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ハンガリー動乱の映画を見て思い出したこと


僕たちは希望という名の列車に乗った(2018年製の映画)を見て思い出したこと




壁ができる前の東ベルリンに住むエリート高校生の話。彼らはソ連共産党独断の非人間性と抑圧と欺瞞に嫌気がさしています。卒業クラスの仲の良いクラスメートです。クラスには共産主義の正義と可能性を信じている者もいる。

ある日西ベルリンの自由放送でハンガリー動乱(1956)のニュースが飛び込んでくる。一時自由政府が成立するが最後はソ連軍の戦車によってハンガリーの自由は圧殺される。

18歳の高校生達がこの反乱に共感し、共産党独裁体制に抵抗し、最後は自由の国へ脱出する列車に乗る話。

邪悪な共産主義支配への怒りが伝わってくる。

(映画には出てこないが)こうして多数の市民が東ベルリンから脱出。流れを止められないと悟ったフルシチョフは東西ベルリンの境界に壁を築いて彼らを閉じ込めることになる(1961)。
この壁は1989年に崩壊しソ連の支配が終わるまで続いた。

ぼくは高2のときこのハンガリー事件に強い影響を受けた。

そのころベトナム反戦デモに行った縁で共産党のヒトと付き合っていたが、あるとき12年前のハンガリー事件の話になった。

ハンガリー事件は民衆の自由を求める反乱をソ連軍が戦車で弾圧したんだと言うと、その共産党のヒトはきつい言葉で反論してきた。

あれは共産主義に対する反革命で西側の武器が入って扇動されたんだと言い張った。だからあれは市民でも民衆でもなかったと。共産主義の理想のためには潰すのが当然だと言い張った。

ぼくも何人虐殺されてかわかって言ってるのか、など両方ともとても感情的になり、最後は水掛け論になった。

それからそのヒトはぼくには会わなくなった。なぜかかなり残念だった(笑)。

映画を見て、ぼくはなぜ高2でハンガリー事件を知っていたのだろう?と少し不思議な気がした。小学校に入学した年の事件だからだ。

小島亮『ハンガリー事件と日本 - 1956年思想的考察』(現代思潮社2003)

それを読むと当時(1964-66・昭和39-41)大宮市立図書館に通って読んでいた本のある種の傾向を思い出してきた。たぶん梅本克己・津田道夫・黒田寛一(これは革マルの教祖)といった新左翼系(反共産党系)の著者だったのだ。たぶん団塊以外はだれも知らないだろう。これらの誰かからハンガリー動乱とその弾圧を読んだのだと思う。

小島の本を読むとわかるのだが、ハンガリー事件を日本で最も過激に追及したのは極左系の物書きたちだったのだ。もちろん彼らは「正しい真の共産主義革命」を追求するために、共産党(パルタイ)と戦っていたわけだ。日本の論壇も『世界』が中心で左翼が全盛期だと思う。

1956(昭和31)のハンガリー事件がひとつのきっかけでフルシチョフを批判した連中が共産党を出ていった。日本共産党はフルシチョフのスターリン批判にはほとんど反応していなかった。

最も重要な対立点は火炎瓶闘争・山村工作隊などの毛沢東革命路線をやめて議会主義路線に転換した裏切り者日本共産党への怒りだった。トロッキズム・第4インター・革命的共産主義同盟・共産主義同盟…。

この流れから推測してもらえると思いますが、高校生のぼくはまだ共産主義にあこがれており、胡散臭い共産党よりも若い新左翼に希望を見出していたわけです。

高校生のぼくは「市民の自由を愛する共産主義!」というお花畑のイメージだったが、彼らの本音は「本気で暴力革命をめざそう」だったわけだ。

その1年半後くらいにぼくは大学生になった。
初登校のキャンパス正門を入った途端ヘルメットとゲバ棒の「戦争ごっこ」に遭遇する。その大学は共産党が日本一強い学校だったので、それは民青軍団(民主青年同盟)と反共産党グループ(文登・中核・核マル・ML・フロントなどなど)のゲバ棒による突き合い殴り合いが始まった。それをビクビクしながら面白がりながら新入生たちは遠巻きにしていたのです。

こうして始まった大学生活がどうなったかはご想像に任せます。2年後には大学は廃墟になり、ぼくは短いおバカ時代にけじめをつけることになります。

あれ?
何の話だっけ?

そうそう映画の中高校生がしていたような話を、その時代から12年後の日本の高校生がまじめに議論していたんだなあと思って懐かしかったのです。

個人的には、ハンガリー事件を知ったおかげで共産党入党などという最悪の黒歴史が避けられたのはありがたかったのです。
まあこれでも健全な青年時代から見れば十分以上の黒歴史ですが。
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