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ごぶさたしていました

ずいぶん間が開いてしまいましたので、訪問してくださる方も減ってしまいました。
当然です。
この間、授業づくりJAPANの立ち上げと、ブログ、メルマガなどの作業に打ち込みました。
また、いまはこれまでつくった小6歴史全授業を原稿にまとめています。
へそくりを全部はたいて(笑)自費出版します。
これをかかえて全国行商の旅に出ますので、呼んでいただければうれしいです。

最近「左大臣」さまのメルマガなどに教えを請うています。
こういうのを読むとシナ文明の偉大さがわかりますね。
ちなみに、シナの「花」は桃李(もも・すもも)ですね。

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白頭を悲しむ翁に代る 劉希夷

洛陽城東 桃李の花
飛び来たり飛び去たって誰が家にか落つ
洛陽の女兒(じょじ)顏色を惜しみ
行くゆく落花に逢いて長歎息(ちょうたんそく)す
今年(こんねん)花落ちて顏色改まり
明年(みょうねん)花開いて復(ま)た誰か在る
已(すで)に見る松柏(しょうはく1)の摧(くだ)かれて薪と爲(な)るを
更に聞く桑田(そうでん)の変じて海と成るを

古人また洛城の東に無く
今人(こんじん)還(ま)た対す落花の風
年年歳歳花相似たり
歳歳年年人同じからず
言(げん)を寄す全盛の紅顔子(こうがんし)
応(まさ)に憐れむべし半死の白頭翁
此翁(このおう)白頭(はくとう)真(まさ)に憐れむべし
伊(こ)れ昔 紅顔の美少年

公子王孫(こうしおうそん) 芳樹の下(もと)
清歌妙舞(せいかみょうぶ)す 落花の前
光禄(こうろく)の池台(ちだい)錦繍を開き
将軍の楼閣(ろうかく) 神仙(しんせん)を画く
一朝 病に臥して相識(そうしき)無く
三春の行楽 誰(た)が辺(ほと)りにか在(あ)る
宛転(えんてん)蛾眉(がび)能(よ)く幾時ぞ
須臾(しゅゆ)にして鶴髪(かくはつ)乱れて糸の如し
但(た)だ看(み)る古来(こらい)歌舞(かぶ)の地
惟(ただ)黄昏(こうこん)鳥雀(ちょうじゃく)の悲しむ有るのみ

────────────
現代語訳
────────────
洛陽の町の東では桃や李の花が舞い散り、
飛び来たり飛び来たって、誰の家に落ちるのだろう。
洛陽の娘たちはその容貌の衰えていくのを嘆き、
花びらがひらひらと落ちるのに出会うと長い溜息をつくのだ。

今年も花が散って娘たちの美しさは衰える。
来年花が開くころには誰が元気でいるだろう。

私はかつて見たのだ。松やコノテガシワの木が砕かれて薪とされるのを。
また聞いたのだ。桑畑の地が変わって海となったのを。

昔、洛陽の東の郊外で梅を見ていた人々の姿は今はもう無く、
それに代わって今の人たちが花を吹き散らす風に吹かれている。

来る年も来る年も、花は変わらぬ姿で咲くが、
年ごとに、それを見ている人間は、移り変わる。

お聞きなさい、今を盛りのお若い方々。

よぼよぼの白髪の老人の姿、実に憐れむべきものだ。
この老人の白髪頭、まったく憐れむべきものだ。

だがこの老人も昔はあなた方と同じく紅顔の美少年だったのだよ。

貴公子たちと共に花の咲く木のもと、
花の散る中、清らかな歌を歌い、見事な舞を舞ったりもした。

漢の光禄大夫王根が自分の庭の池に高楼を築き錦や縫い取りのある布を
幕としたように、

後漢の将軍梁冀(りょうき)が権勢を極め、
自宅の楼閣に神仙の絵を描かせたように、

そんな贅沢もしたものだが、

ある日病に臥してからというもの、友達は皆去って行った。
春の行楽は、誰のもとへ行ってしまったのだろう。

美しい眉を引いた娘もどれだけその美しさが続くだろう。
たちまち白髪頭となり、その髪が糸のように乱れるのだ。

見よ、昔から歌や舞でにぎわっていた遊興の地を。
今はただ黄昏時に小鳥が悲しげにさえずっているだけだ

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もちろん、日本文明もそれに劣らぬほど偉大です。
ブログ「ちょっと差がつく百人一首講座」からコピペです。
もうすぐ小名木先生の『百人一首』が彩雲出版から出ます。
予約で初版は売り切れそうですので、みなさまおいそぎください!

