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教師のための歴史授業セミナーin市川


10月18日(土)は市川で「教師のための歴史授業セミナー」の3回目をやりました。
日本の朝鮮統治や昭和の戦争を正しく教えようという内容を、模擬授業のかたちで提案しました。

義務教育段階の歴史教育は
「日本は世界に誇れるほんとうにすばらしい国だとわかった。日本に生まれてほんとうによかった!」
という認識と自信をゆるぎないものとすることが最も重要であり、この目標を決して外してはならないということです。

自国に誇りを持てれば、自分にも誇りが持てるようになり、自己肯定感をしっかり持った自我が育ちます。児童生徒の道徳性も確実に高まります。

しかし、新聞や教科書や図書館に置いてある本のほとんどにはウソばかり書いてあるので、これからいっしょ勉強して参りましょうという呼びかけをいたしました。

これでシーズンⅠは終了、来年度はさらに実践的な内容にしていこうと考えています。3回でのべ100名の先生方が参加してくださり、リピーターも増えました。千葉の先生はホントに素晴らしい方ばかりでした。渡邉先生はじめみなさまありがとうございました。

また、これをきっかけに義務教育の現場を変革する運動として、深く静かにねばり強く全国展開して参りたいと思っています。
わたしたちはまだ小さな力しかありません。
みなさま、どうかお力を貸してください。
よろしくお願いします。

受講者の感想文を紹介します。

「齋藤先生、有難うございました。「この国に生まれてよかった」と思えたのは、私自身です。歴史を子供たちに教える意味がわかりました。そして、それが真実であるということが。日本人として誇りに思います。早く教科書がただいい事実を伝えるべきことを望みます」


「今日、初めて参加させていただき、驚くことばかりでした。自分の日本に対する考え方や歴史に対する考え方は、小学校の頃に授業を受けたままでした。それが今日のお話を聞いて変わりました。今年は6年生を教えているのですが、その当時の人々の思いや考え方を伝えることができていないことがよく感じました。今日聞いた所の思いだけでもクラスの子ども達にしっかりと伝えていければと思います。先生が最後に仰っていた子ども達が日本に生まれてよかったと思えるよう私も努力を重ねていきたいと思います」

「前回、初めて受講し、今回のお話をお聞きして是非また受講したいと思ってまいりました。特に心に残ったのは韓国併合のお話です。七奪のこと、最近はニュースでもよく耳にするので興味を持ちました。真実を見極めること、知ることの大切さを強く感じた3時間半でした。最後の先生のこの国に生まれてよかったと子どもたちに思ってもらいたいという言葉、心に深く残りました。まだまだ勉強不足なので、もっともっと勉強して、自分自身がより日本という国を好きになって、それを子どもたちに伝えたいと思います」


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改訂版19 「明治日本の目標達成」

★ポーツマス条約が結ばれ、関税自主権が回復されて、ようやく幕末以来の日本人の願いが、近代日本の国づくりの目標が実る。その感動の現場に児童生徒たちを立ち会わせよう。


1 戦争の終わらせ方

ロシアのような強大な国と戦争をすると決めたとき、日本のリーダー伊藤博文がまず最初に考えたことは、どうやってこの戦争を終わらせるかということでした。日本はロシアを征服したいわけでは亡く、祖国をロシアの侵略から守りたいだけですから、ロシア軍を満州から追い出せればいいのです。
どこか途中で戦争を終わらせなければなりません。
┌────────────────────────────────────┐
│ 伊藤博文はどんな手を打ったのでしょうか? これは、戦争を終わらせるには │
│ どうしたらいいのかという問題です。 │
└────────────────────────────────────┘
*アイディア(思いつき)を発表させ、ほめる。

◆伊藤博文は、戦争が始まるとすぐに金子堅太郎をアメリカに派遣し、アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトに講和の仲介を頼んでおいた。ルーズベルトと金子はハーバード大学の同窓生でした。

ルーズベルトは、日本海海戦の勝利を見て感動し、ただちに仲介に乗り出してくれた。

日本はこれ以上戦い続ける力は残っていなかったので、まさにグッドタイミングだった。


2 ポーツマス条約

アメリカのポーツマスで講和会議が開かれた。

◆板書:明治38年(1905)8月 ポーツマス講和会議
    日本代表(小村寿太郎)

