スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

廃藩置県

廃藩置県の授業

◆授業づくりの話◆
黒船来航から王政復古の大号令までの授業には、安部正弘、吉田松陰、高杉晋作、坂本龍馬、勝海舟、徳川慶喜、木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通など、きら星のごとき英雄たちが次々と登場する。幕末の史実をていねいに教えるのは、その後の変革の理由がすべてそこにあるからだ。幕末がわかれば明治がわかる。逆に、ペリー来航以後十数年の日本人がわからなければ、明治の日本はわからないのである。
 王政復古を教えた後、「明治の国づくりの大方針を考える」という授業をする。子供たちが明治政府の一員となって、どんな方針で国づくりを進めるべきかを考える学習である。このテーマで書かせてみれば、幕末の学習で何をどう理解できたのかが表れる。
 子供たちが考えた「国づくりの大方針」は次の四つにまとめられた。
 
 第一、西洋列強と対等につきあえる国をつくる。
第二、天皇中心に一つにまとまる国をつくる。
 第三、西洋の学問や技術のすぐれたところに学び、日本の伝統文化も守る。
 第四、西洋の大砲や軍艦をつくり、西洋に負けない強い軍隊をつくる。

八つの学習班に分かれてプランをつくり、共通するものを取り上げて検討するという授業である。時間が許せばもう少し増えるのだが、各班の方針案を多い順に検討していくと、明治の国づくりの重要な柱はほとんど立っていた。おそるべき子供たちである
 このほかにも、「藩でバラバラになっている国を一つにまとめる」「身分ではなく、実力のある人をリーダーにする」「身分を平等にする」「工業を発展させる」「新しい国のきまりを作る」などがあった。最後に、各自がノートに箇条書きした方針案を、坂本竜馬の「船中八策」や明治天皇の「五箇条の御誓文」と照らし合わせてみた。「似ている!」「あっ、これも同じだ!」という感動の声があがった。
 授業後の感想文に、数人が聖徳太子の名を挙げていたこともうれしい成果だった。
●「今日の授業では国づくりの大方針パート2をやった。パート1は聖徳太子の時だ」
●「日本を西洋と対等にするためにやる事は、聖徳太子の国づくりの方針とほとんどが似ている事に気づいた。やはり国が一つにまとまることが、いつの時代でも重要なのではないか」
●「聖徳太子の時とほとんどいっしょだった。ちがうのは、相手が中国ではなく西洋だということと、今回はすごく武力の差があるということだ。だから、今回は今まででいちばん大きなピンチだと思う。いちばん真けんにならなくてはならない」

 国の歩みの大きな流れをしっかりとつかみ、先人と共に考えていることがわかる。
 明治の授業づくりは、これらの大方針の中から重要なものを一つ一つ取り上げていけばよいのである。
 ここで紹介するのは、「天皇中心に一つにまとまる国を作る」「藩でバラバラになっている国を一つにまとめる」という政策を考える授業である。
 古代の国づくりでいえば、中大兄皇子の大化改新にあたる。古代では在地豪族の、近代では藩の「私」を廃して、国家という「公」を創出し、中央集権国家をつくるという大改革である。
 教材は明治四年七月の廃藩置県。登場人物は大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允の三人。
 この授業も「仏教伝来」と同様の政策検討型の歴史授業である。授業づくりのポイントは、廃藩置県という政策を、賛成派と反対派の意見を通して示すことにある。
 子供たちはまず、賛成派と反対派の両方の主張を読んで、政策の全体像をとらえる。その上で、どちらかの立場を選んで自分を主張する。資料を検討して考え、意見を言い合いながらまた考える。このようにして、廃藩置県という史実が立体的に理解され、知識としても印象深く定着するのである。
 さて、廃藩置県とはそもそも何のことか。詳細は「授業の実際」をごらんいただくとして、ここでは伊藤博文の言葉を示しておこう。廃藩置県が成功して数ヶ月後の十二月二十三日、アメリカ合衆国サンフランシスコ市で岩倉遣欧使節団の歓迎晩餐会が開かれた。その席上でスピーチに立った伊藤博文は、廃藩置県の成功をこう語ったのである。

