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足利義満と金閣

足利義満と金閣
●足利義満を教える授業です。義満は卑弥呼以後今日まで唯一中国(明)によって册封された人物です。

『今日は室町幕府の三代将軍、足利義満のお話です。』

*足利義満  1358~1408  室町幕府三代将軍
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1 明の家来になった足利義満
『この時代に日本は商業が発展しました。日本の商人たちは、中国との貿易を望んでいました。そこで商人たちは将軍義満に中国とのつきあいを再開してほしいとたのみました。この時の中国は、あのにっくき元が滅びて明の時代です。ところが、明の皇帝は国交のない国の商人とは貿易はしないという方針でした。ここに日本国としては大きな問題がありました。それは大昔から変わらない中国の考え方でした』

〈中国の伝統では周りの国とつきあうためのルールがありました。それはどんなルールでしたか?〉

【解説】ここまでの授業(弥生時代の王たち~聖徳太子)をやっていれば、册封体制についての正解が児童から必ず出ます。

正解は中華册封体制。言葉が出なくても、中国の皇帝の家来になること、中国との親分-子分の関係、など。

『中国は自分が常に世界の中心でなくては気がすまない国なんですね。でも、日本は他の中国の周辺国とは違って、聖徳太子以来、中国と日本は対等だという考えでやってきました』

〈足利義満はどうしたでしょうか?〉
A 中国皇帝の家来になって、貿易を進めた。
B 中国と対等な立場で、貿易を進めた。
C 中国と対等な立場をつらぬいたので、貿易はできなかった。

*かならず挙手させて、A~Cそれぞれが何人ずつか人数分布をとって黒板に書きます。2人くらいずつ理由を言わせます。家来にはなりたくないという意見と、日本のためには貿易して経済を発達させるべきだという意見が対立します。

実際の義満はAを選びました。

*利義満は「遣明使」を送りました。皇帝への国書には貿易をしたいので国交を開きたいと書きました。そして、皇帝にたくさんの贈り物を持っていかせました。

金100両、馬10頭、扇100本、屏風、鎧、剣などばくだいな贈り物

明の皇帝から返事が来ました。


皇帝の国書
日本国王源道義(義満のこと)よ、おまえが私を愛する心を持って使いをよこしたの
ことに感心である。私は、そのほうびとして、おまえを日本国王として認めよう。

義満の返事
 明の皇帝の家来である私、日本国王源(足利義満)からお手紙を差し上げます。



*「国王」というのは、皇帝の家来という意味です。日本国の代表は「天皇」なのですが、おかしなことですね。義満は天皇の家来であることを忘れてしまったのでしょうか?それだけ幕府の権力が大きくなっていたことがわかります。でも、こうして日明貿易が始まりました。

2 勘合貿易と金閣

〈どちらが日本の輸出品だったでしょうか?〉

A(銅・イオウ・金など)     B(銅銭・絹糸・絹織物など)

*正解はAです。
日本から銅を持っていって5倍の値段で売る。その金で生糸を買ってきて日本で20倍の値段で売る。5×20=100倍のもうけになった。お金も輸入していました。日本の政府はお金をつくっていなかったからです。

資料「永楽通宝」

〈永楽通宝はいまいくらで買えるでしょうか?〉

A 200円    B 2万円   C 20万円  D 200万円

*正解はAです。それくらいたくさんあるということ。

*皇朝十二銭・・・・平安時代の終わり頃に最後のお金がつくられた。鎌倉時代頃から中国のお金がたくさん入ってきて商業が盛んになる。それまでは土地を買うのにたくさんのお米で払った。

*資料:勘合符を見せる。勘合符について話す。商人たちは、義満にばくだいなお礼をしました。こうして義満はおおもうけ。そのお金でりっぱな建物を建てました。 これです。

金閣の写真を見せる。
金閣

*1階は貴族風、2階は武家風、3階は禅宗風、全面に黒漆をぬり金箔を貼った。貴族も武士も僧もすべて私の支配下にあるという意味だ。いまのお金で600億円くらいでしょうか。
 
3 天皇になろうとした足利義満

明の皇帝の家来になった義満は、国内では権力をふるいました。

〈義満が人生の最後にやりとげようとしたことはどれでしょうか?〉
A 自分の息子を天皇にする。
B 中国を征服する
C 黄金の大仏をつくる。

*正解はAでした。
足利義満はまるで自分が天皇であるかのようにふるまいました。
天皇にしかゆるされなかった行事をやりました(皇室の儀式、朝廷の位をさずけること)。
天皇を金閣に招いたとき、天皇と同じ服装になり、並んですわった。
次男善嗣(よしつぐ)を皇室にしか許されない地位につかせ、「親王(次の天皇)」としてあつかわせた。

〈足利善嗣は天皇になれたでしょうか?〉

 A 天皇になった    B 天皇にはなれなかった

*正解はBです。
義満の野望は実りませんでした。得意の絶頂にあった51歳の義満が、流行病にかかってあっけなく死んでしまったからです。
善嗣は第4代の将軍にもなれませんでした。第4代将軍になったのは長男の足利義持でした。義持は父の考え方に反対でしたから、父には嫌われていました。その将軍義持は、明の家来であることをやめ、中国と対等であるという日本の地位はもとにもどりました。また、天皇と征夷大将軍の関係も、もとにもどしました。日本の中心は天皇であり、幕府は天皇から将軍という位をいただいて政治を行うという、本来の姿にもどしたのです。
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コメント

Re: No title

齋藤武夫
ピコピコさんありがとう。また来てくださいね!

No title

ピコピコ
とってもわかりやすかったですv-290色付きの文字 なんか書いた人に惚れちゃいましたv-413e-51  クイズが一番たのしかったv-344つぎは、徳川 家光をやってほしいなv-266
非公開コメント

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