『学校でまなびたい歴史』 2  歴史入門(5)

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4 私のご先祖様は何人いるのだろう?

『さて、みなさんに聞きたいことがあります。その系図で、名前はわからないところもあるけれど、おじいちゃんが二人、おばあちゃんが二人で、合わせて四人いることがわかりましたね』
「はい」
『では、おじいちゃんとおばあちゃんを生んだ両親は、全部で何人いますか?』
「八人です」
『その両親は全部で何人いますか?』
「十六人です」
『その両親は?』
「三十二人です」

『その通りです。系図を一代さかのぼると、みなさんのご先祖様はどのようにふえていきますか?』
「はい・二倍ずつふえていきます」
「かける二をすれば人数がわかります」

『では聞きます。みなさんそれぞれのご先祖様は、全部でいったい何人いるのですか?』
「無限にいると思います」
「数え切れないくらいたくさんのご先祖様がいます」
「ものすごいたくさんの数です」

 子供たちは口々にそう答える。しかし、ここでかんじんなことを問わなくてはならない。わかっていることを論理的な言葉にして確かめておくのである。
『みんなが同じことを考えています。先祖は数え切れないくらいたくさんいるだろうと。本当ですか? どうしてそうだとはっきり言えるのですか?』
 しばらく間があって、数人の手が挙がる。

「両親がいなければ、子供は生まれないから、先祖は二倍二倍にどんどんふえていくからです」

「昔のどこかでご先祖様が一人でもいなかったら、私はいなかったかもしれないからです。もっと昔にもご先祖がいると思います」

「日本は、縄文時代とか、そこ(黒板のカード年表のこと)にない大昔まであるから、(先祖は)どんどんふえていくからです」
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『学校でまなびたい歴史』 2  歴史入門(4)

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3 自分の系図を書いてみましょう


 系図とは何かがわかったところで、今度は簡単な作業をさせることにしよう。前掲の系図の四角の中が白紙になったプリントを子供たちに配って次のように言う。

系図2


『こんどは、みなさんが自分の系図を書く番です。まず、プリントの一番下の四角に、自分の名前を書きなさい』

 系図を知らなかった子も、系図は歴史上の有名人のものだと思っていた子も、齋藤先生に系図があるなら私にもあるとわかったはずである。それぞれが自分の名前を書き終わったところで、いったん鉛筆を置かせてから次の指示を出す。

『みなさんも将来は偉大な人物になるかもしれません。自分の系図を書いてみましょう。まず、お父さんとお母さんの名前を、次におじいちゃんとおばあちゃんの名前を四角の中に書きなさい』

 子供たちはさっと鉛筆を動かし始める。しかし、すぐにざわめきが起きてくる。父母の名前は全員が書けるのだが、ほとんどが四人の祖父母の名前すべては書けないからである。
 祖父母と同居している児童は少ない。祖父母の家が遠くて年に何回も会えない家庭が多い。またすでに亡くなられていて接したことのない祖父母もある。いや何よりも、彼らにとって祖父母は「おじいちゃん」「おばあちゃん」なのである。

『自分の系図を書いてみて、どんな感想を持ちましたか?』

「お父さんやお母さんを生んでくれた人なのに、その人の名前を知らないことに気がつきました」

「なんだか、もうしわけないというか、そんな気持ちになりました」

「家に帰ったら、名前を聞いて系図を完成したいです」

 そうですね。ぜひ自分の系図をたしかめてみてください。でも、みなさんがおじいちゃんとおばあちゃんの名前を知らないことはそれほど恥ずかしいことではありませんよ。親しみをこめて、ふだんはそう呼んでいるんですからね。でもこれを機会にお名前を書けるようにするのはとてもいいことです。そのプリントはいったん家に持ち帰って、お父さんやお母さんに聞いて完成させることにしましょう。

 みなさんの中には、将来日本の歴史に名前が残る人もいるかもしれません。もしそうなったら、未来の子供たちがその系図でみなさんのことを勉強することになるでしょう。

 こう話して、黒板に掲示した私の系図の、もう一代前を示す。

 八人いる曾祖父母の名前の一部は「?」にしてある。先生も、ひいおじいちゃんや、ひいおばあちゃんの名前は、もう全部はわかりません。それがふつうの家だと思います。もしかしたら、このクラスにはもっともっと前の先祖までわかる人がいるかも知れません。もし、わかるようだったら調べてみてください。