 今日わが日本の政府および国民の熱望していることは、欧米文明の最高点に達することであります。この目的のために、わが国ではすでに陸海軍、学校、教育の制度について欧米の方式を採用しており、貿易も盛んになり、文明の知識をすすんで取り入れています。
 しかもわが国の進歩は物質文明だけではありません。国民の精神の進歩はさらにいちじるしいものがあります。
 数百年来の封建制度は、一個の弾丸も放たれず、一滴の血も流されず、一年の内に撤廃されました(廃藩置県のこと)。このような大改革を世界の歴史において、いずれの国が戦争をしないでなしとげたでありましょうか。この驚くべき成果は、わが政府と国民の協力によって成就されたものであり、この一事を見ても、わが国の精神的進歩が物質的進歩を凌駕するものであることがおわかりでしょう。
          (泉三郎『堂々たる日本人 知られざる岩倉使節団』祥伝社)


◆授業の実際◆

1 維新の三傑の不安

 前の時間に「明治の国づくりの大方針」を考えました。みなさんは、明治天皇が神々に誓った「五箇条の御誓文」や、坂本竜馬が書いた「船中八策」とほとんど同じ考えを持てました。すばらしい内容でした。
 これから、その国づくりの大方針に、明治維新のリーダーたちがどう取り組んでいったかを勉強していきます。今日はその第一歩です。
『この三人の人物が主人公です』

gazo-Ookubotosimiti0.jpg
木戸孝允
隆盛西郷





この三人はすでに、吉田松陰、高杉晋作、坂本竜馬などを学ぶ中で何度も出てきている。おなじみ顔ぶれだ。
『この三人のことを〈維新の三傑〉と言います。明治維新を成し遂げた三人の英雄という意味です。確かに、この三人がリーダーシップを取って?h摩藩と長州藩を動かせなければ、明治の新しい国づくりは始まらなかったことでしょう』
 いま、二六〇年続いた徳川氏の政府が滅び、明治の新政府ができ、国の首都が東京に移り、明治天皇も江戸城に移ってこられました。最後まで江戸幕府を支持した東北諸藩との戦いも終わりました。
みなさんは、これで国が生まれ変わった、さあ新しい政治が始まるぞ、と期待に胸をふくらませていることでしょう。
 しかし、明治の三傑の思いはそうではありません。
「これはまだ形ばかりの政府だ。徳川幕府を倒しただけでは、国の大きな仕組みは何も変わってはいない。これでは新しい政治を始めることもできない」
 三人はそう考えていたのです。
 「できるだけ早く、国を一つにまとめなければならない」
 それが今日のテーマである「廃藩置県」という政策です。前回の授業でみなさんの中から出ていた「天皇中心に一つにまとまる国」「藩でバラバラになっている国を一つにまとめる」という大改革のことです。
若い志士たちや木戸孝允がプランを立て、大久保利通が強いリーダーシップを発揮して実行し、西郷隆盛がうまくいかなかったときのために政府を守る一万人の軍隊を率いる、という文字通り維新の三傑の共同作業でした。幕府を倒すために協力し合ってきた三人が、今度は、新しい政府のリーダーとして決断したのです。
しかし、三人はその時とてつもない不安の中にいました。
 それは徳川幕府を倒す戦いを進めているときよりもはるかに大きい不安でした。 
 こんどは、数百年続いた武士の国という、日本の国の仕組みをぶちこわして、新しく国民の国に作り直すという大事業です。徳川という一つの敵が相手だったこれまでとは違って、へたをすると、全国の藩の大名とその家来たちすべてを敵に回すことになるかも知れないのです。しかし、古い日本のままでは「西洋と対等につきあえる国」はつくれそうもありません。
「いちかばちか、やるしかない」
 それが、このときの三人の正直な気持ちでした。
『さて、どうなることでしょう』


