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中学歴史2年「大日本帝国憲法」の授業

《授業の意図》
・戦後の教育では、日本国憲法が善玉で大日本帝国憲法は悪玉だった。前者は、国民主権・人権尊重・平和主義であり、後者は天皇主権(独裁)・人権制限・侵略戦争というイメージ操作である。
しかし、これは明らかにウソである。
帝国憲法はアジア初の堂々たる立憲制度の確立であり、大正期には議院内閣制を憲政の常道とうたうようになる内実を持った憲法であった。
そろそろわれわれは児童生徒に真実を教える教育を始めたいと思う。この授業は大日本帝国憲法の真実を教え、アジア初の立憲政治を推進した先人の努力に共感できる生徒を育てようとして実践した。(まる2時限はかかりませんが、1時限では終わりませんでした。


1 大久保利通の考え(「政体に関する建白書」)
 
 五箇条のご誓文をどう実現していくかを研究した大久保利通は、西洋列強の政治の仕組みには3つあると書いています。

A・・・立憲君主制(イギリス)、王と国民(議会)による政治
B・・・共和制(フランス)、王は殺されていない、国民(議会)だけによる政治 
C・・・君主専制(ロシア)、王による政治

「大久保はどれが日本の目指す政治だと考えたでしょうか?」
*生徒はAが25人、Bはゼロ、Cが3人でした。Cの生徒の一人は「日本は天皇中心の国だから」と言いました。
*大久保はA(イギリス式)こそめざすべきであり、それが「君民協治」でやってきた日本の伝統にもかなうとし、Bは国のまとまりや秩序が壊れ不安定な政治になる、Cは近代化という世界の大きな流れに合わず時代遅れだと書いています。
*これが西南戦争までの日本をリードした大久保の考えでした。


2 伊藤博文の憲法研究

*伊藤は大久保の後継ぎなので、とうぜんイギリスの政体こそが理想だと考えていました。また、ヨーロッパの君主国の大勢もイギリスを模範としていました(ベルギー憲法など)
*しかし、イギリスには憲法典はありません。また300年かけてゆっくり立憲政治を作り上げてきた国と、40年でそれをやろうとする日本ではあまりにも実情が違います。そこで、日本と同じような統一国家ができて間もないドイツ出学ぶことにしました。グナイスト先生やシュタイン先生について、伊藤は必死に勉強しました。
*伊藤ははじめ、近代憲法の条文をマネすることを考えていました。しかし、シュタイン先生に決定的なことを学ぶことによって、日本の憲法づくりが大きく前進することになりました。それは次のような教えでした。(倉山満氏の憲法講義)

「憲法はその国の歴史と伝統そのものである。日本が昔から継承してきた価値にもとづいた憲法を持つべきです」
*こうして憲法作成の2大方針ができました。

1 日本の歴史と伝統に学ぶ(「古事記」「日本書紀」「十七条の憲法」その他)
  ・天皇中心にまとまる国。
  ・古代から尊重されてきた国民(大御宝)の権利。
  ・独断せず、知恵を出し合い、話し合って決めていく政治。

2 西洋列強の近代思想に学ぶ
  ・立憲政治(憲法に基づく政治)、議会、法、など。


3 グナイスト先生のアドバイスと伊藤の決断

*ところで、グナイスト先生もたいへん重要な提案をしてくれました。
それは、国会(国民が選挙で選ぶ)には権力を与えない方がいいという提案でした。
ここで次の式を教えます。

政治の実行=法律(何のために何をどのようにやるかを決める)+予算(いくら税金を使うか決める)

*政治は法律と予算が決まらなければ何もできません。この両方を国会では決められない憲法にする。法律と予算は政府(内閣)が決められれば、日本がいまやるべき富国強兵の政治をどんどん進めることができる。国民が選んだ議員たちは税金を下げることばかり考えるでしょう。しかしそれでは今日本が目指している国づくりはできないでしょう。日本にはゆっくり話し合っているゆとりなどないのではないですか?・・・こういう内容でした。
*伊藤はなるほどと思う反面、それでは立憲政治ではなく独裁政治ではないだろうかと思いました。グナイストの意見には、日本には立憲政治は無理だろうという上から目線も感じられたのでした。

伊藤博文はどちらを選んだでしょうか?
A 国会(議会)には法律と予算は決めさせない。
B 国会(議会)で法律と予算を決めるようにする(イギリス方式)。


*生徒はAが10人、Bが18人でした。Aは「強い政治をどんどん進めないと、西洋列強と対等になれない」など。
Bは「それでは西洋が国会とは認めないかも。(そうだとすると条約改正ができない)」など。
*伊藤博文は、Bを決断しました。議会に正しい権限を与えない限り選挙をする意味がなく、理想の立憲政治とは言えないと考えたのでした。また、我が日本国民は、国の現状を理解し政府に協力する力があるはずだと信じたのです。


4 アジア初の立憲政治の成立

*こうして、たくさんの難問を解決しながら、伊藤内閣はりっぱに国民へ約束を果たしました。

1889(明治22)年 2月11日(紀元節)  大日本帝国憲法発布

*教科書P179の資料でかんたんに条文を説明する。
第1条「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」これは天照大神から続く天皇中心の国を守りっていくということ。日本の歴史と伝統の根幹を示した者です。
第3条「天皇は神聖にして侵すべからず」これは、天皇には政治的責任を問わないということ。当時最先端のベルギー憲法にもとづいています。
*1条と3条で天皇は絶対的な存在に見えますが、4条が「天皇の統治権は憲法に基づく」として、立憲君主制であることを明らかにします。また5条「天皇は帝国議会の協賛をもって立法権を行う」とあり、「協賛」とは「同意」を含みますから、実際に法律を決めるのは国会であることになり、これが大正時代の議院内閣制の運用になっていきます。
*また、この憲法は国民(臣民)の権利を大きく認めたことでも西洋諸国を驚かせたことを教えます。
*議会の同意がなければ、予算も法律も成立しない、国民の自由・人権も侵すことができないというきわめて民主的な憲法であったことをしっかり教えたい。
*この憲法が「天皇独裁制」のように書いている本があるが、間違いであること、天皇が国家・内閣・裁判所の決定を否定したことはないことを教える。。
*P178の資料で、自由民権派も西洋諸国もこの憲法を賞賛したことを教える。

1890(明治23)年  第一回衆議院議員選挙の実施 → 第一回帝国議会の招集
        
*選挙権は25歳以上、直接税15円以上の男子

*こうしてアジア初の、議会を持つ本格的な立憲国家(欧米以外では無理と言われた)がスタートした。


5 教育勅語

*第一回帝国議会招集に先立ち、天皇の名で「教育に関する勅語(教育勅語)」が発布された。P179に資料。
*孝行、学問、公共心、非常時に国に尽くす心など、国民としての道徳を説いている。これはよい国民なくしてよい立憲政治はありえないからである。
*教育勅語は教育に活用され、日本人の道徳心を高め、日本人生き方に大きな影響を与えたことを教える。


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授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫

Author:授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫
戦後70年間日本の教育は根無し草の「世界市民」を育ててきました。そのため小中学校の歴史教育はウソとタブーによって大事な内容が教えられていません。また誤って教えられています。
「授業づくりJAPAN」は、日本の教育のウソとタブーを排し、真実とフェアネスを取り戻していきます。
かつてGHQに禁じられた教育は現在も禁じられたままです。私たちは「日本人を育てる教育」を取り戻します。そのために、命ある限り授業づくりとその普及につとめます。私たちは「誇りある日本人」こそが「真の国際人」になれると信じています。

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