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中学2年「日露戦争」の授業 2

2 ポーツマス条約

■伊藤博文は、開戦前に金子堅太郎をアメリカに派遣した。セオドア・ルーズベルト大統領に講和の仲介を依頼するためだ。金子とルーズベルトはハーバード大学の同窓生だった。
セオドア・ルーズベルト

・ルーズベルトは、日本海海戦の決定的な結果をとらえて、講和の仲介をした。伊藤の計画通りとは言え、日本の国力にとってはまことにありがたい仲介で、ロシアも講和会議を了承した。講和会議はアメリカ東海岸の港町ポーツマスで開かれた。

・日本の全権は小村寿太郎、ロシアはウイッテだった。
小村寿太郎

・小村は日本の苦境はおくびにも出さずに、ロシアにとってはまことに手強い交渉を展開し、講和条約が結ばれた。

1905年(明治38年) 9月   ポーツマス条約

***********************************
ポーツマス条約のおもな内容

1 朝鮮半島を日本に任せる(ロシアは手を引く)。
2 ロシアは満州から出て行く。
3 日本は領土(「臥薪嘗胆」の遼東半島と南樺太)を得た。
4 南満州鉄道と付属鉱山の利権を得た。

*************************************

■みごとな交渉結果だったが、国民は怒りました。なぜでしょうか?
*賠償金が得られなかったから。

・政府は戦争の継続を絶対に避けなければならなかったので、はじめから賠償金は得られまいと考えていた。
国民は、日清戦争の膨大な賠償金を覚えていて、こんな大勝利をしたのにおかしいと思った。生活苦もあった。
・日比谷焼き討ち事件が起きた。


3 日露戦争の意味を考える。

■アジアの新興国日本が、英国との対等な条約を結んだかと思ったら、こんどは超大国ロシアに勝利した。
東後平八郎連合艦隊総司令官は、日本海海戦にあたって将兵に次のように鼓舞した。

「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」(全員で大きな声で音読した)

・この戦争は皇国日本にとって、まさに生きるか死ぬかの決戦でした。リーダーたちも、日本国民も、みなそれをわかって戦ったのです。私たちの日本がいまあるのもこの勝利のおかげです。

・この戦争には3つの大きな意味がありました。これからの勉強のためにもしっかり覚えておきましょう。

1 日本の平和と安全が確保され、ロシアに勝った日本は世界の一等国として認められた。明治維新以来の国家目標「西洋列強と対等につきあえる国をつくる」という目標が、みごとに達成されたのです。

2 植民地にされていたアジアの諸民族に独立への希望を与えた。
  「同じアジア人の日本にできたのだ。われわれも努力すれば独立できるのではないか」

**************************************

アジア独立運動のリーダーたちの声

■中国革命の父・孫文(そんぶん) 
日露戦争に日本がロシアに勝った。これはアジア民族のヨーロッパ人に対する最初の勝利だった。日本の勝利は,数百年もの間西洋に支配され続けてきた全アジアに影響をおよぼした。それまで西洋に支配されるだけだったアジア民族は、たいへん喜び、そして大きな希望をもった。
 私は、日露開戦の時ヨーロッパにいた。東郷元帥の勝利がヨーロッパ中に伝わると、全ヨーロッパの人々はまるで父母を失ったかのように悲しみ残念がった。日本が勝利したことは、白色人種全体にとって不幸だと思ったのだ。
 しばらくして、私は帰国することになりスエズ運河を通った。アラブの人々は、私が黄色人種であるのを見て、たいへん喜んだ。 そしてく言った。
「これまで、われわれアジアの有色人種は、西洋の白色人種の圧迫(あっぱく)を受け、苦しみ続けた。だが、このたび日本がロシアに勝ったということは、東洋民族が西洋民族にうち勝ったことになる。日本人は戦争に勝った。同じようにわれわれも勝たなければならない。だからわれわれは喜んでいるのだ。」
 日本がロシアに勝った結果、アジア民族が西洋人の支配から独立するという大きな希望を手に入れたのである。

■インド独立の父・ネルー
 日本が、最も強い西洋の国に勝てたというなら、どうしてインドにそれができないことがあろうか。長い間、インドはイギリスに対する劣等感(れっとうかん)にとらわれていた。そして思った。これからもずっと、ヨーロッパ人に支配され、それをがまんしなくてはならないのだと。
 日本の勝利は、アジアの人々にとって偉大な救いとなったのである。

