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満州事変の授業


満州事変の授業のシナリオ

1 南満州の日本の権益に対する、張作霖・張学良軍閥の攻撃、シナ人によるテロや反日活動によって、在満日本人や朝鮮人の生命と財産が脅かされていた。

2 日本政府は幣原喜重郎の協調外交を展開していた。

3 しかし、反日活動やテロ、日本人差別は収まらなかった。

4 「君たちが当時の日本のリーダーだったらどうするか?」次の選択肢で考えさせる。
  A 協調外交を続け、しばらく様子を見る。
  B 軍隊を派遣して、日本企業や日本人を守らせる。
  C 張学良軍閥を打倒して、満州全体を日本軍に守らせる。

5 若槻礼次郎内閣はAを選び、日本国民は政府の方針を批判した。国民の多くが問題を解決できない政党政治に絶望していった。


6 石原完爾・板垣征四郎ら関東軍は、柳条湖事件を起こし、一挙に満州を占領した。国民はこれを支持した。

7 関東軍は、清朝最後の皇帝溥儀を元首にして満州国を建国した。1932.昭和7.3月,溥儀「私は感激がこみあげてきた」

8 犬養毅首相は「満州国は承認しない」方針。海軍将校らに暗殺されてしまった。5.15事件。
犬養毅内閣で政党内閣は終わった。

9 斎藤実内閣は満州国を承認。日満議定書をむすぶ。
*満州国は日本と清が結んだ条約を尊重する。
*日満は共同して国防に当たる。

10 国際連盟はリットン調査団を派遣。1932年.2月~9月
「リットン報告書」

11 リットン調査団の報告書を認めない斎藤実内閣は、1933年3月日本は連盟を脱退した。

12 同年5月,タンクー停戦協定が日清間で結ばれ、満州事変は終結した。

13 以後、満州国は日本の指導と援助によって、近代国家として急速に発展して行ったことを写真や統計資料を使って教える。1945年,昭和20年8月に滅亡したことも。
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授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫

Author:授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫
戦後70年間日本の教育は根無し草の「世界市民」を育ててきました。そのため小中学校の歴史教育はウソとタブーによって大事な内容が教えられていません。また誤って教えられています。
「授業づくりJAPAN」は、日本の教育のウソとタブーを排し、真実とフェアネスを取り戻していきます。
かつてGHQに禁じられた教育は現在も禁じられたままです。私たちは「日本人を育てる教育」を取り戻します。そのために、命ある限り授業づくりとその普及につとめます。私たちは「誇りある日本人」こそが「真の国際人」になれると信じています。

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