  こうして子供たちは系図とは何かを理解した。人物と人物をつなぐ線がある。横線は夫婦関係を、縦線は親子関係という血のつながりを表すこと。また、どんな人にも先祖=子孫のつながりがあり、たとえまだ書かれていないにせよ自分の系図があることを理解した。それは、子供たち一人一人が「私にもたくさん先祖がいるらしい」と初めて気がついたということなのである。

 ここまでの作業で、子供たちは祖父母の向こうに曾祖父母が、その向こうにそのまた両親が・・・・というふうに、どこまでも続いているに違いない先祖のつながりに気づき始めている。さらにまた、自分たちが生むことになるだろう子や、孫のこと。つまり、自分たちもまた未来の子孫から見れば、先祖の一人になるのだと気づいた子もいる。
 
 こうして、子供たちは「歴史とは何か」の入り口に立つことができた。いよいよこの授業の核心にたどり着いたのである。

『学校でまなびたい歴史』 2  歴史入門(3)

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2 系図という史料がある


『まずこれを見てください』

黒板に次の資料を貼る。ただし左図の曾祖父の世代の部分は裏に折り返して、しばらく見せないでおく。
系図1



『さて、これは歴史の勉強によく出てくる資料ですが、この資料のことをふつう何といいますか?』
「系図です」
 正解であるとほめて、「系図」と黒板に書く。重ねて次のように問う。

『この系図からわかることを教えてください』
 系図と知っていた子供は数名にすぎないが、この問いには多くの手があがった。それを何とよぶかは知らなくても、図が表している情報は誰にでも理解できるからである。

「齋藤先生の系図です」
「お父さんと、お母さんの名前がわかります」
『そうです、父は元次、母は恒子といいます』
「先生は、元次さんと恒子さん夫婦の子供だということもわかります」
「おじいちゃんやおばあちゃんの名前もわかります」
「親子関係のつながりがわかります」
『はい。そういう親子関係のつながりを表しているのですね。それが系図というものです』

歴史の勉強には、有名な歴史上の人物の系図が出てきます。聖徳太子の系図とか、徳川将軍の系図とか、天皇陛下の系図などです。この齋藤先生の系図は祖父母、父母、私、と三代の血のつながりが表されていますが、いろいろな歴史上有名な人物の系図もこれからの授業の中で見せていきますから、楽しみにしてください

『学校でまなびたい歴史』 2  歴史入門(2)

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歴史入門「歴史の中にはご先祖様が生きている」(2)



◆授業の実際◆

1 歴史人物を何人知っていますか?
『今日から日本の歴史を勉強していきます。みなさんは日本の歴史の有名人で誰か知っていますか? 知っている名前を教えてください』
 この授業はいきなりこう問うことから始める。

 ほぼ全員の手が挙がるのをたしかめてから、座席の一列を一度に立たせ、前から一人ずつ言わせていく。

「徳川家康」「織田信長」「野口英世」「西郷隆盛」「卑弥呼」「明治天皇」「聖徳太子」「豊臣秀吉」・・・と、次々と答えが返ってくる。こうしておよそ二十人ほどの名前があがった。

ここから先は数名の物知りの天下になる。なかにはマニアしか知らないような新撰組の隊士の名を上げ始める者もいる。これは後に新撰組マンガのファンであるとわかったが、ほどほどで切り上げて次に進もう。

『すばらしいね。まだ勉強していない人をよく知っていました。』

 こう言って、四十二人の人物が書かれた資料と、カード型の年表を黒板に貼る。

 カードは、およそ四百年が一枚になる等尺年表である。
色分けした「古墳・奈良」「平安」「鎌倉・室町・戦国・安土桃山」「江戸・明治・大正・昭和・平成」の四枚で、大まかにとらえれば、それぞれがおよそ四百年(同じ長さになる)仕掛けである。

 わが国は、およそ四百年間で古代日本を建設し、その後のおよそ千年で国家と文化の自己形成を成しとげ、最近の二百年で近代国家を形成した。これが最も単純化した日本という国の物語であるが、この話はまた後にしよう。