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  花の色は うつりにけりな いたづらに
   わが身世にふる ながめせしまに

             小野小町(9番) 『古今集』春・113

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
  
■□■ 現代語訳 ■□■
  
  桜の花の色は、むなしく衰え色あせてしまった、春の長雨が降
 っている間に。ちょうど私の美貌が衰えたように、恋や世間のも
 ろもろのことに思い悩んでいるうちに。
 
■□■ ことば ■□■

 【花の色】
 「花」とだけ書かれている場合、古典では「桜」を意味します。
 「桜の花の色」という意味ですが、ここでは「女性の若さ・美し
 さ」も暗示しています。
 【うつりにけりな】
 動詞「うつる」は花の色のことなので、「色あせる・衰える」と
 いうような意味です。「な」は感動の助動詞で、「色あせ衰えて
 しまったなあ」という意味になります。
 【いたづらに】
 「むだに」や「むなしく」という意味で形容動詞「いたづらなり」
 の連用形です。
 【世にふる】
 ここでの「世」は「世代」という意味と「男女の仲」という2重
 の意味が掛けてある掛詞です。さらに「ふる」も「降る(雨が降
 る)」と「経る(経過する)」が掛けてあり、「ずっと降り続く
 雨」と「年をとっていく私」の2重の意味が含まれています。
 【ながめせしまに】
 「眺め」は「物思い」という意味と「長雨」の掛詞で、「物思い
 にふけっている間に」と「長雨がしている間に」という2重の意
 味があります。さらに「ながめせしまに → 我が身世にふる」
 と上に続く倒置法になっています。

■□■ 作者 ■□■

  小野小町(おののこまち。生没年未詳、9世紀ごろ)
 伝説の美女で、六歌仙、三十六歌仙の一人。平安初期の女流歌人
 としてナンバーワンとされる人です。小野篁(おののたかむら)
 の孫であるとか諸説がありますが、正確な経歴は分かっていませ
 ん。この歌をタネにして「卒塔婆小町」や「通小町」など、「若
 い頃は絶世の美女と謳われたが、老いさらばえて落ちぶれた人生
 のはかなさ」を表現した謡曲や伝説が多数書かれています。土地
 の美人のことを「××小町」などと言うのも小町伝説の影響です。
  
■□■ 鑑賞 ■□■

  栄え咲き誇った桜の花も、むなしく色あせてしまったわね。私
 が降り続く長雨でぼんやり時間をつぶしているうちに。
  かつては絶世の美女よ花よと謳われた私も、みっともなく老け
 こんでしまったものね。恋だの愛だの、他人との関わりのような
 ことに気をとられてぼんやりしているうちに。
             ◆◇◆
  非常によく知られている歌で、色あせた桜に老いた自分の姿を
 重ねた歌です。かつて日本の美女を「小町」と言ったように、伝
 説の美女ですが、それは年をとるにつれて衰えゆく「無常な時間
 に敗れゆく美」を歌い上げたからかもしれません。
  ただ単に美しいだけなら、誰の心にも残りませんものね。
             ◆◇◆
  古今集の撰者だった紀貫之は、その「仮名序(かなで書かれた
 序文)」で、小野小町の歌を評して「あはれなるようにて強から
 ず。いはばよき女の悩める所あるに似たり」と書いています。
  「内省的な美女のような歌だ」といったところでしょうか。
  百人一首と新古今集の撰者、藤原定家は、この歌を「幽玄様」
 の歌としています。幽玄とは、言葉で表している意味を越えて感
 じられる情緒、イメージの広がり、というようなことで、定家の
 父親の俊成は「和歌の最高の理念」としています。
  この歌のもつ滅びの美学、「無常観」といったものが日本的な
 美学の追求にぴったり合ったのでしょうね。
             ◆◇◆
  ただ、こんなに難しく考えなくても、「若かった頃は、私(僕)
 も綺麗だって言われてちやほやされてたなあ。いつの間に年とっ
 ちゃったんだろ」なんて誰もが考えますよね。
  能などでは、老いさらばえて死んで荒れ野でドクロとなった小
 野小町が、現世に未練を残した幽霊として登場したりします。
  それほどこの歌が与えた影響は大きいのですが、要するに誰も
 が心に思っている「若かった頃にやり残したことへの悔い」をこ
 の歌が表現しているからかもしれませんね。
  年をとってくると時間の過ぎゆくのが早いですからね。若い人
 も相応の方も、遅いなんてことはないですから、今からでもやり
 残したことをはじめてみましょうよ、ね。
             ◆◇◆
  さて、数々の伝説を残した小野小町ですが、その墓は京都市左
 京区静市市原町の「補陀落寺(ふだらくじ)」、通称「小町寺」
 にあります。京阪電鉄の終点、出町柳駅から叡山鉄道に乗り換え、
 市原駅で下車すればすぐです。
  境内には、小町の墓の他、姿見の井戸など故事にまつわるもの
 がいろいろあるようです。また、小町の邸宅があったとされる山
 科の随心院には、小町の文塚などがあります。3月の最終日曜日
 には小町に扮した少女が踊る「はねず踊り」が行われるようです。
  こちらは京都市の地下鉄東西線小野駅から東へ歩いて5分の距
 離にあります。付近には小町ゆかりの史跡が数多く残されていま
 す。
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授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫

Author:授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫
戦後70年間日本の教育は根無し草の「世界市民」を育ててきました。そのため小中学校の歴史教育はウソとタブーによって大事な内容が教えられていません。また誤って教えられています。
「授業づくりJAPAN」は、日本の教育のウソとタブーを排し、真実とフェアネスを取り戻していきます。
かつてGHQに禁じられた教育は現在も禁じられたままです。私たちは「日本人を育てる教育」を取り戻します。そのために、命ある限り授業づくりとその普及につとめます。私たちは「誇りある日本人」こそが「真の国際人」になれると信じています。

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