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授業「満州事変と満州国」(2/2)

自由社教科書による「満州事変の満州国」の2時間目です。
2学級で授業しましたので、取り混ぜて紹介します。


6 国際社会の反応と日本
・中国は強く抗議し、最初は日本に肯定的だったアメリカも後に態度を変えて日本を叩きました。国際連盟も一連の日本の行動を批判しました。

・日本が満州でやったことは、2つの条約に違反しているというのです。
1 パリ不戦条約違反・・・満州事変は条約が禁じた「侵略戦争」にあたる。
2 九ヶ国条約(ワシントン会議)・・・満州国は条約が禁じた中国の領土変更にあたる。

・日本政府は次のように回答し正当性を主張しました。
1 満州事変は中国軍閥や共産主義勢力の反日暴動やテロ行為に対する正当防衛であり、自衛の戦いだった。
2 満州は中国の領土とはいえない。満州民族の独立運動の結果であり、満州出身の皇帝溥儀が君主となる満州民族の国家である。

・国際連盟は日本の主張を受けて、リットン卿(イギリス人)を団長とする調査団を派遣することになりました。日本もこの調査団派遣を歓迎します。

・教科書の資料「リットン報告書の要点」を読ませ、以下のようにまとめます。

1 満州における日本の権益は正当であり、中国人の反日行動は不法である。また、国民党が反日行動を引き起こしている事実も違法である。
 これは、関東軍の軍事行動は正当防衛にあたり、「侵略戦争ではない」と認めたことになると解説しました。

2 しかし、満州国建国は認められない。中国の主権を認め、満州に法と秩序を守れる政権をつくれ。
 これは、九ヶ国条約違反ではないという日本側の主張を否定したものだと解説しました。


7 リットン調査団報告書を受け入れるべきか、拒否すべきか?
.次の発問をします。
「当時の日本のリーダーの一人として、受け入れるか拒否するかを選び、ノートに理由を書きなさい。時間は5分です」

・意見分布は次のようになりました。各学級かなり拮抗する数字でした、わずかに「拒否派」が多くなりました。

A組:受け入れる(14名) 拒否する(19名)
B組:受け入れる(17名) 拒否する(18名)

・おもな意見を数名ずつ発表させましたが、ここではノートから主な理由を抜き書きしてみます。

【受け入れる理由】

「受け入れないと世界を敵に回してしまう。受け入れて仲間をたくさんつくり、満州の日本人を守れるようにしてもらいたい」

「拒否したら国際連盟が敵になってしまう」

「日本は正当で反日運動は違法だと認められたから、これからは前よりも治安を守れると思う」

「拒否したら、イギリス、中国と関係が悪くなってしまい、戦争にないかねないから」

「戦争は絶対に避けたいから」

「これ以上抵抗すると、国際連盟に目をつけられてしまい、中国全域から撤退させられるかもしれないから、ここは受け入れる」

「一度撤退して様子を見る。再び反日暴動などが起きたらもう一度出て行き抑え込み、やっぱり建国しないと統治できないのだと、国際社会に訴える」

「もともと中国のものなんだから、これ以上こじらせると戦争になりかねないから」

「国際連盟を脱退しないですむから」



【拒否する理由】

「せっかく苦労して手に入れた安全を手放したくない」

「ようやく安定したのに、それをじゃまされたくない。だまったままじゃだめだ」

「認めて満州国がなくなったら、そこにいる日本人がどうなるかわからない。また暴動のようなことが起きて被害が増える」

「中国人から暴行を受けたり、行方不明になったり、暗殺されたり。むこうの自由を認めたら、また同じことが起こってしまうと思ったから」

「甘い態度を見せたら、中国人はもっと暴動やテロを起こすことになるだろう」

「中国に任せたら、法と秩序を維持できないと思うから」

「もし受け入れたら、日本国内で兵たちの暴動が起きる可能性がある。また、世界は日本の現状を理解してもらえてないと思ったから」

「中国に屈したくないから」

「せっかく取った満州をそんなかんたんに返してはだめだと思う。さんざんいやがらせをされたんだから、かんたんに返したくない」

「もし受け入れたら、国民は大反発するだろう。また、満州国を失えば、政治に不満を持つ人がさらにふえ、5.15事件のようなことが起きて、日本がまとまらなくなっていまうと思ったから」


8 その後どうなったか
次の2点を解説しました。

・1933(昭和8年)日本は国際連盟で孤立し、松岡洋右代表の日本は国際連盟を脱退した。

日本が世界中から孤立してしまったととらえる考えと、大国アメリカのいない連盟を脱退してもまだじゅうぶん日本の外交は成り立ったという考えと、両方あることを教えました。