 ここでは主な時代名を書いた年表のどこかに、先ほど子供たちが挙げた人物が位置づくことを示せればいい。

『国ができておよそ一六〇〇年です。卑弥呼はこの年表よりも少し前の時代、源頼朝は鎌倉時代・・・というように、歴史上の有名人はそれぞれが日本の歴史の上で大きな働きをしました。歴史の授業では、偉大な人物たちがやりとげた仕事や、その仕事をやりとげたときの心や考えを学んでいきます。出てくる主な人物は、みな日本の国づくりに大きな働きをしました。そのつながりの末に今の日本があります。そのおかげで、私たちがいま日本人として生きられるのですね。これらの人物の働きを通して、日本の国の歩みを学ぶのが今日から始まった歴史の勉強です。

 今日は、歴史を学ぶ心構えをつくる大事な学習です。この授業が終わったとき、みなさんが、なるほどそうかと歴史の勉強にやる気を出してくれるとうれしいです』

『学校でまなびたい歴史』 2  歴史入門(1)

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歴史入門「歴史の中にはご先祖様が生きている」

◆授業づくりの話◆

 十数年も前になるが、ある教育研究会に参加したときのことだ。休憩中の雑談の中で先輩教師の一人からおもしろい話を聞いた。

「先祖の人数を計算していくと、とんでもないことが起きるんですよ。鎌倉時代の推定人口よりも、私一人の先祖の数の方が多くなってしまうんです。私たち日本人はみな千年もさかのぼればみな親戚だということなんでしょうね。」

 とくに歴史の授業をテーマにした会ではなかったので話はそれきりになり、すっかり忘れてしまっていた。その話が、数年前歴史入門の教材づくりで途方に暮れていた私に突然よみがえったのである。話の脈絡もそのときほかにどんな話があったかもまったく思い出せないのだが、前述した話の部分だけを思い出したのだ。

 そうだ、歴史とは先祖が歩いてきた道ではないか。そうとらえれば、たんなる物知りをつくるのではない、「国を愛する心情を育てる」歴史教育ができるのではないか。

 先祖の話を思い出しこれは教材になると直感したときには、この授業の構成はほとんどできあがっていたようなものだった。それが歴史入門の授業「歴史の中にはご先祖様が生きている」である。

 この授業を受けた児童は、その後の歴史学習の中で「この時代にも日本列島のどこかに私の先祖が暮らしていたんだな」「この人物の決断は、私の先祖の運命も変えたんだ」というようにとらえられるようになる。歴史上の人物や出来事を、まさに自分自身の遠い来歴として意識するようになるのである。

 それは、先人の働きや国の歩みを「わがこと」として学ぶ姿勢にほかならない。歴史が好きになり、たくさんの知識も身につけるが、それらは決して他人事の知識に終わらない。みないまここに生きている「私」自身のことなのだと、そう思えるようになるのである。子供たちのこの学ぶ姿勢こそが、私の歴史教育の原点である。

歴史の授業をすべて終えた後、子供たちは「日本の歴史を学んで」という感想文を書いた。次の掲げるのはその一部である。

■日本の歴史を学んでいろんな事がわかった。歴史を学ぶ前までは先祖の事なんて考えたこともなかったけど、先祖のことを学んだ時とても感動した。勉強をして感動するなんてなんか不思議だった。

■私は日本の歴史を学んで、改めてご先祖の努力に感動した。そして、私達も愛国心を持ってこれからの時代を生き、ご先祖のつくってきた日本という国をさらに発展させていく責任があると思った。さらに、ご先祖が夢見た平和で豊かな国に住んでいる私達は、次は世界平和への道へと進んでいく必要もあると思った。

全六十八時間の学習を終えて、半年前の最初の授業を覚えていることもすばらしいが、最初に学んだことがその後の学習の中にも生き続けていたことがわかるのである。

『学校でまなびたい歴史』 1 まえがき

【まえがき】

 学校で歴史をまなんで、「日本人に生まれなければよかった」と書く子供がいる。日本の過去を反省するためなら、史実をまげてでも日本人が行ったとされる悪事を教えなければならないと考える教師がいる。
こんな歴史教育は間違っているのではないか。こんな歴史を子供たちは、まなびたいはずがない。子供たちにとって、本当に「学校でまなびたい歴史」とは、右の感想とは逆に、「日本人に生まれてよかった」、「日本人であることを誇らしく思えるようになった」と書きたくなるような歴史なのではないか。そう考えて、私は、この数年間、ひとりの小学校教師として、ささやかな模索を続けてきた。
 本書は、現段階で私がたどりついた、右の設問への答案である。私の授業を受けた六年生は、次のような感想を残して、学校を巣立っていった。