◆小村の写真を貼る
┌────────────────────────────────────┐
│ 政府は小村に対して、戦争を終わらせるために、これだけは絶対ロシアに受け入れさせなければならない要求を
  指示しました。 │
│ それは次のどれでしょうか? │
│ │
│ A:樺太を日本の領土にする。 │
│ B:賠償金をはらわせる。 │
│ C:韓国のことは日本にまかせ、口出ししないと約束させる。 │
└────────────────────────────────────┘

*意見分布をとり、話し合わせる。

◆正解はC. これ以上戦いを続けられない日本が賠償金を取ることはできなかった。
┌────────────────────────────────────┐
│ 国民は小村寿太郎をどのように迎えたでしょうか? │
│ A:拍手で迎えた  B:ブーイングで迎えた │
└────────────────────────────────────┘
*意見分布をとり、話し合わせる。

◆資料「小村寿太郎とポーツマス講和条約」を読んで、事実を知る。
******************************
 小村寿太郎とポーツマス講和条約
小村寿太郎はペリー来航の二年後、宮崎飫肥(おび)藩の武士の家に生まれました。明治七年イギリスに留学して法律を学び、四十六歳で外務大臣になりました。

小村は友人にこう話していました。
「貧乏に生まれたのが一つの楽しみ。国を愛するのが二つ目の楽しみ。国のためにつくすのが三つ目の楽しみ」

 この言葉の通り、小村は外交官として偉大な仕事をしました。
第一は日英同盟(にちえいどうめい)をむすんだことです。
これがなければ日露戦争は戦えなかったでしょう。
第二はポーツマス講和会議(こうわかいぎ)に日本代表として出席して、ポーツマス条約を結んだことです。

 ポーツマス会議に出席した小村に、政府は次のように指示していました。

「交渉は厳しいものになるだろうが、これだけはゆずってはいけない要求が一つある。それは、
『①日露両軍が満州から引き上げ、韓国のことは日本にまかせる(ロシアが口出ししない)』
と約束させることだ。
できれば、②ばいしょう金を取る ②樺太(からふと)を日本領土にする、などを勝ち取ってほしい」

 なぜ朝鮮半島と満州(まんしゅう)がいちばん重要なのでしょうか。小村寿太郎は言います。

「平和、平和と百万回となえても、平和を手にすることはできない。
真に平和を望むのなら、国防を確立することだ。
敵を一兵たりとも国内に入れないための備えをすることだ。
そのためのたった一つの方法は、大陸に鉄条網をはることである」

 大国ロシアから日本を守るには、通り道である朝鮮半島を日本の防波堤にするしかないというのです。また、朝鮮とロシアの間にある満州も重要な場所になります。

 ロシアは、①は受け入れましたが、他のことは強く反対しました。まだロシアは完全に負けたわけではないからです。

 しかし、小村はかんたんには引き下がりません。
ねばり強い交渉を続け、①だけでなく、②樺太は南半分を日本領土とする、③遼東半島(りょうとうはんとう)の一部を日本の領土(りょうど)とする、④満州の鉄道を日本が経営する、をかちとりました。

しかし、ばいしょう金を取ることはできませんでした。イギリスから国家予算の何倍もの借金をして戦った日本にとって、これはきびしい結果でした。
しかし、伊藤博文などリーダーたちは、小村のがんばりをほめました。「戦争を続けてもいい」と言うロシアにここまでゆずらせた小、村の努力がよくわかっていたからです。

 しかし、帰国した小村を待っていたのは、国民のはげしいブーイングでした。
国民は「二十万人もの血を流してこれだけか!」と怒り、東京では暴動(ぼうどう)が起きたほどです。国民は、日本にはもう戦う力がないことを知らなかったのです。

もし小村がポーツマス講和条約(こうわじょうやく)を結ぶのに失敗していたら、戦争は再開され、日本はこんどこそあやうかったというのが真実でした。政府も小村も、それを国民に言うことができず、国民の抗議にはだまってたえるしかありませんでした。
*********************************

■板書:ポーツマス条約①韓国は日本に任せる。 
           ②樺太の南半分、遼東半島、
           ③南満州鉄道の経営権
 *賠償金は要求しない。

◆地図に、日本領土を赤く塗る。
◆西洋列強ならば、20万人の死傷者を出して占領した満州全土を自国の領土としたことでしょう。しかし日本は遼東半島と満州鉄道を手に入れただけで、残りはすべて清に返してしまいました。真の帝国主義国にはなれなかったのです。これが昭和になってから苦しみの元になります。日本の善意がすべて裏切られていくのですが、それはまた後の話です。