・同年5月、日本と中国はタンクウ停戦協定を結んだ。

これは、実質的に、中国が満州国の成立を認めたものであると教えました。


9 満州国の発展と滅亡

・各種統計資料、写真(満州国旗、満鉄アジア号、奉天の町並みなど)、ヘレン・ミアーズ『アメリカの鏡・日本』等によって、その後の満州国は近代国家として発展したことを教えました。
日本人の観光地、修学旅行先でもあったことなどにもふれました。

・1945(昭和20)年、8月、日ソ中立条約を一方的に破ったソ連軍の暴虐によって、満州国は滅びたことを教えました。12年間の「幻の帝国」に終わったことです。
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授業「満州事変と満州国」(1/2時間目)

*この授業は2時間構成です。以下に示すのはその1時間目です。なお、自由社教科書のカリキュラムでは1時間扱いとなっています。



1 満州について確認する

 満州の地図を見る。日本は関東州を租借し、南満州鉄道(長春以南)の経営権などを持つ。それらは、日露戦争、ポーツマス条約によって合法的である。
 「関東」の「関」が万里の長城を意味すること、満鉄など。
 20万人の日本国民(朝鮮人を含む)が暮らし、関東軍1万5千人がその生命財産と利権を守っている。
 満州は軍閥張学良の支配下にあり暴政が続いていたこと、反日運動にも張学良の指示が関わっていたこと、その私兵が26万人いたことを教える。


2 反日運動が満州で激発した
 
 以下の資料でその激しさを教え、居留民の苦しみに共感させる。

・共産主義者による事件(シベリア出兵時を含む)昭和4年までの10年間で108件。
 とくに昭和5年間島省で起きた事件を解説。日本領事館・駅・鉄道が放火され、市街戦となり、日本人44人が殺害された。

・関東庁警察が扱った反日事件(鉄道妨害や企業・商店への破壊活動など)。
 昭和5年1年間で1249件起きた。

・日本人、朝鮮人居留民への迫害事件。暴行、傷害、放火、デマ宣伝など多数。

・排日教育政策による被害。児童への投石、暴行、唾の吐きかけ、ナイフによる脅迫など。

・万宝山事件(昭和6年5月)長春付近の万宝山で朝鮮人が中国人に襲撃され多数の死者が出た。

・中村震太郎大尉虐殺事件(昭和6年8月)。この事件によって、国民の多くが政府の協調外交に対して「我慢の限界」に達していたことを教える。


3 満州事変起きる

・昭和6年9月、柳条湖事件(鉄道線路爆破)という謀略によって、綿密な計画を立てた関東軍が行動を起こした。「柳条湖事件は張学良軍のしわざ」と宣伝して、自衛のための軍事行動とした。
・中心人物:石原完爾と板垣征四郎の写真を見せて名前を教えました。(脱線ですが、マエストロ小澤征爾の命名について話しました)


4 政府か関東軍か?

・政府はただちに戦いの不拡大を指示し、協調外交を維持しようとした。
・関東軍1万5千人は、張学良軍26万人に勝利して、満州全域に治安を確立した(下剋上ですね)。

発問「みなさんが当時の国民になってみたら、どちらを支持するでしょうか? 政府か関東軍か。」

・意見分布を取ると、なんと学級全員33名(欠席2名)が関東軍を支持しました。前時「反日運動と日本」で、協調外交を支持した生徒も満州事変やむなしと考えていました。
・諸君は当時の国民の大多数と同じ考えです、と史実を教えました。

【生徒の関東軍支持のおもな理由】
「こんなに日本人が傷つけられているのに、政府が国民を守らないのはおかしい」
「中国人が日本人や朝鮮人に違法なことをやってきたのだし、居留民を助けるためだからしょうがない」
「在満日本人がとても厳しい生活をしているのに、国が動いてくれないのはおかしい。やり方には納得いきませんが、これしかなかったのではないかと思い、関東軍支持にしました」
「国民を助けるのは当然だし、政府が助けないのはおかしい」
「違法な被害いい衣を解決できない政府の方針はダメだと思った」
「ずっとやられっぱなしでは、向こうに甘く見られて、最後はもっと残酷なことになったと思う」
「これ以上満州に住んでいる日本人が迫害されれば、国内の大峰大大国民も激怒し、怒りと悲しみが絶えず、日本がばらばらになっつぃまうと思ったから」
「どんなときにも国民の気持ちになって考えるのが一番よいと思ったから」
「日本は今までも困難を乗り越えて勝ってきたから」など。