●今の私たちや今の日本は、昔、日本を立派な国にしようと一生けん命努力した人々のおかげであることがわかった。
●私は歴史の授業を通して日本のことをたくさん知ることができた。これでやっと本当に日本人になれた気がする。

 子供たちは、先人の努力を敬い、自国を愛する真心のあふれた文章を書いてくれた。子供たちは、自国の歴史を「わがこと」としてまなんでくれた。家族の一員として先祖から命のバトンを引き継ぎ、日本人の一人として先人から国づくりのバトンを受け継ぐ。そうした決意のようなものを、子供たちは言葉にして残してくれた。
本書は、小学校における歴史授業の実践報告である。同時に、私が担任し、私が心から誇りに思っている子供たちとの共同作業で生み出した、新たな歴史物語でもある。そうしたものとしてお読みいただければ幸いである。
 授業は、さいたま市立島小学校で私が担任した平成十二年度の六年二組と、平成十四年度の六年一組で行った。この二つの学級は、私の学級通信の名前を取ってそれぞれ「まほろば一代目」「まほろば二代目」とよばれている。一代目が三十六名、二代目が三十九名。この素敵な子供たちと、彼らを慈しみ育てた保護者と出会えたことは、私にとってこれ以上ないといえるほどの幸運だった。毎週三時間、全六十八時間の歴史授業を、子供たちは真剣にまなび、また、まなぶことを楽しんでくれた。
 その中から、八時間分の授業を選び、六章のお話にまとめた。
 私たち教師が授業研究の資料に使う記録は、そのままでは読みにくくて、一般読者に提供できるものにはならない。そこで、歴史読み物としても読めるわかりやすさ、読みやすさを追求して文体を私なりに工夫した。そのヒントになったのは、産経新聞の教育欄「解答乱麻」に書かせていただいた授業記録風の文章である。できれば、読者も一学習者になったつもりで、「同級生」の子供たちの意見に耳を傾けながら、祖国の歩みの大きな物語を楽しんでいただけるとうれしい。
次の文章は、まほろば一代目が、すべての歴史授業を終えて書いた「日本の歴史を学んで」という題の作文の一つである。それは、生まれて初めて歴史を学んだ少女が、一筆で描ききった「日本」でもある。少し長いが、全文を引用させていただきたい。