2 廃藩置県についての意見

『これから、廃藩置県について、二人のリーダーの意見を読んでみます』
 リーダーAは、明治政府の計画に賛成の主張をしています。いわば明治の三傑の宣伝係です。リーダーBは、廃藩置県は日本のためにならないという反対意見です。
 今日みなさんは、先祖代々武士の家に生まれた若者になって、この討論に参加することにしましょう。
『資料をしっかり読んで、どちらの意見に賛成か、自分の考えを決めてください』




【リーダーAの意見】 いますぐ廃藩置県をやりましょう

 徳川幕府が終わり、明治政府ができたのに、新しい政治が行えないのはなぜでしょうか?
 それはいまだに二六〇もの藩がそのまま残っているからです。これは、日本が二六〇の小国に分かれた、バラバラ状態だということです。
 藩にはそれぞれ殿様(大名)がいて、その殿様の家来である武士がいます。こうして明治政府ができたいまも、彼らは、自分の藩の政治は自分たちで進めるのだと考えています。
 彼らが「わが国は・・・」というとき、その国は「日本」であるよりも前に、自分の藩のことなのです。
 そのために、政府の決めたことがなかなか全国にいきわたりません。せっかく明治政府ができたのに、日本がまとまって新しい国づくりを進められないのはそのためです。
 また、税金も江戸時代と同じで藩が集めています。それらのほとんどは、武士の給料になってしまいます。そのため、明治政府の金庫はからっぽです。
 政府にお金がなくては、新しい政治を始められるわけがありません。
このままでは、明治政府とは名ばかりで、「西洋と対等につき合える国づくり」は一歩も前に進めないのです。
 いまこそ、全国の藩をやめて、日本は本当の意味で一つにまとまるべきです。
 そして、日本を新しく県に分け、県のリーダー(県知事)には政府の役人を派遣します。こうして、税金が政府に集まる仕組みを作るのです。
 そうすれば、明治政府は国民の税金を使って新しい政治が行えます。政府が決めたことも、すぐに全国で一斉に実行できるようになるでしょう。
いますぐ廃藩置県をやり、明治政府の強いリーダーシップで日本全体を引っ張っていけるようにすべきです。それをためらっていたら、日本はほろびてしまうでしょう。


【リーダーBの意見】 廃藩置県には反対です

廃藩置県には反対です。なぜかといえば、これをやると、武士(サムライ)の仕事はなくなり、武士はみんな失業してしまうからです。二六〇人の藩の殿様もいらなくなります。税金はみな政府に行ってしまい、かれらの給料が出なくなるからです。
 つまり、廃藩置県とは、武士の身分をいっぺんになくしてしまうという、おそろしい計画なのです。
 徳川幕府を倒して天皇中心の明治政府をつくるために、多くの武士が働きました。武士たちが、命がけで働き、戦ってくれたおかげで、私たちの明治政府ができたのです。
 私たちの考えに賛成していっしょうけんめい戦ってきた武士たちを、やりとげたとたんにクビにするなんて、あんまりひどすぎます。そんなことで、日本がりっぱな国になれるとは思えません。
 私たちの目標は、何よりもまず、日本を西洋に負けない強い国にすることです。そのためにも武士は必要です。
 第一に、武士は戦いの専門家です。戦いの技術を持ち、作戦もわかります。
 第二に、武士たちには、国のために命をかけるという道徳があり、それをやりとげる勇気もあります。
 何百年も戦いとは縁がなかったふつうの国民に、それをもとめるのは無理というものでしょう。武士こそ日本の国を守るいちばん大事な力なのです。
それだけではありません。いま無理して武士をクビにすれば、かならず全国の武士は立ち上がってまた戦争になるでしょう。そんなことになれば、今度こそ本当に国はバラバラになり、きっと日本はほろびてしまうでしょう。