3 戦争の結果

『その5年後、日本は決定的なある決断をしました。朝鮮を日本領土にしたのです。朝鮮に攻め込んで支配したのではなく、条約を結んで支配したのです。賛成した朝鮮人もたくさんいました。反対だった朝鮮人もたくさんいました。ロシアなら、迷わず支配したでしょう。伊藤博文などは「保護国のまま独立は維持する」という考えでした。しかし、韓国が自力で独立を守り近代国家を築くことは不可能でした。その伊藤も朝鮮人安重根に暗殺されてしまい、日本は韓国を併合することを決断します。韓国からも併合を希望する人々の声が高まっていました。日本は、日本の安全のために、韓国を日本領とする立場を選んだのです。韓国政府と日本政府は条約を結んで合法的に韓国は日本の一部になりました』
◆板書:明治43年(1911) 朝鮮併合(1945まで)
◆西洋列強は、日本の韓国併合を当然のこととして受けとめました。弱肉強食が当たり前の時代でした。多くの国民の血を流して勝ち取った立場だからです。【帝国主義】
┌─────────────────────────────────────┐
│ その翌年、小村寿太郎は外交官として、ある偉大な仕事をしました。 │
│ それは何でしょうか? │
└─────────────────────────────────────┘
◆板書:明治44年:関税自主権を回復した→不平等条約の完全改正
◆ペリー来航以来の悲願、明治の国作りの大目標「西洋列強と対等な国」が実現したのです!!!
◆日英同盟、日清・日露の戦い、そして朝鮮併合によって、ようやくペリー来航以来の日本人の夢がついにかないました。
西洋列強と対等につきあえる正真正銘の独立国になったのです。
明治になって44年、ペリー来航から約60年、維新の志士たちやそれを受け継いだご先祖さまたちの団結と死にものぐるいの努力がようやく実ったのです。
(万歳!)


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改訂版18「日露戦争」

★日露戦争は偉大な祖国防衛戦争でした。有色人種の国日本が白人帝国主義列強の大国ロシアを破りました。白人が有色人種を支配するという世界史の大きな流れを一変させた戦争です。日本人は祖国の存亡をかけて一致団結してこの戦争を戦いました。これが国史における日露戦争の正しい姿です。児童生徒の正義感に正しく向き合って、歴史の真実を伝えましょう。


1 戦争の原因

◆資料「明治日本が一番恐れた国・ロシア」を読む。
*******************************
 明治日本がいちば恐れた国・ロシア 
ペリーが日本に来たころクリミア戦争が起きた。ロシアがトルコに進出しようとしたのをイギリス・フランスなどがゆるさなかった戦争だ。ロシアが南に領地を広げようとしたのは、冬でもこおらない港がほしかったからだった。
 ロシアはこの戦争に負けて、西の海に出るのはあきらめた。そして東に出てきたのだ。日本海にウラジオストクというロシアの港があるが、それは「東を征服する」という意味だった。
ロシアは日本が日清戦争で手に入れた遼東半島を清に返させ、そこを自分のものにした。そして半島の先の旅順港を軍港にした。
 さらに北清事変のあと満州に陸軍を配置し占領していた。朝鮮には日本派とロシア派がいて争っていたが、もうこうなっては強大なロシアの言うことをきくしかない。朝鮮は半島の南の港をロシアに与えようとしていた。
 しかも、シベリア鉄道がウラジオストクまで延びてきた。いざというときに、大量の兵隊や武器や弾薬を運ぶためだった。
明治日本は、このロシアを心の底から恐れていた。多くの国民が苦しみにたえ、貧乏もがまんし、けんめいに努力して、ようやくここまできた国が、大風の前のロウソクの火のようにゆれていた。
 そのとき、明治日本のリーダーたちの前に、祖国日本を救うための二つの道が提案された。
┌─────────────────────────┐
│A【伊藤博文】超大国ロシアとは戦えない。ロシアと同盟を結んでこの大国と仲良くしよう。それこそが日本を救う道だ。│
│B【小村寿太郎】超大国イギリスと同盟を結び、その圧力で、ロシアの朝鮮支配を止めよう。ダメならば戦争を決意すべ  きだ。
└─────────────────────────┘
********************************
◆地図でロシアの進出をおさえる。
 遼東半島、満州、ウラジオストク、シベリア鉄道
◆板書:A:日露協商 B:日英同盟
   伊藤と小村の写真を見せる。