・政府は、結局関東軍の行動を認め、この軍事行動に予算を付けることにしました。国民世論に従ったかたちでした。


5 満州国建国と犬養首相暗殺事件

・昭和7年3月、関東軍は日本の傀儡国として満州国を建国しました。清朝(満州人の王朝)最後の皇帝溥儀は、関東軍の依頼に応じ、故国満州の皇帝に返り咲きました。
・溥儀の自伝『わが半生』から、「私は感激がこみ上げてきた」のくだり読みました。

・民政党の犬養毅首相(解散総選挙で民意を得た憲政の常道内閣)は陸軍の満州国建国に反対した。満州は中国に領有させ、日本の意志を反映させるという方針で、国民党と交渉した。犬養は辛亥革命の支援者であり国民党と太いパイプがあった。

・同年5月15日、犬養は海軍将校らに拳銃で殺害された(五・一五事件)。「話せばわかる」と最後まで言論による戦いを望んだ護憲運動の闘士のエピソードを教える。

・この後、政党内閣はもどらなかったことを教える。

・やがて日本政府(斎藤実内閣)は、満州国と「日満議定書」を結んで、正式に満州国を承認した。

資料「日満議定書」
・満州国は日本と中国で結ばれた条約を尊重する。
・日本と満州国は共同で国家を防衛し、満州国に日本陸軍を駐留する(いま、日本全国にある米軍基地と煮ていますね)。

:ここまでで、1時間目終了です。

中国の反日暴動と日本

昨日から公開授業週間ということで参観者がちらほら。
2年生に「中国の反日運動と日本」という題で、昭和初期の外交を教えました。
自由社の教科書による小単元です。

おもな史料は、マクマリーと幣原喜重郎です。

導入で先般中国で起きた反日暴動を取り上げて、在留邦人の保護はたいへん重要な今日的課題であることを話しました。
蒋介石の北伐とそれにともなう南京事件(南京在住の英米日などの外交人が虐殺・暴行・略奪に遭った事件)を取り上げ、揚子江にいた英米艦は同胞救出のために砲撃したが、帝国海軍の戦艦は何もせずに去った。日本の幣原協調外交を解説し、考えさせました。

生徒の多数は「日本人が危険な目に遭っているのに、中国と仲良くすることばかり考えているのは行き過ぎではないか」という意見が多数になりました。
したがって、田中義一内閣の「山東省の日本権益と2万人の日本人居留民の保護及び治安維持のため」の山東出兵にも3/4が賛成となりました。日本人として史実をたどればおそらく多くはこう考えることでしょう。

残り7名は「どんなことがあっても戦争は避けたい」「在留邦人引き上げ」など大陸利権の放棄を主張しました。これについては、石橋湛山らの少数意見を話し、少数派も賞賛しました。

教科書の史料「マクマリー(米)の見解」は次の通りです。
「人種意識がよみがえった中国人は、故意に自国の法的義務(条約)を嘲笑し、目的実現ためには向こう見ずに暴力に訴え、挑発的なやり方をした。そして力に訴え、力で反撃されそうになるとおどおどするが、敵対者が何か弱みを見せると、たちまち威張りちらした。・・・中国に好意を持つ外交官たちは遅かれ早かれ一、二の国が我慢しきれなくなって、中国は手痛いしっぺがえしを受けることになるだろうと予測した。」

幣原喜重郎外相の史料は、日本が不平等条約の下でいかに努力して(臥薪嘗胆!)今日に至ったかを説明し中国の暴力化に自重を求めた、という内容です。

たしかに、このまま協調外交でやられっぱなしでは国民は納得しないだろうという見方が大勢になり、史実もそうだったこと<国民の多数は「軟弱外交」と批判した>を教えました。

危機は満州におよび列車妨害、日本人・朝鮮人への迫害・暴行・略奪、テロが頻発するようになったことを資料で確認し、これら一連の反日暴動にはコミンテルンの工作があったと考えられていることを教えて、授業を終えました。

明日は「満州事変と満州国」です。

11/12(秋のセミナー)


自由主義史観研究会:秋の授業づくりセミナーin大阪に参加しました。
関西からはお馴染み黒田先生が「憲法9条:平和主義」(高校)の授業、
関東からは岩手の高橋先生が「自衛隊のしごと」(小学校)の授業を発表されました。
たいへん勉強になりました。
が、せっかくの画期的な授業研究にもかかわらず、参加者8名、開催地関西からは3名というさみしい会になってしまいました。
少し考えさせられました。