資料を読んだ後、子供たちの意見分布は次のようになった。
 A 賛成派・・・二十五人
 B 反対派・・・十二人
 まず、少数派のBの立場から発言していった。論点はおよそ三つである。
 第一は、手柄のあった人たちを、成功したとたんにクビにするのはおかしいというものだ。確かに、こんなひどい話は世界の歴史にも例がない。
「命がけで明治維新をやりとげたのに、いきなりクビにするのはひどいと思うからです」
「武士が生活ができなくなるのはおかしいと思います。ペリーが来てからめちゃくちゃに なっていた日本を作り直すためにいちばん働いたのは武士の人たちだからです。それに、 これからも武士がリーダーになるのがいいと思います」
「徳川幕府を倒すことに武士たちが賛成して、戦ってきて、明治政府をつくったのは武士 たちだから、それをクビにするのはあんまりひどいと思いました」
第二は、いま内乱が起きて、国内戦争が再開すれば、こんどこそ日本は危ういという意見である。
「いま、無理に武士をクビにしたら、ぜったいに武士はだまっていないと思います。私だ ったらぜったいに反乱を起こすと思います。そんな戦争が起きては困るので、廃藩置県 には反対です」
「せっかく全国の武士が、やりとげたぞ、やったーって喜んでいるときに、いきなりクビ するのはすごく残酷だと思います。さらに、いま戦争になっちゃたら日本は滅びるから。 やめておいたほうがいいです」
「廃藩置県をしたら、全国の武士が明治政府に戦争をしかけてくると思います。そんなこ とになったら、できたばかりの明治政府はもたないと思います。いままで味方だった武 士たちが敵になったら、日本は滅びてしまうかもしれません。だから私は反対です」
「日本の中で意見が分かれていて、戦争になるかもしれないことだとすると、いま急いで やるのは危険だと感じました。西洋と対等な国になることが目的なのだから、国がばら ばらになって争うことはもうやめるべきだと思います」
第三は、西洋に立ち向かおうという時に、戦いのプロ集団をやめさせてどうするんだという意見である。
「日本は今、西洋に負けない強い国をつくろうとしています。それなのに、戦うためにあ る武士をなくすのはおかしいです。戦う専門家がいなくなったら、西洋に攻められたと きに負けちゃうから、ほんとに日本が滅びると思いました」
これで反対派の発言が終わった。
『だいたい3つの理由ですね』と論点を整理した。
 ①手柄のあった武士がかわいそうだ。②国内戦争は危険である。③戦いのプロ集団は必要。子供たちが、資料をしっかり読み取っていることが分かる。