『A:伊藤案「日露同盟」とB:小村寿太郎案「日英同盟」のどちらを
選ぶべきでしょうか?』

*意見分布をとり、理由を言わせる。
◆明治35(1902年) 日英同盟(日本とイギリス)
◆日本は世界一の国に支えてもらう。イギリスは日本にロシアを止めてもらうことでシナ大陸の利権を守れる。


2 開戦の決断

◆地図でロシアの進出をおさえる。

『ロシアがますます朝鮮半島に出てきた。このまま朝鮮を取られたら日本は滅びる。ロシア討つべしという声が国中に満ちた。しかし、リーダー達は迷っていた。』

◆ロシアと日本の国力比較・・・60:1の領土
 ①国家予算 ロシア(20億円) 日本(2億円)
 ②陸軍    ロシア(200万人) 日本(100万人)
 ③大砲     ロシア(2260門)  日本(636門)
 ④戦艦    ロシア(15隻) 日本(6隻)


『しかし、日本は戦うことを決断しました。すべての政党が賛成し、国民のほとんどがこれは祖国防衛戦争だと考えて立ち上がりました。もちろん新聞や雑誌には一部の反対意見もありました。伊藤は負けることも覚悟しその時は一兵隊になって出ると言いました』

◆板書:明治37年(1904)2月 日露戦争始まる
◆イギリスの掛け率は、80%ロシアの勝ちと予想した。


3 運命の戦い

◆陸の戦いも海の戦いも勝利する。

①陸の戦い
◆板書:ロシア25万人 VS 日本16万人
◆乃木大将の写真を見せ、旅順攻略線の意義を説明する。水師営の会見の武士道。

②海の戦い
◆東郷平八郎の写真、プリント「東郷平八郎と日本海海戦」を読む。
******************************

お話「東郷平八郎大将と日本海海戦」(ちょっと長い!) 
 海軍元帥東郷平八郎は幕末、鹿児島の加治屋町に生まれました。西郷や大久保が生まれたのと同じ町です。
 薩英戦争に十五歳で参戦してから、軍人の道を歩み、二十五歳で当時世界最強の海軍国イギリスに留学して学びました。慎重さと決断力をあわせもつ、たいへんな努力家でした。
 ロシアとの戦いを前にして、山本権兵衛海軍大臣は、東郷平八郎を大日本帝国海軍・連合艦隊の司令長官に任命しました。出世の順序からすると、まだまだ東郷の出番ではなかったのですが、その理由を聞かれた山本は「運の強い男だから」と答えたそうです。
こうして、東郷司令長官は、イギリスがつくった最新の戦艦三笠に乗りこみ、連合艦隊の指揮をとることになりました。
 日本が大陸で戦うには、日本海と黄海が安全であることが絶対の条件でした。なぜなら、兵士も弾薬も食料も、船で運ぶしかないからです。しかし、その輸送船が、ロシアの東洋艦隊によって十三せきも沈められていました。ロシアの軍艦は船を沈めるとすぐに、旅順港やウラジオストク港に逃げ込んでしまいます。
 海軍はまず陸軍の補給を確保するために、旅順港閉鎖作戦を行いました。港の出入り口に古い船を沈めて、ロシアの東洋艦隊が港から出て来られないようにするためでした。しかし、これは完全な成功とはいえず、彼らは港内に身を潜めて安全を確保しつつ、いざとなればいつでも日本海に出てくる態勢をとっていました。
 そんなとき、「ロシアのバルチック艦隊が日本に向けて出発した」という情報が入ったのです。 バルチック艦隊が来ては、戦艦の数が十五対六になり、どうやっても日本に勝ち目はありません。東郷平八郎は、バルチック艦隊がやってくる前に、ロシアの東洋艦隊をつぶすしかないと考えました。それができれば、戦艦の数で八対六の戦いに持ち込めます。
