氷川神社は出雲の神々を祀る

たいへんおめでたいニュースでしたので、私の愛する氷川神社について少し書いてみます。私の住む大宮は出雲と深い関わりがありますので、今日はちょっとそのことを書いてみます。

わが家から散歩がてら20分ほどの処に、武蔵一宮・氷川神社があります。
氷川神社という同名の神社が268社確認されているそうですが、そのうち261社が埼玉県から東京都にかけて分布し、それ以外は7社ですから、それが武蔵国に特有の祭祀圏だったことがわかります(東限は元荒川、西限が多摩川)。

祭神は大国主命・素戔嗚尊・櫛稲田姫です。出雲系ですね。

明治4年に西角井忠正氏が政府に提出した伝承は次の通りです。
天穂日尊(あめのほひのみこと)の10代目の兄多毛比命(えたもひのみこと)が景行天皇の時代に素戔嗚尊を奉じて出雲から武蔵に移りました。そして、成務天皇の時代に、朝廷から正式に武蔵国造として認められ、氷川神社の祭主となりました。
4~7世紀にかけて、武蔵国の政治の中心は大宮であり、出雲伝統の祭事を天穂日の子孫である武蔵国造が行っていたのです。
やがて、わが国は大宝律令の下に律令国家の体制を整備しましたが、このとき、大宮は国府となれず、武蔵国の政治の中心は現在の東京都府中市に移りました。

しかし、中世・近世と氷川神社の信仰は受け継がれ、明治維新の折には、元武蔵国造家の「生き神」信仰は氏子たちに共有されていたといいます。
これも、出雲千家家と同じですね。

明治天皇は東京を皇居とされた4日後、この氷川神社(大宮)を「武蔵国総鎮守」とする勅書を出しています。さらにその10日後にはわざわざ大宮に行幸され、ご親祭を行っています。武蔵国が古来出雲の神々を祀る土地であることをご存じだったのでしょう。
これも明治時代ですが、7代目の埼玉県知事も出雲国造家の千家尊福さんで、たしか埼玉県のいくつかの小学校の校歌を作詞しています。

明治日本は欧米中心の世界の中でどう生きていくかという課題の下にとらえるのがふつうですが、もうひとつ西洋化の怒濤の中で民族のアイデンティティーをどう確立していくかという大きな課題にも直面していました。
神道の神学をどう確立するかです。
古代神話の近代日本による再構成といってもいいと思います。

明治政府は最終的に出雲神話を消して、神道は慣習であって宗教ではないというかたちで決着をつけました。
つまり近代国家に神学はいらないという決断でした。
そしてこの惰性の中で昭和10年代の神がかり神学にもとらわれ、やがて敗戦に至ります。
私は、この問題(国家と神道・日本民族の神学)は、戦後もまだ生き続けていると考えています。


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