『では次に、賛成派の意見を聞いてみましょう』
第一は、やはり財源確保論である。
「税金が藩に集まってしまって、明治政府にはお金がないというのが決定的にダメだと思 いました。これから、前話し合った目標に向かっていろんな政治をしなくちゃいけない のに、世の中お金がなくちゃ何もできません。明治政府が国づくりをできないのはまず いので、賛成にしました」
「このまま廃藩置県をやらないで、税金が国に集まらないなら、近代国家になって西洋と 対等につきあうなんて夢のまた夢だと思います。つらいこともがまんしないと、こんど のピンチは乗り切れないと思いました」
第二は中央集権型の統一国家論である。
「ここで戦争になってみんながバラバラになっては危ないと言ったけど、いま何もしない でも二六〇の藩に分かれてしまっていて、それは二六〇の小さな国に日本がバラバラに なってるのといっしょなんだから、まず一つの国としてまとまることが大事だと思いま す。日本はこれから軍隊を強くしていかなくてはいけないんだから、武士は兵として働 くようにすればいいと思いました」
「藩があって、藩の政治は殿様とその家来がやるんだとしたら、明治政府の決めたことが 全国で進められないと思います。Bでは明治の新しい政治ができないんだから、ダメで す。ただ私も武士はかわいそうなので、全国の武士を国の軍隊としてあつめて働くよう にしたらいいと思いました」
賛成派の主張はこの二点にしぼられる。が、これらの意見にも見えるように、賛成派の多くも武士に対する思いはそれなりに切実である。この政策の非情さがわかるだけに、反対派への反論のかたちで、こうすれば武士をやめてもだいじょうぶだいう失業対策や、つらいけれども我慢だという精神論をつけ加える意見が多い。
 しばらく彼らの発言に耳を傾けてみよう。
「もし廃藩置県をやらないと、明治政府の金庫は空っぽで政治ができません。廃藩置県を やれば国は一つにまとまって税金が明治政府に集まり、国づくりができます。藩をなく せば武士がなくなるんだとしたら、それはしょうがないんだし、武士はこれから富国強 兵の強兵になって国の役に立てばいいと思います」
「Bの人たちは武士がかわいそうということだと思うけど、もし廃藩置県をやらなければ いつまでたっても西洋に追いつけないんだから、あきらめてほしいです。リストラでか わいそうというけど、かわいそうかわいそう言ってたら歴史は前に進めないと思いまし た。武士の反乱も必ずあるというわけではないし、武士はそれなりにどこかで活躍して もらえばいいと思います」
「武士はいったん藩からクビになって、それから明治政府が雇えばいい。県の役人とか兵 隊など仕事はあると思う」
「Bの人は武士のことを中心に考えているけど、四民平等で、これからは身分もなくなっ てふつうの人が中心になるんだから、もう武士はいらなくなるんだと思いました」
国家の目標はいわゆる階級の利害に優先すべきだというような主張など、資料の内容を超えた判断も見られる。最後に、次のような「反乱はつぶせる」という意見が出た。
「反乱を恐れては何もできないし、もし反乱が起きても、明治政府は薩摩と長州と土佐が 集まってできてるんだから、日本で一番強いし、反乱はつぶせると思います」
この意見は強力だった。たとえ反乱が起きても大丈夫なら、賛成派はそうとう強気になれる。こうして賛成派の発言が終わった。
 そのとき、反対派の一人がこんなふうに話し出した。
「よくわからないことがあるのでいいですか?」
『どうぞ』
「二六〇の藩に分かれているというのは、お互いに戦争をして分かれているのですか?」
『いやそれは戦国時代の話ですね。江戸時代二六〇年は藩どうしの戦いはまったくありませんでした。江戸幕府が強い権力で藩同士の争いを許さなかったから、江戸時代の長い平和があったわけです。それぞれの藩には殿様がいて自分の藩の政治をやっている。徳川幕府は藩の政治は藩にまかせて、外国とのつきあいのこととか、国内の平和な秩序が乱れないようにするとか、国全体のことをまかされていたわけです』
「だったら、誰かが二六〇の藩に分かれていてどうしようもないみたいなことを言ったけど、全部の藩が集まろうとすればいつでも集まれるわけであって、いま国の中で戦争をすれば、集まれるものも集まれないわけだから、おかしいと思います。日本はいま一つにまとまることが大事なんで、戦争になったらまた戦国時代みたいにバラバラになるんだから、それだと、日本は西洋よりも弱い国になっちゃうんじゃないかなと思いました」
 つまり反乱が起きて混乱する危険があるのなら、藩の地方自治はそのままにして、明治政府も江戸幕府のような連邦政府ではいけないのかという意見なのである。
 あくまで比喩としていうのだが、Bを採用したのがイギリスではないだろうか。イギリスは王制も貴族制度も残して近代化を実現した。ゆっくり時間をかけて着実にやった。一方、フランスは、残虐なまでの大手術をやった。国王一家を殺し、反対派の市民や農民を虐殺し、伝統の制度の全体を暴力的に破壊しつくそうとした。
 日本は天皇制度という伝統を重んじたことはイギリスと同じだが、武士階級はいっぺんに廃止するという決断をした。日本にゆっくり変わるゆとりがなかったのは、西洋列強の圧力によって強いられた近代化であったからである。
 この宿命がわが国の歩みに影を落としていることは確かなことだ。例えば武士階級の廃止によって武士道が失われたために、統治者の質が急落していくという見方がある。もし、武士階級を残した、イギリス流の近代化が可能だったら、どんな日本でありえただろうか。子供たちの話し合いを聞きながら、私はそんなことを考えていた。
 思っても見なかった言い分に、こんどは賛成派が頭をかかえる番だった。しかし、明治政府を連邦政府とする国家構想には誰も反論することができなかった。
『たいへんよい話し合いでした。資料をよく読んで自分なりの考えが持てましたね』
 Aを選んだ人もBを選んだ人も、「西洋と対等につきあえる国をつくる」という目標は同じでした。
西洋列強がアジアに押し寄せてきて、日本は歴史始まって以来の大ピンチです。いまやろうとしている廃藩置県は、人間で言えば心臓を丸ごと切り取って、別の心臓と入れ替えるくらいの大手術です。失敗したら、患者は死んでしまうかもしれない。でも、やらなければ病気は少しずつ悪くなる。どうしたらいいんだという悩みと似ています。
 二六〇年平和が続き、それなりに立派な政治をしてきた各藩の大名と全国の武士をまるごとリストラして、藩をなくしてしまおうというわけです。今までリーダーだった人たち、支配者だった人たち全員をクビにするという話ですからね。そう簡単にいくとは誰も思っていません。
 西洋の国々の圧力の中で、日本は必死になって変わろうとしている。変わらなければ、彼らの植民地になってしまうかもしれない。なんとかして国を作りかえて、西洋と対等になりたい。そのためにはこの大改革は避けられない。とにもかくにも、政府に税金が集まらないのでは話は始まらないだろう。これが賛成派の意見でした。
 それに対して反対派の意見は、目標は同じだがもう少しゆっくりやりましょうということかもしれない。ドバーっと血が出るような大手術は避けて、薬でやりましょうという感じです。藩も残して、大名も武士も残して、徳川幕府と同じようなゆるやかな国のまとまり方でも、なんとか西洋に追いつけないかという気持ちです。
 これはそうとう重大な別れ道でした。徳川慶喜はBの可能性を求めて敗れていった一人です。しかし、維新の三傑は、今すぐ、断固とした決意を持って、廃藩置県を実行することを決断しました。
 武士の反乱に備えて、薩摩・長州・土佐の武士たち一万人が集められ、西郷隆盛が指揮をとることになりました。三人はこの改革の「血も涙もない非情さ」をよくわかっていました。自分が逆の立場だったら必ず立つと考えたからこそ、反乱に備えて一万人もの兵力を集めたのです。
 廃藩置県こそが本物の明治維新なのだと考えていたのです。
 