■ビルマ(現ミャンマー)バー・モウ元首相
「この日本の勝利がアジア人に与えた影響は消えていない。これはすべての支配されてきたアジアの人々に、新しい夢を与える歴史的な夜明けだった。

■インドネシア
「日本に向かうバルチック艦隊を見たら、もうこれで日本はおしまいだと思った。ところがこのバルチック艦隊を日本が全滅させたと聞いて、アジアを白人の支配から救ってくれるのは日本人だと感じた」 

■アジアではないが、ロシアにいじめられていたフィンランド
 「ある日友人が私の部屋に飛び込んできた。そえいて、日本がロシアの艦隊を撃滅したというニュースを教えてくれたのだ。彼はその日本海海戦の様子を、身振り手振りで熱狂的に話してくれた」
・ピューニッキ社は後にアドミラルシリーズの一つに、東郷元帥の写真をラベルにした東郷ビールを売り出した。

****************************************

3 西洋に「黄禍論」が起き、やがてアメリカなどで日本人差別が始まる。
 「日露戦争の日本の勝利は、植民地のアジア人に希望を与えた。われわれ西洋人のアジア支配に黄色人種どもの禍いをもたらすだろう。日本に注意しよう!」

■日露戦争は、白人が有色人種を支配して搾取してきた世界史の大きな流れにストップかけた。彼らの奴隷にはならなかったアジア人の国日本がみごとに近代化を成し遂げただけでなく、戦争にも勝てる力を見せたからだ。
しかし、その偉大な成功は、わが国を新しい苦難の運命に導いていく。白人たちによる人種差別の歴史はその後半世紀、いやそれ以上続いたからである。


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中学2年「日露戦争」の授業 1

《授業の意図》
超大国ロシアの野望を打ち砕こうとして、祖国防衛戦争を決断した先人の独立の気概に共感させたい。また、国民の団結と帝国陸海軍の奮戦によってこれに勝利し、白人列強による世界支配という世界史の流れを止めたことに感動させたい。

1 日露戦争開戦

国内世論はどうだったか?
大多数は戦争を支持した。また、明治日本は、ごくわずかな反対論も新聞にのせられる言論の自由があった。
******************************************
東京大学7博士の意見(東京朝日新聞 1903年6月24日)
ロシアは満洲を自国の勢力下にして、朝鮮で争おうとしている。満洲の支配についてロシアと決着をつけるのが先である。もし朝鮮で争い一歩でも負けたら、朝鮮も満州も失うことになる。そうなってからでは、日本の存立にが危うくなる。

社会主義者内村鑑三の意見(平民新聞 1904年3月13日)
戦争の結果は必ず人民の生活苦であり、重税の負担であり、道徳の退廃である。したがって、戦争を停止し、平和への復帰を早めることが必要である。
******************************************

■旅順港がロシア東洋艦隊の基地になり周囲の山々は世界最強のトーチカが築かれた。義和団事件後、満洲にいすわったロシア軍の力を背景に、ロシアは朝鮮にも手を出し始める。王朝の中に親ロシア派をつくり、朝鮮半島南端にも軍港をつくる動きを見せた。
シベリア鉄道が完成し、ロシア軍と軍需物資が続々と送られてくるようになった。
このまま手をこまねいていては、朝鮮がロシアの手に落ちるのは火を見るより明らかだった。そうなってからでは、日本がロシアに勝つことは永遠にあり得ない。
戦争を決断するなら今しかなかった。

1904(明治37)年 2月  日露戦争開戦

この戦争は、ロシアの侵略を防ぐための「祖国防衛戦争」でした。
以下、日露の兵力・海軍力比較表、地図を資料にして説明していく(詳細は略)

1 ロシア陸軍を満洲から追い出す。
  1905年3月の奉天大海戦まで勝ち続けた。

2 ロシア海軍を黄海・日本海から追い出す。
  旅順攻略戦(1904年8月~1905年1月)苦戦が続いたがバルチック艦隊が来る前に勝利して、旅順港にいたロシア艦隊は全滅した。
・乃木希典大将についても話す(令息の戦死、水市営の会見、明治天皇に殉死など)

日本海海戦(1905年5月27日)バルチック艦隊をほぼ全滅させる大勝利。
・東郷平八郎大将についても話す。(丁字作戦など)

・日本海海戦の実写+CG動画を見せる(5分ほど)