 旅順港の東洋艦隊は、バルチック艦隊が到着するまで出てこないでしょう。そこで日本は、この旅順港を陸から攻撃することにしました。旅順港を囲む山の上にはロシアの近代的な要塞がならび、大きな大砲や機関銃(新兵器)がいくつもありました。山の下から何度攻め上っても、丸見えの日本軍は全部撃たれてしまいます。この二〇三高地の戦いはまことにむごたらしいありさまになりました。しかし、これに勝たなければ海はロシアのものになり、大陸にいる日本軍は補給ができずに全滅してしまうでしょう。そうなってはもう日本はほろびるしかありません。決死の突撃をくりかえし、日本軍はとうとうこの戦いに勝利しました。山の上からは港が丸見えでした。占領したロシアの大砲が港に向けて火をふきました。こうして、旅順港のロシア東洋艦隊はすべて沈んだのです。しかし、この戦いで日本軍六万人もが戦死してしまいました。
 東郷は陸軍の働きに心から感謝し、バルチック艦隊は必ず沈めると心にちかいました。
そこで東郷は、大砲の命中率を上げるためにもうれつな訓練を続けさせました。その訓練で、当時3%といわれた命中率を倍以上に高めたそうです。それは世界の海軍の常識をはるかにこえるものでした。
 また大砲の一斉撃ちという新戦術も訓練しました。それまでの海戦では、それぞれの戦艦の大砲は、その船の艦長の指揮で撃っていました。しかし、東郷は最新式の戦艦に装備されていた無線で連絡でして、全艦が一斉に撃つという方法をあみだしました。まず一発撃って敵艦の位置をつかみ、それを無線ですべての戦艦に指示して、一斉にねらいを定めて撃つのです。一点集中攻撃です。
 この一斉撃ちを生かしたのがT字戦法という作戦でした。それまでの世界の海戦は艦隊がすれちがいながら戦うのがふつうでした。しかし、T字戦法とは大砲のとどく距離ぎりぎりのところで、ターンして敵の艦隊の前を横切りながら攻撃するのです。しかし、それはたいへん危険な作戦でした。なぜなら、敵の目の前で大きくターンするとき、敵は大砲を撃ってきますが、こちらはねらいを定めることができず、撃つことができないからです。またターンした後は、敵に腹を見せるかたちになるので、敵にとっては的が大きくなるわけです。しかし東郷は危険をわかったうえで、当たり前の戦術では大きな力の差はうちやぶれないと考えたのです。
 ではT字戦法のねらいは何でしょうか。それは、前に書いた一斉撃ちをやり、先頭の敵艦一点に集中砲撃して、確実にそして順番に沈めていくことなのです。まさにいちかばちかの挑戦でした。東郷平八郎は、この一斉ターンを何度も何度も訓練させながら、バルチック艦隊の到着を待ちました。
日英同盟のおかげで、アジアやアフリカに植民地を持つイギリスからは、「○月○日、アフリカの○○港を出た」など次々と情報が入り、いつごろ日本海に着くかは予想することができました。しかし、バルチック艦隊はマラッカ海峡を出てから行方がわからなくなってしまったのです。
 対馬海峡を来るのか、津軽海峡を来るのか、それが問題です。もし取り逃がして、ウラジオストクに入られたら、日本海はまた危険な海になってしまいます。やってくるところをとらえて、大海戦をやり、一挙に決着をつけるしかないのです。そうしなければ、大陸の日本軍は補給がとだえてしまいます。
 まず敵を見つけること。しかも、この海戦に完ぺきに勝利すること。明治日本のの運命を決するむずかしい二つの仕事が、東郷司令長官に与えられた使命でした。

一九〇五年(明治三八年)五月二十五日。すべての艦長が三笠に集められました。 もう対馬で待ち続けるのは限界でした。「いくらなんでもおそすぎる」「バルチック艦隊は、太平洋を通って津軽海峡に向かったのだ」こうして長い作戦会議は終わりました。しかし、東郷は「津軽海峡に行け」という命令をその場では出しませんでした。一日だけ待つことにしたのです。命令書を封筒に入れて艦長たちに渡し、こう言いました。「この命令書は、今から二四時間後に読みなさい」
 この一日待つという判断が的中しました。信濃丸という船から「敵艦見ゆ」の暗号が三笠にとどいたのは、まさにその翌日の二十七日の早朝のことだったからです。
 「運のいい男」東郷平八郎は、ただちに全艦に出撃を命じました。
**********************************

