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良寛

やまかげの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも      良寛

 僧良寛は手鞠をついて日がな一日子供たちと遊んでいる。子供たちとかくれんぼをすれば翌朝までかくれている。竹の子が床下に生えれば床を切り開けて伸ばしてやる。そして、そんなふうにしている自分を少しもあやしまない。苔清水のように清らかに澄みわたった心で、良寛は狭い草庵に住んで托鉢で暮らしている。托鉢とは、信者の家々を巡って生活に必要な最低限の食糧などを乞う修行のことである。乞食行ともいう。

 良寛は越後出雲崎(新潟県)の名主橘屋の長男に生まれた。しかし、この家職をつぐべき若者は十八歳で出雲崎の光照寺に入り剃髪してしまう。家督を弟にゆずり、父母を捨てたのである。「名主の晝行灯息子」と侮られていたというが、確たる事情はわからない。やがて二十二歳で國仙和尚によって受戒して僧良寛になり、大愚と号した。禅僧としての修行の日々は、備中玉島(岡山県)の曹洞宗円通寺で送った。長い修行の末、三十三歳で師國仙和尚の印可を受ける。禅僧としての免許皆伝である。
 國仙和尚が良寛に与えた偈(認可状)に、良寛本来の面目が現れているので大意を記しておく。

「良寛の行道は広々と大らかでゆったりとしている。その騰々としてすべてを天真に任せきっているさまは、他人には到底理解できないのである。よって皆伝のしるしに爛藤の杖を与える。到る処の壁間で昼寝をしている姿は閑である」(加藤僖一『良寛 日本人のこころ』玉川大学出版部)。

 師匠は弟子のその後四十年の生涯を見抜いたようである。ぽっきりと折れてしまうが、良寛にも名主見習いとして努力する若年期があった。ついにはひっそりと庵に入ることになるが、けんめいに学問と修業に打ちこみ、曹洞宗の高僧となるべく努力した青年期もあった。しかし、名主にも高僧にもならなかった。なれなかったと書いてもよい。つまり良寛は、はじめから乞食坊主ではない。天が良寛をつかまえたのである。

 良寛は修行中に両親を亡くした。師匠の國仙が亡くなると西国諸国に行脚の修行に出た。そして三十九歳で越後に帰郷したとき、良寛の心は決まっていた。棄てるべきものはみな棄ててきたのである。良寛は、国上山の五合庵という庵で十数年過ごした後、麓の乙子神社の草庵に十年間住んだ。そして六十九歳の冬に木村家の庵室に移り、そこで七十四年の生涯を終えた。私たちが親しみをこめて「良寛さん」と呼ぶ人物はこの人のことである。

 わたしたちの幸運は、僧良寛がたまたま漢詩や和歌を残してくれたことである。良寛を支えまた良寛に支えられた人々がその人柄を伝えてくれたこともある。おかげで漢詩

「生涯身を立つるに懶く/騰々、天真に任す/嚢中、三升の米/爐邊、一束の薪/誰か問わん、迷悟の跡/何ぞ知らん、名利の塵/夜雨草庵の裡/雙脚、等に伸ばす」

を読めば、良寛の生き方も暮らしぶりもわかるのである。いくつもの漢詩や和歌によって良寛の志も悲憤も、平生の温かい思いやりや感謝の心も、くつろいだユーモアや思いがけない恋情さえ伝わる。俗世の利害得失から離れ、仏道の是非善悪さえ超越し、人を恨むことも羨むこともない。無理は求めず、強いてこだわることなく、あるがままを受け入れて、ひたすら自然体の自分と向き合っている良寛がそこにいる。

 ある書簡に、「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがれる妙法にて候」という一節がある。ある詩には「すべてのことにはすべてそうなるべき結びつきがある」という一節もある。これらがおそらく良寛が行き着いた場所である。

 人にはいかんともしがたい運命があり、それは受け入れるよりほかにない。受け入れるというのはその運命を自ら進んで望んだことだと悟ることなのである。良寛の天真爛漫な清らかさは、すべてを棄ててきた者の強靱な精神に支えられているのだ。それが良寛の潔さであり、多くの日本人が良寛に魅せられてきた理由である。最後にひとつ次のような飾らない詩を読もう。

「浮き世を棄てわが身を棄てて、迷いのない僧となり、月や花を友として残された命を保っている。たちまち雨が晴れ雲も晴れて、あたりの大気もさっぱりした。心がすがすがしくなり、あらゆるものもみなすがすがしい」(松本一壽『ヘタな人生論より 良寛の生き方』)

 いま良寛は学校で教えられず、子供向けの絵本も見られない。が、かつては日本人のだれもが知っていた人物であった。出家などかなわない凡庸な私たちは、ただひたすら働いて家族を養い、ささやかだが夢らしきものを追い求め、やがて現役を引退するときが来る。そんな還暦を過ぎたくらいの頃に、少年時に覚え、長い間忘れていた不思議な老人の話を思い出す。そして、良寛の詩や歌や逸話を読んで、美しい自然に抱かれ苔清水の湧く場所にひっそりと暮らす良寛に、黙って手を合わせたくなる。良寛は、多くの日本人にとって、心のふるさとのような、なつかしい人なのである。
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Author:授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫
戦後70年間日本の教育は根無し草の「世界市民」を育ててきました。そのため小中学校の歴史教育はウソとタブーによって大事な内容が教えられていません。また誤って教えられています。
「授業づくりJAPAN」は、日本の教育のウソとタブーを排し、真実とフェアネスを取り戻していきます。
かつてGHQに禁じられた教育は現在も禁じられたままです。私たちは「日本人を育てる教育」を取り戻します。そのために、命ある限り授業づくりとその普及につとめます。私たちは「誇りある日本人」こそが「真の国際人」になれると信じています。

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