3 武士階級の自己犠牲

 明治四年(一八七一年)七月十四日、明治天皇は廃藩置県の詔を発表されました。
 詔(みことのり)というのは、天皇陛下の名で発表されるた明治政府の命令のことです。この詔によって、明治の三傑の願いが高らかに宣言され実行に移されました。
 思い切ってわかりやすく直すと、それは次のような意味の言葉でした。




廃藩置県の詔

 この変革の時に、国の内では全国民の安全な暮らしを守り、国の外で西洋列強と対等につきあおうとすれば、政府の命令は全国に同じように行われなければならない。
しかし、数百年の古い藩の仕組みがあるために、なかなか政治の実を上げることができない。これでは、とうてい新しい国づくりは前進できない。私はこのことをたいへん残念に思っていた。
 いまここに、これまでの藩をすべて廃止して、県とすることにした。県ごとに政府の役人を派遣して、政府の方針通りの政治が全国で行われるようにするためである。
 どうか、努力して政治のむだをなくし、各地でばらばらな政治が行われるようなことがないようにしていただきたい。全国のリーダーたちは、これをすすんで実行してほしい。




『心配されていた武士の反乱は、このときはまったく起きませんでした』
「えー?」と、まさか信じられないという声が上がった。
『諸藩の大名も武士たちも、黙ってこの大久保さん、木戸さん、西郷さんの政治を受け入れました。それはなぜだったのでしょう?』
ここで、一つの解釈として、次の資料を読むことにした。




