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薩英戦争

薩英戦争
●授業のねらい:生麦事件と薩英戦争のあらましを知り、日本人の尊厳をかけてイギリスと戦った武士がいたことを共感的に理解する。

1 生麦事件

■明治初期の生麦(横浜市鶴見区)の写真を示し問う。
生麦2

生麦1


 いまからおよそ150年前、ペリーの黒船が来てからおよそ10年後、通商条約を結んで5年後のことだ。
  この写真の場所である大事件が起きた。この道は当時の東海道。今の横浜市鶴見区にあたる。
  どんな事件が起きたでしょう?


★列指名で思いつきを言わせる。

■1862年八月の生麦事件の事実経過を物語る.できるだけ具体的に!(4人の英国人、1人死亡、1人負傷)。

■イギリスは幕府に謝罪と賠償金10万ポンド(28万両)を要求した。薩摩藩には斬った武士の処刑と賠償金2万5000ポンドを要求した。幕府は言われるままに支払った。

 みなさんが薩摩のリーダーだったら、どうしますか?
A:斬った武士をイギリス側に渡し、ばいしょう金も払う。
B:ばいしょう金は払うが、斬った武士は渡さない。
C:賠償金も、斬った武士の引き渡しも断る。


★人数分布をとり、意見を言わせる。

■大久保利通の写真を貼り、その決断が【C】だったことっを教える。
 資料「大久保が藩主の代わりに書いた手紙」を読む。


  大名行列について、わが国法はきびしい。
  無礼な行為があれば、切り捨てるべきであると定めている。
  だから、薩摩の武士は国の法を守った者であり罪はない。
  彼らは犯罪者ではなく、薩摩藩が賠償金を払う義務はない。
  逆に、イギリス人が 日本にいて日本の法を守らず、罪を犯して切られたのである。
  西洋人といえども日本に来たのなら日本の法に従うべきなのはいうまでもない。
  その法は幕府が決めたものなのに、法を守らなかったイギリスに対してあやまり、賠償金を払うことこそまちがっているので ある。





2 薩英戦争

その結果、どうなったかを予想しなさい。

★列指名で、1列指名して言わせる。

■イギリスは幕府と交渉しても、薩摩に言うことをきかせる力がもう幕府にはないことを知った。鹿児島湾に7隻軍艦(89門)で押し寄せ、24時間以内の回答をせまった。

■大久保は「薩摩藩は、攘夷をさけぶ長州藩と、幕府を応援して戦ってきた。その開国派の薩摩藩が、日本の法を守ったせいで、いまイギリスから攻撃を受けようとしている。なんという運命だろうか!」と言ったそうです。

 薩摩藩は、イギリスのおどしに対して、どうしたでしょうか?
 A:戦って滅ぼされるよりも、ここはがまんしてイギリスに従う。
 B:ねばり強く交渉して、なんとかイギリスにあきらめさせる。
 C:だんことして戦う


*意見分布をとり、意見を言わせる。

■絵「薩英戦争」を見せ、戦ったことを告げる。

■資料:薩英戦争を読む。



3 薩英戦争の後始末

 戦いの後、薩摩藩の意見は2つに分裂しました。

 A:早く解決しよう派    B:あくまで戦う派

 戦争の後始末を任された大久保利通の意見は、どちらだったでしょう?


*意見分布をとるだけで正解を教える。

【正解はA】
武士としての意地を見せたことに満足し、イギリスと手をうつことにした。
大久保は、2万5000ポンド(7万両)を払うことにした。
しかし、賠償金ではなく遺族養育料とした。
しかも、それを幕府に払わせた。そのとき大久保がつかった手を教えよう。しぶる老中みこう言ったという。「もし7万両お貸し願えないのなら、やむをえない。やりたくはないがイギリス公使を斬って、自分も切腹する」。
幕府の老中はふるえあがって、金を出したという。



4 攘夷戦争を戦った長州と薩摩

 諸藩の中でいちばん力のあった長州藩と薩摩藩は西洋と戦った。

 戦った結果、両藩と西洋の関係はどうなったでしょうか?

A:さらに悪くなった   B:変わらなかった  C;仲良くなった


*意見分布をとり、理由を言わせる。

【正解はC】

■イギリス人は、堂々と戦う誇り高い武士の精神(長州藩と薩摩藩)を尊敬し、幕府よりも薩摩と長州を応援するようになった(軍艦を売ったり、鉄砲や弾薬を売るなど)。
イギリスは、これからの日本は、幕府ではなく、長州藩と薩摩藩を中心にまとまっていくのではないかと考え、自分たちの将来の利益を考えたのである。

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初めまして

 今日、初めて拝見しました。また伺います。

Re: 初めまして

こちらこそ。
よくおいでくださいました。
またのお越しをお待ちしています。
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授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫

Author:授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫
戦後70年間日本の教育は根無し草の「世界市民」を育ててきました。そのため小中学校の歴史教育はウソとタブーによって大事な内容が教えられていません。また誤って教えられています。
「授業づくりJAPAN」は、日本の教育のウソとタブーを排し、真実とフェアネスを取り戻していきます。
かつてGHQに禁じられた教育は現在も禁じられたままです。私たちは「日本人を育てる教育」を取り戻します。そのために、命ある限り授業づくりとその普及につとめます。私たちは「誇りある日本人」こそが「真の国際人」になれると信じています。

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