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続・ハンガリー動乱の話

前回の記事がなんだかわからなくなっちゃったのでもう一度。

ぼくはいま4つくらいのことを同時並行でやっています。

1 日本の第3の国づくりの探求(日本が好きになる!歴史授業史観)

2 「日本が好きになる!歴史授業史観」の歴史物語的な歴史授業的な本の出版

3 日本が好きになる!歴史授業講座の続き(オンライン)

4 自分の身元調査(戦後日本の左翼思想と右翼思想と自由主義のかかわり)

これはカテゴリー4です。

1956年のハンガリー動乱は共産主義がファシズムと同じ人間の自由を抑圧する体制だということを初めて明らかにした事件でした。もちろん当時はスターリニズムと言って「共産主義とは何か違ったもの」とみなされていましたが、1980年代になってようやく「それが共産主義だった!」と明らかになり、ベルリンの壁が崩壊し、ソ連が崩壊しました。

世界思想の分野でその時点でハンガリー動乱の意味を理解した人がいたのかどうかわかりません。
しかしハンガリー動乱に触発されて共産党の欺瞞に気づき脱党した若者たちがいました。彼らは時代の限界から極左の道に進み、赤軍や京浜安保共闘などといった袋小路の中で散っていくか、より邪悪な共産党(中核・核マルなど)に衣替えして生き延びていきました。

彼らのように共産主義の理想に魂を奪われて自己の物語を生きた若者がいっぱいいて、ぼくもそのひとりだったわけです。19歳の終りくらいまででした。赤軍に行った人、気が狂った人、自殺した人、アル中になった人、病気で亡くなった人・・・生き延びた人。さまざまです。

当時」全共闘運動の中には様々なグループがありましたが、共通の敵は機動隊と日本共産党でした。
ぼくはズルイから「無政府主義(アナキスト)」グループにいました。これは「党」なんかいらないという空想主義でしたので、現実的に国家を組織する(抑圧する側の)思想にはなりえません。そしてこのグループはクロポトキンとかといっしょに小林秀雄や吉本隆明を読んでいました。そして1968年の「プラハの春」に一番強く共鳴したのはこのグループでした。まさにソ連軍の戦車に語り掛けていたプラハの人々はぼくたちの同時代人であり身近な同志でした。

共産主義という迷妄にとらわれながら、なお人間の自由ということを最優先事項にしていた極左もいたわけです。それは間違いなくハンガリー動乱でソ連軍に殺された連中の衣鉢を継いでいたのだと思っています。

そういうわけで、ぼくの身元調査の原点として「ハンガリー動乱」があったことは、極左からの連続性として現在の立ち位置を確認できるように思え、少し救われた思いがしたのです。
そういえば『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官の物語」について熱心に議論していたことを、いま思い出しました。
それだけのことですが、明日から70代を生きるための座標軸を見出したような気がしています。
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