■開戦直前、伊藤博文はセオドア・ルーズベルト大統領に金子堅太郎を介して講和の仲介を依頼した。金子はルーズベルトとハーバード大学で同窓だった。日本海海戦の世界の海戦史に残る大勝利が、講和のチャンスだった。日本はすでに国家予算の8年分を使いきり、そのすべてが英国銀行からの借金だった。
大国ロシアはまだ余力はあったが、講和の提案に乗った。日本は胸をなで下ろす。日本の国力はもう限界だった。まさに薄氷を踏む勝利だった。


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歴史を教える先生方へ 26.6.28

私の友人が中学校の社会科の教員をしています。

彼は歴史教育でもすばらしい実践をしているのですが、
最近は担任として道徳の授業にも力を入れています。

すべてオリジナルな教材を発掘していて、感動的な授業ばかりです。
生徒が身を乗り出し、感銘を受けて、いつの間にか背筋がしゃんとして、いい顔になります。

しかも、彼はこれを「資料と生徒用のワークシート」のプリントにして学校中に紹介しているのです。
先生方は大喜びです。

この道徳授業集がかなりの時間数になったので、なんとか出版できないかと考えています。
どなたか、心当たりがあれば紹介してください。

さて、今日はその教員の話です。
彼の教材を毎時間校長がチェックして、検閲を始めたのです。
そいて、何回も書き直させられて、ものすごいストレス状態になっています。

しかも、いちゃもんをつけられて、消されるのが、
・国歌「君が代」のすばらしさ、
・日本が日露戦争に勝った話、
・日本人の心の優しさや規律のすばらしさ、
・武士道精神(自己犠牲)
等など、日本と日本人の誇るべき長所、日本という国がいかにいい国かを紹介した部分なのです。

これでは彼の道徳授業の根幹(それが良い生徒を育ててきました)がこわされてしまいます。

その校長にはどうやら全く理想や信念はなく、さわぎを起こしたくないだけというからあきれます。
その学校に共産党の教員がいて、校長を突き上げているようです。

こんな教育者が許されるでしょうか?
私の友人は、ともに日本をけなす教育、日本の悪口を言う教育、先祖を蔑視する教育をやめようとして、日々努力してきました。
それがあからさまに弾圧される事態がうまれているのです。

どうかみなさん、危機感を持ってください。
このままでは日本は亡びてしまうでしょう。


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中学2年「日英同盟」の授業 3

3 ロシアの侵略から日本を守るために

ロシアの侵略から日本を守るために、どうしたらよいか。
2つの方針が対立した。

A 日露同盟で戦争を避けよう(伊藤博文)
B 日英同盟で日露戦争に勝利しよう(小村寿太郎)

みなさんが内閣の一員だったらどちらを指示しますか?
5分時間を与えてノートに書かせました。

生徒の意見分布はこうでした。
A(8名)   B(19名)

Aの意見

・ロシアと同盟が結べれば、戦争にならないから安心できる。
・戦争はできるだけやらないほうがいい。たくさん人が死んでしまう。いいことはひとつもない。
・戦争はいやだ。ロシアと仲良くすれば両方が傷つかないし、発展できる。
・戦争はさけて、なつべく平和な日本でいたい。ロシアは強国だから同盟すれば他の国から攻められることもなくなると思う。

Bの意見

・ロシアと同盟を組んでも、超大国なので結局下に置かれる。イギリスとだったらロシアに勝とうという同じ目標を持てるから協力できる。
・列強とは長いつきあいになるのだから、なるべく強い方と組んだほうがいい。
・シベリア鉄道で兵力を増やすから、今のうちにおさえなきゃ。打倒ロシア!!
・僕はイギリスと組めば無敵でロシアにも勝てるし、勝てばもう恐れることもなくなる。しかし、イギリスに国が乗っ取られないようにしたい。イギリスの方がロシアより話合いで解決できると思う。
・Aはロシアとの戦争を避けると書いてあるが、それはイギリスつぇんそうをする可能性が出てくる。どちらの戦争が日本に有利かと考えれば大英帝国を選んだ方がいい。貿易もイギリスとする方がメリットが多いと思う。

ここで教科書の小村寿太郎の意見書を参照する。
**************************************
《日露条約の問題点》
1 一時的に平和が得られてもロシアの侵略主義は止まらない。
2 シベリアの経済利益は小さい。
3 清国人はロシアを嫌っており、清における日本の利益に反する。
4 英国の海軍力と対抗しなければならない。

《日英同盟の利点》
1 英国は領土拡張ではなく通商利益が目的だ。英国と組めばロシアの野心をおさえられる。
2 日英同盟は平和目的で国際世論から支持される。
3 英国と結べば清国の信頼も増す。
4 韓国問題を解決するには英国と組んでロシアをおさえるしかない。
5 通商上の利益が大きく、シベリアとは比較にならない。
6 ロシア海軍のほうが対抗しやすい。
************************************