帰りに伊勢に寄って神宮を参拝し、なつかしい四日市・桑名を経由して帰ってきました。
神宮は6回目でしたが、式年遷宮なったばかりの宮は新しいヒノキの香りもいただけて、まことにありがたい日となりました。
ただただ感謝です。

11/9(七回忌)

今日は父の七回忌でした。
形見になった句集『踏青』(文学の森)を読み直してみました。
あらためてさまざまな感慨がありました。
ちょっと長いけれど、「氷室」の主宰金子久美子さんが書いてくださった序文を紹介します。
読んでいただければ幸いです。

 序

 斎藤もとじさんとのご交友も振り返れば、小林康治先生が急逝なさって私が「氷室」を創刊したのに始まる。
 私と同門の、もとじさんの師の待井でいろ氏が「氷室」に参加されて以来、交誼も深まり、もとじさんの人となりを知るとともに畏敬の念を持つのにあまり時間はかからなかった。
 戦前の日本男子の持つ潔さが心地よいのである。
「氷室」参加以前にも俳歴はあるのだが、捨てて顧みられなかった。
 初心の頃の句には佳句もあるものだから加えてみたら?と進言したのだが、「そう決めましたので」とこうなった。
 それで巻初の句も堂々と、風格があるのである。

伊佐沼の闇をゆさぶる牛蛙
可からずの山門秋の風と入る
霜の夜や妻の部屋から紙の音
二月尽生きるつもりの新車買う
角切られ雄鹿ピエロのごと歩む

俳句は俳歴ばかりでなく、その来し方人生も強力に後押しをするので高齢の洒脱さが見える、その前向きの姿勢がよい。

水を出て鴨はおもたき身をゆする
月光や晩節てふ語胸底に
面とれば碁敵なりし里神楽
余生いま遊びざかりや福寿草
師の影の良寛に似て秋の浜

俳句のおかしみが身について、それを忌憚なく句に現しているのがまた魅力なのである。

鯉幟山見て育つ秩父の子
初燕村中の水動き出す
蛇穴に入りて吹かるる草ばかり
杜若葉写生子緑塗り重ね
蚊喰鳥飛んで夕日を落としけり

と落ち着き「花仰ぐ」「老鶯」の章では老齢の寂しさを背に見せながら、嘆き節の片鱗も見せないのは流石である。

古里のバスも来てをり初詣
夏燕故なく父を憶ふ日ぞ
送り火を焚くや知らぬ子来て屈む
爽やかや紙で結びし巫女の髪
水餅の眠れる甕に時移る
老鶯のときに省略して啼けり
仏みな素足に在す竹の秋
踏切や媼西瓜を地に置きぬ
「氷室」誌と歩める十年菊薫る
生きのびし兵も傘寿や開戦日

感情を露出させて溺れるといった女々しさのないところが、もとじさんの句の真骨頂なのである。それでいて詩情も情感も切れば溢れてくる。

梅林や腰掛けいすの温かし
来て見よや楤の芽はやも摘まれをり
夕端居補聴器欲しと思いをり
梅雨明けやあたふたと妻梅を干す
農耕馬消えて久しや木槿咲く
揚雲雀空にきざはしある如し
きりぎりす妻の生家の馬屋跡
寒鯉の黝き丸太のごと沈む
掌に丸薬数ふ余寒かな
歩まねば老いるばかりや青き踏む
野火止の水の音聞き春惜しむ
擂り粉木を使う妻ゐて魂祭

歩まねば老いるばかりや青き踏む    もとじ

 この気力溢るる「生きのびし傘寿の兵」の処女句集が上梓されるのもご子息の慫慂に始まると聞いた。

 まっことにめでたく、私も誇りに思っている。おめでとう!

 平成18年朱夏                      金子久美子
プロフィール

授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫

Author:授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫
戦後70年間日本の教育は根無し草の「世界市民」を育ててきました。そのため小中学校の歴史教育はウソとタブーによって大事な内容が教えられていません。また誤って教えられています。
「授業づくりJAPAN」は、日本の教育のウソとタブーを排し、真実とフェアネスを取り戻していきます。
かつてGHQに禁じられた教育は現在も禁じられたままです。私たちは「日本人を育てる教育」を取り戻します。そのために、命ある限り授業づくりとその普及につとめます。私たちは「誇りある日本人」こそが「真の国際人」になれると信じています。

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