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日本は2回国づくりをした

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ぼくの授業は日本の大きな物語を5つの章で語るストーリーです。

第1章 日本民族の形成(縄文~弥生)

第2章 古代日本の国づくり(弥生~奈良)・・・国づくり1

第3章 日本文化の形成(平安~江戸)

第4章 近代日本の国づくり(幕末~明治)・・・国づくり2

第5章 世界の中の日本を模索した時代(大正・昭和・平成・令和)

これを図示するとこうなります。


2019-08-25 (8)



本当は平成の内に第6章「ポスト近代の国づくり(仮名)」が始まる予定でしたが、これまでの踏み迷い時代(帝国主義の一員として自立・大東亜戦争・米軍の占領・半独立国時代)の縛りが強すぎて、このまま滅亡するのか、第3の国づくりに進むのか、決断できずに迷走状態が続いています。


おおざっぱなものですが、基本になる考え方を書いてみます。


第1の国づくりは縄文以来の民族文化にシナ文明の外圧がかかって、国家形成・文明化へと跳躍した結果でした。シナの漢字文明の強い影響下に日本的律令国家が成立しました。


このとき基本の設計図を書いたのが聖徳太子でした。

「日本が好きになる!歴史授業」では、聖徳太子の国づくり三大方針をこうまとめています。


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1 外来文化を導入しつつも伝統文化の核は残し、両者を総合して「日本」を再創造していく。これは「仏教を導入しつつも日本の神々への信仰を残した」政策によって自覚的に成立した文化戦略です。


2 天皇中心に一つにまとまる国。これは十七条憲法にはじめて明記されました。


3 世界の超大国とも対等に交際する独立国。これは隋との対等外国によって東アジアの国際秩序(華夷秩序)を克服した政策です。


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第1の国づくりはこの三大方針を堅持しつつ天武・持統の時代に国づくりの骨格が完成していきました。この後は、国家以前の民族文化の上にシナの「漢字文化」が乗っかったかたちの日本文化が形成されていきました。



第2の国づくりは欧米文明の外圧が契機になって、近代国家への跳躍が行われました。このときも外圧がシナから欧米に変わっただけで、国づくりの基本方針は第1の古代国家の形成のときと同じでした。維新の志士たちや明治の元勲たちが聖徳太子を学んだとは思われませんが、結果的に3大方針が受け継がれてアジアで唯一の近代国家が成立しました。


国家以前の民族文化とシナの「漢字文化」と欧米の「近代化科学+キリスト教文化」が融合する離れ業でしたが、日本はこのとき相当な無理をせざるをえませんでした。文明的な傷手を負ったように思えます。


また、世界が一つのネットワークになる中で、人種差別が前提とされる国際社会の中で、3つの大方針を堅持するためには、いくつかの矛盾を抱え込まざるを得ませんでした。その結果が大東亜戦争の敗戦であり国家滅亡の淵に立つことになりました。そして現在もなお日本は「敗戦国」として生きているように思えます。


日本は長い歴史の中でずっと「われらここにあり」という矜恃をもって生きてきました。一国一文明という席でも例外的な地位にあります。しかし、戦後の76年間にはそれが失われています。


国づくりの3方針に照らしても何かおかしい。

1の文化戦略では、日本とは何か?日本はどんな生き方をするのか?という根源的な問いにさらされています。

2の天皇中心の国も危機にみまわれています。

3の「独立国」はさらに怪しく、幕末の不平等条約に近い国家に戻っています。


(つづき)







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