というわけで、伊藤博文らも説得され、日本は大英帝国と同盟を求めました。
英国は、名誉ある孤立を保ってきた世界1の超大国ですが、ついに小村寿太郎の交渉が実り世界をあっと言わせました。
義和団事件での帝国陸軍の活躍が英国の信頼を得る上で大きかったそうです。

1902(明治35年) 日英同盟締結

*************************************
日英同盟

第1条 清韓両国における両国の権益を互いに認める。
第2条 日英どちらかが開戦したら、片方は中立を守り、他国の参戦防止に努める。
*************************************

生徒は「なんだ共同で戦うんじゃないのか・・・」と不満げでした。
小村寿太郎はこう書いているよ。
「日英同盟に期待している人は多い。しかし、英国は日本の危機を心配して助けてくれるようなドン・キホーテではない。同盟で英国が日本のために戦うとしたら、英国も代償がいる。しかし、英国は日本が同盟国として共にヨーロッパで戦う力があるとは思っていない。この条約は英国にとっては東アジアへのロシアの進出を食い止め、英国の利益を守るのに役立つとみているに過ぎない。それでも、この同盟があれば、日本はロシア相手に戦うことができるのだ」

自分の国は自分で守るしかない。この同盟があれば、日本はひとりでも超大国ロシアと戦えるのだと言っています。戦争でも英国海軍に頼ろうなどとは考えていないのですね。

案の定、ロシアは韓国に手を伸ばします。
日本はシベリア鉄道による兵隊や大砲などの輸送を放置すれば、日本に勝ち目はなくなるとして開戦のチャンスをうかがいました。日英同盟から2年後、ついにアジア唯一の近代国家日本と、世界第2位の超大国ロシアの戦争が始まりました。

1904(明治37)年 2月8日 日露戦争開戦

戦いの行方は、次の授業です。では、ごきげんよう。



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中学2年「日英同盟」の授業 2

2 義和団事件

1900(明治33)年  義和団事件

義和団事件とは、幕末の過激な攘夷運動の清国版みたいなものです。
北京の外国公使館や外国人居住区などを攻撃しました。それだけならまだしも、なんと清国政府がこの攻撃を鎮圧せず、いっしょになって列国に宣戦布告したのです。
清がいかに条約を守らない国だったかがわかるでしょう。
だまってやられるわけにはいかないので、日本をはじめとする列国の大使館は連合軍を組織して戦いました。
日・露・英・仏・米・独・伊・墺です。
無事鎮圧するのですが、このとき大活躍してこの鎮圧の中心となったのが大日本帝国陸軍の活躍でした。
士気の高さ、日本軍にだけは略奪行為などがなかった規律ある行動などで、列国の賞賛を浴びたのです。
とくに柴五郎中佐の活躍が有名になり、世界中で報道されました。

******************************

英国書記官ランスロットの証言

日本兵が最も優秀であることはまちがいない。
士官の中では柴五郎中佐が最も優秀である。
日本兵の勇気と大胆さは驚くべきものだ。
わが水兵がこれに次ぐ。
しかし日本兵はずば抜けて一番だと思う。

英国義勇兵シンプソンの証言

少なくとも500名必要とする防衛戦に、わずか数十名の義勇兵しか残っていなかった。
が、日本兵はすばらしい指揮官に恵まれていた。
柴中佐はいつのまにか混乱を秩序へとまとめていた。
彼は部下を組織し前線を強化した。
彼はなすべきことはすべてやった。
自分はこの男に心を奪われていた。
*************************************

このとき、各国は北京周辺に、万が一の時のための駐兵権を得た。各国は1000名ほどの軍隊を置いて、清国政府が裏切るときのために備えた。
(このときの清との約束で置かれた日本軍が、1937年(昭和12年)7月の盧溝橋事件で出てくるので覚えておきましょう)

さて、この事件が日本にもたらした災厄がありました。
それはロシア陸軍が事件後も撤収せずに、満洲に残ったことです。こうして遼東半島と満洲がロシアの勢力権になりました。
また、ロシアは東アジアでの戦争のためにシベリア鉄道を建設し、やがて完成します。
そして、虎視眈々と日本が独立させた朝鮮にねらいを定めました。
危うし日本!


