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1年「遣隋使の国書」の授業

新しい歴史教科書をつくる会の『中学社会 新しい歴史教科書』(自由社)で「遣隋使の国書と天皇号の成立」(1年)と「不平等条約改正への苦闘」(2年)を授業しました。

1年
小野妹子の持って行った国書の書き出しはこうでした。
「日出ずる処の天子、書を、日没するところの天子に致す。つつがなきや」
読み始めた隋の皇帝は怒りました。
どの言葉に怒ったのでしょうか?
生徒は「天子」だと言いました。
昔から中国の皇帝が世界の中心で、日本の大王(おおきみ)はその家来でした。それが、ここでは私(推古天皇)も天子(世界中心)、あなた(皇帝)も天子で対等だと言うことです。
そりゃ怒るでしょう。
しかし、隋の皇帝は皇帝のお使いを付けて小野妹子を日本に帰しました。
翌年、もう一回、小野妹子が遣唐使として隋に行きました。
こんどの国書に聖徳太子はこう書きました。
「東の天皇、西の皇帝に白(もう)す」
でした。
あなたは皇帝、私(推古天皇)は天皇というわけです。
天皇とは北極星という語義ですからまさに点の中心。「皇」の文字は皇帝史家使えない特別の文字でした。
聖徳太子はシナとの対等な外交関係を樹立しようとしたのです。
わが国は雄略天皇が中華冊封体制から離脱し、推古天皇が「天皇」号を確立して、日本はついに東アジアのもう一つの中心になったのでした。
みなさんが大和朝廷の一員だったら、っこの政策に賛成しましたか?
と問い、理由を書かせました。
賛成が24名。ほとんどは中国の子分みたいな日本はいやだ、独立すべきだと言いました。
反対は4名。隋から先進文化を学べなくなるのではないか? 日本の安全がおびやかされ隋に滅ぼされないか? などでした。
隋は高句麗との戦争で日本を敵にしたくはなかった。それを太子は読んで実行した、以後も、遣隋使はおよそ2年おきに送られたと話すと、生徒は感銘を覚えたようで、感想文では、やっと中国と対等な独立国となれたことを喜んでしました。
めでたしめでたし。


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