◆丁字戦法を図示して説明する。
◆板書・・・明治37(1905)5月・日本海海戦:バルチック艦隊VS日本連合艦隊
                        (戦艦15→8) (戦艦6→4)
◆電文1「敵艦隊見ゆとの警報に接し、連合艦隊はただちに出動。これを撃滅せんとす。本日、天気晴朗なれども波高し」
   
◆Z旗を見せ、東郷大将は全艦・全将兵に檄を発す。「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」

■ビデオ「日本海海戦」のCG部分(沖の島から東郷さんの足跡まで)を見て、授業を終える。


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改訂版17「日清戦争」

★日清戦争から日本の侵略が始まったと多くの教科書は教えている(もちろん自由社『新しい歴史教科書』はちがいます)。小学校でもほんとうの歴史を教えましょう。国民のくやしさ、リーダーたちの無念さ、これらに共感してこそ日本人の歴史です。


1 朝鮮は日本の「利益線」

『次の資料を読みましょう』
【資料】明治二十三年(一八九〇年)山県有朋首相の演説
***********************************************
主権線と利益線 
わが国の予算の中で最大の出費(しゅっぴ)は、陸海軍の費用です。
 そもそも国の独立と安全を守るには二つの道があります。
 一つは国の主権線(しゅけんせん)を守ること。主権線とは領土の境界(きょうかい)(国境)を守ることです。
 二つは国の利益線(りえきせん)を守ること。利益線とは国の主権線の安全または危険に密接(みっせつ)に関係している地域を守ることです。
 さて、この利益線を考えない国はありません。
 とりわけ、西洋列強(せいようれっきょう)の進出するアジアにあって、わが国の独立を守るためには、ただ主権線を守るだけでは不十分なのです。
 利益線を守らなければ、日本の安全はありません。
 そのためにも、この予算案にあるように巨大な金額を陸海軍の費用にあてなくてはならないのです。
************************************

◆板書:主権線(国境)
◆明治日本の国境線を教える・・・資料の白地図に朱線を引かせる
┌───────────────────────────────┐
│ 山県有朋の言う利益線とは具体的にどこのことだと思いますか? │
│  A:樺太    B:朝鮮半島  C:台湾 │
└───────────────────────────────┘
*意見分布をとるだけで正解を教える。
◆正解はBの朝鮮半島・・・・ロシアの危険について簡単に説明する。
◆板書:利益線=朝鮮
◆伊藤や山県や陸奥は、朝鮮にこうなってもらうことが、日本の安全にとって重要だと考えていました。

◆板書:日本の期待
①朝鮮の文明開化(近代化)
②日本との協力
┌──────────────────────────────────────┐
│  しかし、そうは日本の思い通りにはなりません。明治政府ができてからずっと朝鮮│
│ にそう要求してきたのですが、朝鮮の李王朝は日本の言うことに耳を貸しません。 │
│ 実は朝鮮はある国と「親分子分の関係」にあったからです。 │
│ その国は朝鮮を自分たちの子分の国だと考え、朝鮮はその国をご主人様だと考えて│
│ いました。 │
│ さて、その国とは次のどちらでしょうか? │
│  A:清    B:ロシア │
└──────────────────────────────────────┘
*意見分布をとり、理由を言わせる
『日本が聖徳太子の時にやめた関係を、朝鮮はなんと大昔から今まで続けていた。また日本は朝鮮の弟分であるはずなのになんだとバカにしていました』
◆日本の朝鮮への期待を実現させるには、まず朝鮮に清から独立してもらうことが必要でした。

板書:日本の期待③朝鮮の清からの独立


2 日清戦争

『しかし、朝鮮にも変化が来ました。日本と協力して李王朝を倒し朝鮮の明治維新をやろうという独立派と、中国派が争うようになりました。東学党の乱という朝鮮王朝への反乱が起きたとき、中国は軍隊を朝鮮に送りました。それを見た日本も朝鮮に軍隊を送り、戦争になりました。これを日清戦争といいます』
◆板書:日清戦争(明治27年・1894年)

◆アメリカにいた松岡洋右(14歳)のエピソード
日清戦争が始まると、ほとんどのアメリカ人は中国は知っていても日本は知らないのでこう言いました。「大国シナには日本という県があって、それが政府に反乱を起こしたらしい」また、日本を知っている人も「こんな小国がシナを相手に戦うなんて無茶だ。かわいそうに、いまにきっとひどい目にあうぞ」