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中学2年「日英同盟」の授業

《授業の意図》
三国干渉によって誇りを傷つけられ、また国力の不足を思い知らされたわが国は、臥薪嘗胆を合い言葉に「ロシアの侵略から国を守るにはどうしたらいいか」という課題に取り組む。小村寿太郎らのリーダーシップと外交によって、わが国は大英帝国との同盟を選択し、ロシアとの開戦を覚悟する。三国干渉を受け入れるべきか否か、日露同盟か日英同盟かという場面で、祖国の進路を考えさせたいと思う。


1 三国干渉

下関条約に満足した日本国民に冷水をあびせるような事件が起きた。
ロシア・フランス・ドイツの連名による、三国干渉である。彼らは日本政府に要求した。
「遼東半島を清に返還せよ。・・・さもなくば戦争だ!」

まさに帝国主義そのものです。まったく戦争とは関係ない国が、講和会議で合意した内容にくちばしをはさんできたのです。世界2位の大国ロシアとそれに続く列強2国です。

みなさんが日本のリーダーだったら、どちらを選びますか?
A 返還し、戦争は避ける。
B 返還要求は断る。

生徒は、A(11名) B(17名)でした。
A・・・列強を3つ相手では戦えない。ここはがまんすべきだ。まだまだ日本はこれからだ。
B・・・何言ってんの?関係ない国が勝手なこと言うな。戦争で血を流したんだ。こんな奴らの言うことききたくない。

陸奥宗光や伊藤博文ら明治政府は、Aを選び、清国に遼東半島を返還した。
強い国は勝手なことを言える時代だった。
とりわけアジア人の国日本には何を言っても何をやっても許された時代だった。

しかし、ことはそれだけではすまなかった。
3年後、その遼東半島をロシアが清から奪い取り、旅順にロシア東洋艦隊の軍港を築いた。
旅順の周囲の山々には、史上最強のトーチカを築いた。
ウラジオストク港と旅順港で、日本海はロシアの勢力圏になった。
生徒は「くやしい!」と言った。
私たちの先祖もたしかにくやしかったのだ。
(つづき)


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中学2年「日清戦争」の授業

《授業の意図》
弱肉強食の帝国主義の時代に立憲体制を確立した日本は、恐ろしい列強(とりわけロシア)の侵略から国民の自由と安全を守るという大きな課題に直面した。戦略的要地(利益線)である李氏朝鮮がこのまま清の属国であれば、いずれはロシアにのみ込まれ、そうなればわが国の運命は風前の灯火である。危機に直面した先人がどのような戦略を持って朝鮮の独立をめざし、大国清を打ち破って朝鮮を独立させたかを、感動を持って理解させたい。

1 帝国主義の時代
 憲法と議会を実現して、名実共に近代立憲国家となった日本の前にあったのは、策略と軍事力で領土を広げ、植民地を広げていく西洋列強の帝国主義でした。
 世界のルールは軍事的な強者がつくり、それに無理矢理世界を従わせ、ルールでは都合が悪くなるとこんどは力で押しつぶすという、いわばやくざかチンピラの世界でした。
 そんな連中と対等につきあうためにはどうしたらいいか?
 日本は地球の裏側まで出かけていって植民地をつくろうなどという自分勝手な国はめざしませんでした。
 祖国日本を守ることだけを考えていました。
 当時の世界は「イギリスVSロシア」の2大国の対立を軸にまわっていました。ロシアは冬でも凍らない軍港を持ちたいと南下します。地中海に出ようとしてイギリスに邪魔され、こんどは極東をめざしました。ロシアのねらいは満洲そして朝鮮でした。
 今日からしばらくテーマは「恐ろしいロシアから日本を守るにはどうしたらいいか?」です。

2 国の独立を守るために
帝国議会での山県有朋首相の演説(1890年)から入ります。
************************************
山県有朋首相の演説(明治23年)

 わが国の予算の中で最大の出費は、陸海軍の費用です。
 そもそも国の独立と安全を守るには二つの道があります。
 一つは国の主権線を守ること。主権線とは領土の境界(国境)を守ることです。
 二つは国の利益線を守ること。利益線とは国の主権線の安全または危険に密接に関係している地域を守ることです。
 さて、この利益線を考えない国はありません。
 とりわけ、西洋列強の進出するアジアにあって、わが国の独立を守るためには、ただ主権線を守るだけでは不十分なのです。
 利益線を守らなければ、日本の安全はありません。
 そのためにも、この予算案にあるように巨大な金額を陸海軍の費用にあてなくてはならにのです。