【廃藩置県に驚いたアメリカ人・グリフィス】

 当時、日本にいた外国人たちは、こういって大変驚いたそうです。
「ヨーロッパの国で日本の廃藩置県のようなことをしたら、血で血をあらう国内戦争が起きるだろう。それまで数百年もの間、様々な特権を持ち民衆を支配してきた人々が、自分から進んでその身分をすててしまうということはありえないからだ。なぜ、こんなだいたんな改革が、日本では平和のうちに行われたのか。まことに不思議である」
それは、多くの武士たちが、今の日本になぜ廃藩置県が必要なのかをよく理解していたからではないかと考えられています。武士たちの多くは、自分たちの特権や支配者としての身分をすててでも、日本という国全体を救わなければならないと考えたのです。
その実例を一つ見ておくことにしましょう。
このころ、いまの福井県に、若い武士たちを教えていたグリフィスというアメリカ人の先生がいました。
 廃藩置県が行われたとき、ある若い武士がグリフィスに次のように話したそうです。
「これで日本も、あなたの国やイギリスのような国の仲間入りができるでしょう。必ず日本はそうなりますよ。」
 かれもまた、たとえ自分の身分と仕事がなくなっても、国を一つの政府にまとめ、国づくりのための税金を政府に集めなければ、日本が独立した国として生き残ることはできないと考えていたのです。
 グリフィスは生徒達にこう話しました。
「君たちの国日本は、一滴の血も流さずに廃藩置県という大改革をなしとげました。それは君たち武士が国のために自分を犠牲にしてもいいというりっぱな考えを実行したからです。これは、日本が世界に誇れることです。」




『こうして、藩は廃止されて、日本は明治政府のもとに一つにまとまり、政府の命令が全国で一斉に行える仕組みができました。税金も明治政府に集まり、大きな政治が行えるようになりました』
 しかし、藩をなくすことは武士という身分をなくすことでもありました。徳川二六〇年、鎌倉時代からならおよそ千年、多くの特権を持っていた支配階級である武士というグループが消えてなくなりました。武士たちは、それまで支配してきた農民や町人と同じ立場になりました。日本人の中に身分の上下がなくなり、すべての国民が平等な国、近代国民国家が誕生したのです。
ただ、みなさんが一番心配していた武士の給料ですが、武士が自立できるまでの当分の間、明治政府から出すことにしました。生活の補償はしていくことにしたのです。
さて、日本の武士には武士道という道徳がありました。それは藩や国の政治を任されているという誇りにもとづいた道徳です。
 自分たちが、農民の税で暮らし、苗字を持ち、刀を差せるなど、たくさんの特権を持っているのは、リーダーとしての責任を命に替えても果たすという約束があるからだ。国のために命がけで責任を果たすのが武士なのだから、いま国が生まれ変わるために武士がいらなくなるというのであれば、それに従うのが国のために生きる武士の務めである。
 日本のサムライたちの多くが、このような責任感を持っていたからこそ、わが国は、この時代の厳しい運命を乗りこえていくことができたのだと思います。
こうして天皇を中心にすべての国民が平等に一つにまとまり、明治政府の下に県があるという国の大きな仕組みができあがりました。みなさんが考えた重要な方針が実現されていく土台ができたのです。
『しかし、当時の日本の国力では、「西洋と対等につきあえる国」という目標は、はるか彼方の夢のようなものでした。しばらくはまだ、明治の日本人の血のにじむような我慢と努力の歩みが続きます』



◆学習を終えて◆

■また今日もなやんだ。これからの日本に大きく影響する問題だったから真剣に考えた。まず何を始めるのにも一つにまとまるのが大事だと思った。それぞれの藩がそれぞれの意見・考えを持ち、他の藩と話し合っていたらきりがない。日本という国を、外からも中からも良くするためには、まとまることが重要だったんじゃないかと思った。武士がリストラされてしまうのはかわいそうだけど、そんな個々の問題よりも、日本という大きなものの問題を解決するのが最優先だと思った。

