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歴史授業講座 36「日清戦争と下関条約」

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『中国のめざめ』宮崎市定著(中公文庫)より

「16世紀以降広く行われたアジアの植民地化は、ただ植民地国家に対して悪口を言っただけでは少しも歴史の解明にならない(中略)植民地化という現象については、植民地化された側にも問題はあったのだ。そしていったん植民地化されると、そこに植民地根性という悪い性質が根強く植え付けられてしまうのである」(中略)
「日本の明治維新はそんなものではなかった。日本が開国の決意を決めた時、それは全くの孤立無援で、虎のような狼のような白人列強に取り巻かれて、四面楚歌を聴く想いであった。援助資金などは、一銭だってもらえる時世ではなかったのだ。できれば頼りにしたい黄色民族の清国や韓国は、日本の進歩主義的政策に対して、露な敵意を示して憚らなかった。日本の頼むところは、ただ自国、自国民しかなかった。」
「その指導者の中には、相応しくない人物ももちろんいた。しかしながら、始めから失政後の亡命生活を考え、性質の良くない金を外国銀行に預金しておくようなたくらみをするものは一人もいなかった。失敗したらそれまで、江藤新平や西郷隆盛のように死ぬなら日本国内で死ぬのだ。」(中略)
「日清戦役は、何と言っても立憲国と専制国との間の戦争であった。そして結果として、立憲国日本が勝ってよかったのである。それが同時に中国人民のためにもなった。もしもあのとき、清朝のほうが勝っていたら、東亜はいったいどうなっていただろうか。(中略)そして韓国ももう一度、300年前の清の太宗による征服の苦悶を味わされたことであろう。」
「日露戦役もまた、立憲国と専制国との間の戦争であったが、なおそのうえに、黄色人種と白色人種の間の戦争という意味が加わっていた。(中略)インドはイギリス支配下に苦吟していた立場上、心底から日本に同情を寄せたことも事実である。だからと言って彼らに実際できることは何一つなかった。清朝に至っては、局外中立を宣言して平気でいたのである。どこの領土内で戦争があるのかしらんといった顔であった。」
「この場合も日本が勝ったからよかったのである。列強による中国の領土分割の危険がこれにとって解消された。ロシアではロマノフ王朝の専制政治の権威が動揺し、革命運動が活発になった。長い世界の歴史上に、もし義戦というものがあれば、日露戦役こそその第一に数えられるべきであろう」(「中国のめざめ」宮崎市定著 中公文庫)


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