***************************************
東アジア地図を示して、次のように問いました。

「山県有朋の言う、明治日本の主権線(国境)は、左の図の通りです。では、利益線(国の安全にとって最も重要なところ)とは具体的にどこのことだと思いますか? 」
A 樺太
B 朝鮮半島
C 台湾

生徒は、樺太(10名)、朝鮮半島(28名)になりました。
ともに「ロシアがそこを通って攻めてくるかもしれない」という意見でした。
朝鮮半島派は、元寇を持ち出しました。
山県有朋は朝鮮半島を利益線としていました。

しかし、朝鮮は李朝の独裁支配が続きまったく世界の現状を理解できません。さらに困ったことに、李氏朝鮮は古代からのしきたりに従って、清の属国(華夷秩序・中華冊封体制)のままでした。
まさにロシアの思うつぼという状況でした。

日本と清の思惑を図示し説明します。

《日本》・・・朝鮮を清から独立させ、日本の援助で近代化を進め、協力して朝鮮がロシアに支配されるのを防ぎたい。

《清》・・・・・朝鮮を属国のままにして、東アジアの親分という立場を守りたい。(ベトナムはフランスに取られた)


3 対立から戦争へ

朝鮮の支配階級は自分たちの特権にしがみつき、変わろうとしません。それどころか明治日本を「西洋のまねをするサル」とバカにしていたことは前に取り上げました。
しかし、朝鮮の中にも「いつまでも古い身分差別の国のままではダメだ。王や支配者たちは中国を後ろ盾にして国を支配しているが、われわれも明治維新にならって李朝を倒し、日本を見習って近代化しよう」という勢力が出てきます。
王自身や支配階級の中からも、真の愛国者=近代化派=日本派が現れます。
金玉均などです。
福沢諭吉を始め朝鮮を心配していた人たちが彼らを応援しました。
金玉均

こうして朝鮮をめぐって、清と日本の対立が激しくなっていきました。
やがて武力衝突も起きます。

1882(明治15)年  壬午事変・・・日本派の韓国王が倒され、日本公使館が焼かれ、日本人将校が殺された。
1884(明治17)年  甲申事変・・・真からの独立をとなえる金玉均ら改革派が立ち上がったが、朝鮮にい                                た清の軍隊に敗れて失敗した。

2回とも日本の意志がつぶされた事件だった。
福沢諭吉は言った。
「今後10年間、清との戦争に備えて軍備を増強しよう。」
こうして、その後10年間わが国は貧しい財政の中から軍事費をふりしぼって、帝国海軍の戦艦を増やしていった。


4 そして10年たった

10年後の1894(明治27)年、日本の海軍は総排水量6万トンになった。清は8.5万トン。戦艦の数ではほぼ追いついた。総兵力は、清が35万人、日本が12万人。
みなさんが当時のリーダーだったらどちらを選びますか?と問います。

A 戦いを避けて話し合いで進めよう(伊藤博文らの意見)
B 清と戦おう(陸奥宗光らの意見)

生徒の意見は・・・A(7名)、B(21名)だった。

1894年 甲午農民戦争・・・地方の代官の悪政に農民が反乱を起こした。朝鮮王は清の軍隊に自国の農民の鎮圧を頼んだ。日本はこれに対抗して出兵。清と日本が激突することになった。

1894(明治27)年  日清戦争
戦争が始まったとき、世界は日本が負けるとみていた。清は「眠れる獅子」だったからだ。
しかし、開戦たちまち日本の圧倒的な勝利だった。
清が和を乞うてきたのだ。

勝因は何だったか。
それは国家の違いである。
清は皇帝の国だった。人民は皇帝の私物である。軍隊は傭兵だ。傭兵にとって清とは祖国とは言えない。
また清国海軍の戦艦はイギリス人が動かしていた。中国人は乗っているだけだった。
日本は国民の国(=天皇の国)だった。兵にとってこれは祖国を守る戦いだった。
帝国陸海軍の志気は圧倒的だった。世界水準で訓練の行き届いた規律ある軍であった。
国民の愛国心も圧倒的だった。明治天皇の下に一致団結していた。

翌1895(明治28)年、下関講和会議が開かれた。
日本側は、伊藤博文、陸奥宗光。清国側は伊藤とも親交のあった李鴻章である。

話し合いの上で決着した下関講和条約の骨子は以下の通り。

・ 朝鮮の清からの独立(これが第一条だ)
・ 領土を得た(遼東半島・台湾)
・ 賠償金を得た(3億円)・・・これは日本の財政の3年分。八幡製鉄を建て日本の重工業が始まった。

