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2年「不平等条約改正の歩み」の授業

2年生
岩倉使節団に始まる不平等条約改正の歩みを教えました。

岩倉使節団の失敗。
「憲法も国会も無い国と対等条約は結べない!(くやしい!)」
関税自主権撤廃交渉の挫折。

ノルマントン号事件。英国貨物船ノルマントン号が紀伊半島沖で沈没。日本人乗客24名は溺死。船長以下英国船員は全員助かった事件でした。彼らは逮捕されましたが、領事裁判権のため無罪。
明治19年ですから、この事件は新聞で広く全国に報道され、国民はわが国が不平等な条約のために、列強に差別されていることを知り、国民の怒りが沸騰しました。裁判はもう一度行われ、こんどは禁錮3ヶ月。これにも国民は怒りましたが、判決は覆りませんでした。

続いて、井上毅の欧化政策。
鹿鳴館のダンスパーティ。裁判官の半数を西洋人にする、議会で成立した法律は西洋諸国に承認を得るなどの政策に、生徒達のほとんどは反対でした。
国内に反対論が巻き起こって井上の交渉も挫折します。

やはり「憲法と国会か」という流れに、伊藤博文・陸奥宗光のコンビは期待します。
明治22年に大日本帝国憲法成立。翌23年に総選挙と第一回帝国議会開催。
しかし、列強は断固として改正には応じませんでした。

これはどうしたことか? どうすれば改正できるのか? 
と生徒達に問いました。

2に手を挙げて、岩倉使節団の時のビスマルクの言葉を引用して言いました。
「やっぱり、軍事力じゃないですか」
「戦争をやって勝てるくらいじゃないとダメなんじゃないか。弱肉強食」
ほとんどが、やっぱりそうかと賛成です。

私は、どうだろうか?としらばっくれて、だまって板書しました。静かな教室にノートする鉛筆の音だけ聞こえました。

1894年 日英通商航海条約(領事裁判権撤廃)
同年、日清戦争勝利。直後に他の列強も領事裁判権を撤廃。
関税自主権は回復されず。
1904年 日露戦争勝利
1911年 関税自主権回復・・・不平等条約の完全改正
実力で列強と対等な外交関係を打ち立て、
40余年かかってようやく明治維新の国家目標が達成された。

どうでしたか?
やっぱりね。
でも先祖はよくがんばってくれたよなあ。


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