●私は、縄文時代の時から今まで、ずっと歴史はつながっていたんだと思った。そして、今も歴史は進み続けているんだと思った。
弥生時代に初めて卑弥呼というリーダーが現れてから、日本は天皇をリーダーにして発展していったのだと思った。日本が一つにまとまったころ、日本は他の国との交流が始まった気がする。
 そして、六世紀から七世紀ごろに、聖徳太子が活躍した。私は、聖徳太子が国のかたちをはっきりと決めたから、今まで日本が一度(アメリカ)しか支配されずに、ここまでやってこれたのだと思う。このころから日本は中国に追いつこうとしていたことにはおどろいた。それは、明治時代に日本が西洋の国に追いつこうとしていたことにつながっていたと思う。これもやっぱり歴史のつながりなんだと思った。
 そして、七世紀についに戦い(白村江の戦い)が起きた。これで初めて、日本として戦ったことがわかった。でも、戦うことばかりではなく、奈良の大仏ができたり、文化も発展していったからすごいと思った。そして、日本の文化も発展していって、かな文字ができて、短歌が発展し、日本の行事が生まれた。私は、かな文字ができたことが特にすごいと思った。そのかな文字がなければ、今日本人みんなが困っていたかもしれない。こんな前にできたかな文字が今でも使われているなんて、本当にすごいと思った。
 それから日本は戦国時代になった。私は、日本の中で戦いをしてはぜったいにいけないと思った。またいくつもの国に分かれてしまったら、日本がここまで発展してきた意味がないと思った。でも、そんな中、戦いをおさめられる人物も現れ、日本はまた一つにまとまれた。よかったと思った。
 一八五三年、ペリーがとつぜん日本に乗りこんできた。私は、このころから西洋の国々とかかわってきたことが太平洋戦争になった一つの原因だと思った。でも、江戸幕府が終わったことはよかったと思う。このまま幕府を続けていたら、日本はただ西洋の言いなりになっているだけだったかもしれないからだ。
 でも、明治時代になってから、日本は変わったと思う。人々は平等や自由をもとめるようになって、今の人々とすごく似ていると思った。しかし、新しい社会が始まったとたんに戦争が起こった。日露戦争には勝ったけど、その後の戦争は日本が負け続ける戦争になっていった。太平洋戦争だ。でも、日本は負けても戦い続けた。私は、ここまでして日本を守った人々はすごいと思う。きっと今の人にはできないと思う。「日本のためなら死んでもいい」そうみんなが思っていたんだと思った。でも、アメリカはそれ以上に強く、原子ばくだんを落としてきた。たくさんの人々が亡くなり、たくさん人が悲しんだ。
 私は戦争だけはしたくないと思っている。でも、この時代の人々がもう戦争はしないという気持ちを日本国民に伝えてくれたから、私も戦争をしないという気持ちを持てたのだと思う。
 歴史を勉強して、一番大切なことは自分の考えを持つことだと思った。それぞれの時代にすごく意味があって全て今の私たちにつながっている。それを忘れてはいけないと思った。歴史は今も進み続けている。このままずっと日本の歴史が進み続けてほしい。

子供たちは、このように、それぞれ個性的な「歴史」を書いてくれたが、授業としては、私の実践はまだまだ未完成である。本書をお読みいただいて、ご教示いただければ幸いである。

平成十五年六月                       著者



【本書の構成・表記について】
各章は①「授業づくりの話」、②「授業の実際」、③「子供たちが学んだこと」の三つの節に分かれている。
①「授業づくりの話」には、その授業がどうやってできたか、その授業までに至る経緯や付随するエピソードなどが書かれている。授業のねらいや意図を示して、本文の理解を助けるための節である。
②「授業の実際」が本文にあたる。
 文章中の『 』は授業の中で教師が子どもたちに話した言葉である。「 」は子供が話した言葉である。
 ただし、『 』に入れずに地の文に落とした教師の話もある。『 』の中があまり長くなるのがわずらわしく見え、勢いでそうなったのである。だから、地の文であっても、「・・・です」のように文末が敬体の部分は、教師が教室で話しているイメージで読んでほしい。しかし、地の文の中で「・・・だ」のように常体の文末になっている部分は、現在進行中の授業ではなく、その外に出た筆者の解説や注記である。
 子供の発言や、子どもが書いた文章は実際とほとんど変えていないが、地の分に落とした教師の説明や解説部分などは、単純な授業記録を大幅に加筆修正している。また、子どもたちの発言は、順序を入れ替えたりグルーピングして示したところもある。これらはみな、授業記録を読み物にするためにしたことである。
③「学習を終えて」には、それぞれの授業の後に子供たちが書いた感想文の一部を並べておいた。それを読めば、子供たちの中にどんな学習が成立したのかがわかるだけでなく、授業の意図や史実の持つ意味もまた立体的になるはずである。
この三つの節は、私たち教師がくり返し行っている授業研究(教師修行)の基本的なサイクルでもある。授業をつくり、実践し、結果を評価し、授業を修正する。そのようにして日々の授業を改善し、また新たにつくり直しながら、教師は前に進むのである。
プロフィール

授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫

Author:授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫
戦後70年間日本の教育は根無し草の「世界市民」を育ててきました。そのため小中学校の歴史教育はウソとタブーによって大事な内容が教えられていません。また誤って教えられています。
「授業づくりJAPAN」は、日本の教育のウソとタブーを排し、真実とフェアネスを取り戻していきます。
かつてGHQに禁じられた教育は現在も禁じられたままです。私たちは「日本人を育てる教育」を取り戻します。そのために、命ある限り授業づくりとその普及につとめます。私たちは「誇りある日本人」こそが「真の国際人」になれると信じています。

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