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占領時代:アメリカ兵の下半身

これはウィキペディアの記事です。初めて知ることもありましたのでここにコピーします。

 アメリカ軍が日本に進駐したわずか最初の10日間に、神奈川県下で1336件の強姦事件が発生した。

 沖縄戦でも目を覆うような強姦事件が繰り返されており、日本政府はそれらの被害報告を受け、米兵の強姦対策として銀座に慰安施設を設け、特殊慰安婦を集めた。
 
 同年9月28日、今度はGHQ軍医総監から東京都衛生局に対し、慰安施設の増設を指示された。

 9月の同じ時期、千葉県と神奈川県でも米軍司令部から慰安所を設けるように要請を受けた。

 東京や神奈川県の慰安所では、開業前日に米兵が大挙して押し寄せ、無差別に強姦を行った。

 神奈川県の慰安所では、抵抗した慰安婦を米兵が絞殺する事件も起こっている。

 慰安所設置によって、確かに強姦事件は減少したと考えられている。

 実際に特殊慰安施設協会が廃止される前の強姦事件と婦女暴行の数は1日平均数は40件だった一方、廃止後の強姦事件と婦女暴行の数は1946年前半の1日平均数で330件に増えている。

 1945年の12月25日、東京都の渉外部長(占領軍司令部の命令にサービスを提供する部署)だった磯村英一は、SCAPの将校から呼びだされ、当時焦土と化していた“ヨシワラ”に宿舎を造営して復活させ、占領軍の兵隊のための“女性”を集めるよう命令された。

 東京都はすでに女性や子供をできるだけ田舎に避難させる政策をとっていたが、占領軍の命令にはあらがう術もなく、磯村自ら焼け跡地区で困窮生活をしていた一般女性に、食糧を支給すると約束して集める苦渋の決断を下した。

 都内の焼け残った花柳界も米軍専用に接収された。

 レイプ記録に日米間の差異ロバート・アイケルバーガー将軍は、特殊慰安施設協会に乗り込んだ数百人のアメリカ兵が女性たちをレイプしたことをマッカーサー元帥と話し合ったことや、アメリカ軍による日本女性への暴行を防ぐために日本人が設立した自警団を武装した戦闘車両で鎮圧し、自警団幹部らを長期間にわたって刑務所に監禁したことなどを回顧録に残しているが[22]、占領初期のGHQ 1945年9月「月例報告」では、「日本人は米兵に協力的であり、占領は秩序正しく、流血なしで行なわれた」などと記載されている。

 また、GHQ外交局長W.J.シーボルドは「米兵たちはジャップの女なんかには、手を出す気もしない」と記していた。

 『敗北を抱きしめて』の著者ジョン・ダワーも、米軍自身が日本人慰安婦及び施設を要請したことについては言及していない。

 他方、特別高等警察(1945年10月4日に解散させられ、記録は焼却、一部没収済み)の現存するファイルによれば、1945年8月30日から9月10日の間、占領軍による強姦事件は9、ワイセツ事件6、警官にたいする事件77、一般人に対する強盗・略奪など424件の記録が残っている。

 調達庁の資料では、7年の占領期間中に米兵に殺された者が2536人、傷害を負った者が3012人とある。警察資料では、米兵が日本人女性を襲った事件は2万件記録されている。

緘口令
 1945年9月19日、GHQからプレスコードが発令され、占領軍の犯罪行為の報道が日本のメディアから消えた。

 検閲の存在そのものにも緘口令が敷かれていた。

 米兵の凶悪犯罪は「大男」と記すことによって検閲を免れていたことが、暗黙の了解となっていた。
 
 私生児強姦などにより「GIベビー」と呼ばれる占領軍兵士と日本人女性との混血児が大量に生まれる。

 混血児の多くは父親が誰かわからず、むろん母親からも歓迎されず、線路脇などに遺棄されたり、嬰児の遺体を電車の網棚に遺棄するなどされていた。

 1948年には混血児の救済施設エリザベス・サンダースホームが設立された。

 同1948年に優生保護法が施行され、戦前は禁止されていた人工妊娠中絶が法的に認められた。

 1953年に厚生省が行った調査によると、国内で4972人のGIベビーが確認されている。
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