『当時、清国は眠れる獅子といわれた大国です。アジア最大の軍事力を持っていました。日本はそれにようやく追いつこうとしていました。厳しい戦いになるはずでした。しかし、日本はすべての政党、国民が戦争を支持しました。国家予算の2年半分の費用と10万人の兵隊を投入しました。全力を挙げて戦わなければ、西洋にやられる前に、シナにやられてしまうと考えたからです。その結果、陸の戦いも海の戦いも、日本の圧倒的な勝利に終わりました。それは、世界中が「アジアに日本あり」と知った日になりました。』

◆板書:日本の圧勝
    勝因:国民の団結と愛国心、日本は国民軍、清国軍は傭兵


3 下関条約

『戦争は日本の圧倒的な勝利に終わり、下関で講和会議が開かれました。日本の全権大使は伊藤博文、外交官は陸奥宗光でした。そこで結ばれたのが下関講和条約といいます。講和条約とは平和条約のことで、ふつう戦争は戦った両国がこの条約を結んで終わります。条約が結ばれたら、もう戦争中のことでは絶対に争わないというのがルールでした。』
┌───────────────────────────────────┐
│ 条約の第一条には、日本がこの戦争に勝って一番重要だと考えたことが書かれ│
│ ていました。それは次のうちどれでしょうか? │
│ ■板書「下関条約」 │
│  A:朝鮮を完全な独立国とする。 │
│  B:台湾・遼東半島を日本の領土とする。 │
│  C:賠償金(日本国家予算の4年分) │
└───────────────────────────────────┘
◆正解はAでした。
◆下関条約①朝鮮は清から独立する。
②台湾・遼東半島を日本の領土とする。
③賠償金(日本国家予算の4年分)
ところが、この条約を知ったロシアは、ドイツとフランスを味方にして日本に強い要求を突きつけました。


4 三国干渉と臥薪嘗胆

┌────────────────────────────────────┐
│ 「遼東半島を清に返せ。さもなければ戦争だ」 │
│ これを三国干渉といいます。 │
│ みなさんが日本のリーダーの一人だったら、この要求に対して、どんな決断を│
│ したでしょうか? │
│  A:要求を受け入れる   B:要求を拒否する  │
└────────────────────────────────────┘
*挙手でAとBの人数を確かめ、理由を言わせる。
◆国民世論は、断固拒否して西洋と戦おうとわきあがりました。
 政府(伊藤博文や陸奥宗光)は、「いまロシアと戦えば国が滅びる。国民よ我慢してくれ」 と言い、遼東半島を清国に返しました。

『清の弱さが明らかになり、西洋列強はハイエナのように清に進出していった。
3年後、ロシアは遼東半島を清からうばいました。
そこに軍隊を駐留させ、支配したのです。
(「えー!?」「何だよ~!?」「ロシアきたねえぞ!」)
せっかく清から独立させた朝鮮はロシアに支配される可能性が大きくなりました。
日本の厳しい状況が続きます。
「結局は力が正義なのか」という気持ちが国民に広がり、「臥薪嘗胆」という合い言葉がはやりました。今に見ていろつらい思いをがまんしても、日本を強い国にするぞ、いつかは仇を討つぞ、という意味です。』

*「臥薪嘗胆」とノートに書かせ、みんなで合い言葉を唱える。

◆板書:戦争の結果:清に西洋が進出、遼東半島はロシアが取った。

『朝鮮半島をロシアに取られたら、大変なことになる。しかもそれが目の前に迫ってきたのです。日本はどうすべきなのでしょうか。この頃流行した蛍の光の4番はこういう歌詞でした。日本の領土が歌われています』
************
千島のおくも
おきなわも
やしまのうちの
まもりなり
いたらんくにに
いさおしく
つとめよわがせ
つつがなく
************
◆これを歌って授業を終える。(拍手!)



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プロフィール

授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫

Author:授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫
戦後70年間日本の教育は根無し草の「世界市民」を育ててきました。そのため小中学校の歴史教育はウソとタブーによって大事な内容が教えられていません。また誤って教えられています。
「授業づくりJAPAN」は、日本の教育のウソとタブーを排し、真実とフェアネスを取り戻していきます。
かつてGHQに禁じられた教育は現在も禁じられたままです。私たちは「日本人を育てる教育」を取り戻します。そのために、命ある限り授業づくりとその普及につとめます。私たちは「誇りある日本人」こそが「真の国際人」になれると信じています。

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