めでたしめでたし。

心にかかっている感想文を一つだけ紹介する。
*どんなに人を殺すのが良くないか小さいときから聞かされていた私にとって、日清戦争は考えられませんでした。
でも、戦争の本当のその当時のことがわかって、その当時の人はどんな気持ちだったでしょうかと考えるようになりました。もっと、当時のご先祖様たちの心によりそって物事を考えることが大事だと思いました。

みなさんはどう思われただろうか。



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吉田ドクトリンとは何か 2

マッカーサーは憲法を押しつけてできれば1年くらいで講和しようと考えていた。

1947年の対日講和バーンズ案の骨子はこうだった。
・軍隊保持禁止
・航空機保有禁止(軍民問わず)
・軍需転用可能工業と商船隊の制限
・極東委員会国代表が常駐、今後25年間
・・・・芦田内閣の要望案には「日本は要望する立場ではなく強制される立場である」と答えた。

1948年 アイゼルバーガー中将は3~5師団の日本軍再建計画をマッカーサーに提出。
マッカーサーは握りつぶした。その理由は以下の5点だった。
1 アメリカの神聖な国際約束に反しては、アジア諸国の反発を招く。
2 占領軍の威信を失墜される。
3 植民地の内日本に5等国以上の軍備は持てず、それではソ連に対する脅威にならない。
4 日本の経済力は軍事負担に耐えられない。
5 日本国民は戦争放棄を支持しているし、再軍備を決して欲していない。

吉田茂とマッカーサーの考えはまったく同じだった。
吉田も再軍備は欲していなかった。

1948年 ベルリン封鎖。しかし、米ソ冷戦はますます深刻化した。
1949年 中華人民共和国成立

それでも吉田は11月に言った。
「わが国を安全保障する唯一の道は非武装国家として列国に先んじて戦争を放棄したことだ。平和を愛好する世界の世論を味方にすることだ」

1950年、二人は少し転向する。
元旦のマッカーサー演説
「日本の戦争放棄を幻想だと笑う者もいるが、これにまどわされてはいけない。これは日本の発意によるものであり、最高の倫理的理想にもとづくものである。これ以上本質的に健全で実際的憲法条項はありえない。もちろんどう理屈をつけてみても、それは他国の攻撃に対する固有の自衛権を完全に否定すると解釈することはできない。が、これこそ、剣を持って敗れた国が、剣に訴えない国際的道徳と正義の最後の勝利への信頼を高らかにうたいあげるものである。

吉田の1月施政方針戦説
「 戦争放棄の趣旨に徹することは、決して自衛権の放棄を意味するものではない」

4月、吉田は池田・宮沢を訪米させてメッセージを伝えた。
「講和後も、アメリカは日本を含めたアジア全域の安全保障のために、軍隊を日本に駐留させて置く必要があるだろうが、それをアメリカから言い出しにくければ、日本からお願いしてもいい」

6月、トルーマンの意志を伝えにダレスが来日した。
骨子は3つだった。
1 日本を独立させ、国連(UN)に加盟させる。
2 日本の経済復興を促進させるために尽力する。
3 安全保障の取り決めに至る過渡的な処置として、間接侵略を防ぐための強大な警察軍を創設する。

6月22日ダレス・吉田会談
吉田は再軍備の言質をあたえないためにはぐらかす。ダレスはあきれる。

2日後、朝鮮戦争が始まった。

ウイロビーは服部卓四郎とくんで再軍備プランを出したが、吉田・マッカーサーに握りつぶされる。
7月 GHQの警察予備隊創設指令
8月10日警察予備隊令、23日7000名入隊。
吉田は言う「これは再軍備とは関係ない。共産侵略に備えて警察力を強化するものだ」
GHQは再軍備批判の言論統制を実施。

夏、レッドパージが進む。

9月 ダレス記者会見
1 日本お菜軍備に制限を設けず、経済通商の自由を最大限認め、国連加盟と反共同盟への参加を促進する。
2 極東における共産主義の侵略から日本を守るために、米軍が日本に駐留する権利を得る。

同9月 トルーマンが対日講話を決断する。

1951年(昭和26年)1月29日 ダレス・吉田会談
・講和後の米軍駐留は決定。
・再軍備について。吉田「たいへんゆっくり進める必要がある」ダレス「集団安全保障(国連)には貢献すべきだ」

マッカーサーはこう言った。「自由世界が日本に求むべきは軍事力ではない。生産力と労働力を活用すべきだ」

1月31日第2回ダレス・吉田会談
・マッカーサーが折れ、吉田も従う。再軍備を約束した。「講和後に保安隊を設置する」
・吉田は「保安隊は警察力」と国民に説明した。吉田本人もできれば再軍備は避けたい(講和後反故にする)と考えていた節がある。

