員として教育し、各国に送り込んだ。その結果世界中の国に共産党がつくられ、革命運動が進められたこと。
6 日本では、国民のほとんはみなさんが発表した理由で共産主義者を「赤(アカ)」と呼んで嫌ったが、エリートの多く(学者・学生・官僚・教師・軍人)はみなさんが発表してくれた理由で共産主義に共鳴していたこと。
7 1918年、英仏米日はシベリアに兵を送り、ロシア革命をつぶすための干渉  戦争を行ったこと。尼港事件で共産主義ゲリラによって日本人が3000人殺害されるなどしたため、日本は兵を引くことが送れたこと。

時間が無くなり、対戦の終結については次の時間に回すことにしました。

10/7

ようやく体調がもどりました。
2週間、年々回復が遅くなりますね。

前回は熱のせいか怪しいことを書いてしまいましたが、
最近、世の中の動きの中に暴力の兆候を感じることがしばしばあることは本当です。
私自身の中にもそういう感情の激発を感じておののくことがあります。
私の基本的な立場は立憲制度を守ることですが。

今月号の『正論』で佐々淳行「瀬島龍三はソ連の協力者だった」を読みました。
そう公言する具体的な証拠は書かれていないので、後藤田正晴が握りつぶしたので自分では追い詰められなかったという言い訳みたいでした。
ま、間違いないところでしょうが。
戦後レジームのキーマンのうち誰が工作者だったのか、現在の学者や自民党政治家の中の誰が中共の工作者なのか.
誰か明らかにしてほしいものです。




10/3

2週間体調を崩していました。
まだ戻りきってはいないのですが、ま、なんとか元に戻りそうです。

授業だけは毎日がんばりましたが、
発信する元気はなくて、
仕事から帰ったら毎日寝ていました。

とうとう消費税上げが決まってしまいました。
私は本当のところは自分で判断するだけの能力はありません。
しかし、ここが天王山だったような気がしてならない。

結果を見守ります。

ぼんやりしながらもうつらうつら考えていました。

教育現場では文部科学省が、外交では外務省が反日を貫いています。
法務省も財務省も確信犯でしょう。
末端の現場は事なかれ主義です。

もちろんマスコミは権力の外でやりたい放題。
昭和初期よりも大量の工作員が日本人をやっているのはまちがのないところでしょう。

ひょっとしたら、西南戦争以来の内戦をやらなければ道を開くことはできないのかも知れません。
国家反逆罪のキーマンたちを誅殺する前に、敵はすでに武装を始めているかもしれません。

いずれにせよ、言論の自由がない社会では、非合法な道が選ばれる理由は大いにあるはずです。

私も若い昔は非合法ありという考えで放蕩無頼の徒だったことがありました。

死ぬ前に一暴れする用意くらいははしておこうかなと、
ぼんやりそんな夢を見ていました。
プロフィール

授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫

Author:授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫
戦後70年間日本の教育は根無し草の「世界市民」を育ててきました。そのため小中学校の歴史教育はウソとタブーによって大事な内容が教えられていません。また誤って教えられています。
「授業づくりJAPAN」は、日本の教育のウソとタブーを排し、真実とフェアネスを取り戻していきます。
かつてGHQに禁じられた教育は現在も禁じられたままです。私たちは「日本人を育てる教育」を取り戻します。そのために、命ある限り授業づくりとその普及につとめます。私たちは「誇りある日本人」こそが「真の国際人」になれると信じています。

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