■今日の授業はかなり頭をひねった。Aの考えもいいところがあるし、Bの考えにもいいところがあったので迷った。武士をクビにするのはかわいそうだし、廃藩置県をやらないとどうなるのだろうと思った。結局、廃藩置県は行われた。でも、やらないで武士をクビにしなかったらどんな日本になっていたのだろう。西洋の植民地だったのか。それがわからない。明治はおもしろいなと今日の授業でますます思えてきた。

■この授業は、今までは絶対にありえないぐらい平和に終わった大問題だった。みんなの考えがまとまらないかぎり、絶対にできないと思った。たぶん武士たちも、ここでバラバラになったら、西洋に支配されてしまうとわかったのだろう。廃藩置県で武士たちを失業させてしまったのだから、絶対に西洋には支配されないでほしいと思った。

■私はBを選んだ。なぜかというと、戦争になってしまうかもしれないからだ。だけど、日本の武士たちはちがった。日本が西洋と対等につきあえるなら、と言ってやめていった。これは、徳川幕府がほとんど戦わないでやめたのとよく似ていた。武士とは、国のためなら何でもできる人たちのことだった。私は日本の武士を誇りに思えた。
■廃藩置県をやるかやらないか。じっさい今、県があるのだから、やるとは思っていたものの、武士が活躍して日本が変われたのに、こんどは一つにまとまるから武士はもういらないなんて、あまりに勝手すぎると思ったから、私はBにした。しかし、武士もえらくて、国のためなら自分がリストラされてもいいなんて、本当におどろいた。こうやって今の日本ができていくんだなあと思っていた。この武士の中に、私のご先祖様はいるのかなあと、授業中ずっと思っていた。

■私は賛成しました。このままずっと藩のままでいくと、新しい国の政治ができないからです。でも、武士をクビにしないでそれができないのかと、ずっと考えていました。活躍した武士は国の軍隊に入れる、その他の武士は商人などになればいいのではないかと考えました。アメリカのグリフィスの話を聞いていると、日本は一つにまとまる面(団結する)
では西洋よりも上だなと思いました。

■廃藩置県がいやなのは武士、喜ぶのは平民だ。武士よりも平民のほうが多いのだから、多数決で決めたらきっと廃藩置県をすることになるだろう。だからといって、今日から殿様も武士もお給料なしっていうのもちょっとひどい。ここが難しかった。しばらく政府から給料が出ると知って安心できた。このことに成功すれば、日本はより近代国家に近づくと思う。 

■今日の授業もむずかしかった。最近討論をやる際に、日本が選んだ道とは反対の考えを選んでしまうことが多い。どうしてなのかはわからない。でも、自分の考えをしっかりもって発表できたし、役に立てたと思う。
 ペリーが来てからずっと、本当にまた聖徳太子や中大兄皇子の時代にもどったようだ。天皇中心に一つにまとまる、外国の文化を学ぶ、強い国と対等になるなど全く同じだ。ぼくたちは授業で、太子たちがどんな方針で国づくりをしたか知っていたけど、木戸・西郷・大久保は知らないはずなのに、同じことを考え、同じ事をやろうとする。これはすごいことだと思った。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫

Author:授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫
戦後70年間日本の教育は根無し草の「世界市民」を育ててきました。そのため小中学校の歴史教育はウソとタブーによって大事な内容が教えられていません。また誤って教えられています。
「授業づくりJAPAN」は、日本の教育のウソとタブーを排し、真実とフェアネスを取り戻していきます。
かつてGHQに禁じられた教育は現在も禁じられたままです。私たちは「日本人を育てる教育」を取り戻します。そのために、命ある限り授業づくりとその普及につとめます。私たちは「誇りある日本人」こそが「真の国際人」になれると信じています。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
FC2カウンター
ご訪問ありがとうございます!
FC2ブログランキング
ワンクリック!応援よろしく御願いします。

FC2Blog Ranking

人気ブログランキングへにほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。