当時外務省からアメリカ政府に提出された文書が1977.5.13 に東京新聞にスクープされた。
「海陸を含めて新たに5万人の保安隊(仮称)を設ける。(中略)この5万が日本に再検査れる民主的軍隊の発足となる。
「自衛企画本部を国家自治省の自衛部に設置する。これは将来の民主的な軍隊の参謀本部になる」

1951年3月25日 ダレス帰国。

ほどなく吉田に、対日講和条約草案が届き、UPがこれをスクープ。日本の各紙にも載った。

4月11日 マッカーサー解任。

9月8日 サンフランシスコ講和条約調印。日米安全保障条約調印

ロベール・ギラン(ル・モンド特派員)
「米軍基地の設置・移動などについて日本政府との協議義務がない。条約の期限がない。アメリカには日本を防衛する義務はない。など、この条約は極めて不平等な単なる《駐軍条約》である」

10月26日 国会が批准した。



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日本人がいまやるべきこと

保守のおじさんたちが集まって、保守論壇の先生を高い講演料を出してお招きし、お話を聞いてから、懇親会で飲んで気勢を上げる。

こんなこともうやめたらどうか。
時間の無駄だし何の役にもたたぬ。

それよりも韓国大使館や中国大使館に攻撃をかけることがだいじだ。
創価学会や公明党や共産党や朝日新聞やNHKに攻撃をかけることも大事だ。

また、何よりも大事なのは学校に攻撃をかけることだ。
広島や韓国の修学旅行をやめさせて、知覧と靖国神社に行かせる。
これだけでも日本は変わっていく。

また歴史の授業(小学校6年生、中学校1.2年生)を見学に行くことだ。
いまは、学校は公開が原則だから断れない。
反日や自虐教育、反天皇教育などがあったら校長や教育委員会にしっかり抗議する。

とにかく、教育基本法や学習指導要領を見れば、いま学校でやっている歴史・公民・国語教育はみんなおかしいのだ。
児童生徒を正しく育てることこそ、日本の未来を切り拓く唯一の道であります。
よろしく!!!

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吉田ドクトリンとは何か 1

読んだり考えたりするがただそれだけ、かもしれない。以下は引用だけ。

吉田茂「日本を決定した百年」
戦後の日本人は、敗戦と占領という状況に直面したとき、ずる賢く占領軍を迎えるのではなく、占領軍が指示した大変革に男らしい態度をとり、言うべきは言った後で改革を行い、その改革の中に日本を再建する方法を見いだそうとした。
それができたのは日本人が過去の過ちにくよくよする代わりに、現実を見つめ、こつこつ働いたためであった。
攘夷に失敗して西欧諸国の力を知った武士たちがあっさり開国に踏み切ったように、戦争に敗れた日本人は敵の美点を認めたのである。
疑いもなく日本人は「Good Loser(よき敗者)」だったのである。

赤坂真理「東京プリズン」
なるほど私の国の人たちは、戦争が終わって、女のように振る舞ったのではないかと。男も女も、男を迎える女ように、占領軍を歓迎した。
多少の葛藤はあったとしても相手に対して表現せず、抵抗を見せなかった。
それどころか、占領軍を気持ちよくするためのことが、公にも個人レベルでも行われ、じじつ、日本人は占領軍と仲良くやった。
まれに見る仲むつまじい占領だったのではないか。

・・・恥じながら、かつての敵をもてなした。
決して武士のようにではなく、男を迎える女のようにサービスした。
それを戦争を知らない私たちでもどことなく感じ取ってる。
戦争に負けたのは、いい。
だけれど、自分を負かした強い者を気持ちよくして利益を引き出したら、それは娼婦だ。
つづく世代は混乱する。
誇りがなくなってしまう。


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プロフィール

授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫

Author:授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫
戦後70年間日本の教育は根無し草の「世界市民」を育ててきました。そのため小中学校の歴史教育はウソとタブーによって大事な内容が教えられていません。また誤って教えられています。
「授業づくりJAPAN」は、日本の教育のウソとタブーを排し、真実とフェアネスを取り戻していきます。
かつてGHQに禁じられた教育は現在も禁じられたままです。私たちは「日本人を育てる教育」を取り戻します。そのために、命ある限り授業づくりとその普及につとめます。私たちは「誇りある日本人」こそが「真の国際人」になれると信じています。

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