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西南戦争

西郷と大久保:西南戦争

1 親友の別れ

◆西郷と大久保の写真を貼る。

◆2人の親友関係の話。
 加治屋町出身、子供の頃からの友人。いっしょに明治維新を進め、大久保は世界を見に行き、西郷は留守政府を守った。命がけで一つのことをやりとげた親友同士。その二人が別れを迎えている。直接には朝鮮外交(征韓論と内治優先論)。真の理由は二人の考え方の違いだった。

◆資料を配って読む。




【西郷隆盛の思い】

これまで、大久保さんといっしょに国づくりを進めてきたが、いまの政府には大きな疑問を持つようになった。
 えらくなった政府のリーダーたちは、ぜいたくな家に住み、ぜいたくなくらしをして、ただえばっているだけという人が多くなった。商人からわいろをもらう政治家もいる。 これは、西洋のまねをして金持ちでぜいたくな国をめざすからではないか。これでは、いざというときに、日本人の戦う元気がおとろえていくのではないかと心配だ。また、出世できなかった士族(もとは武士だった人々)がすべてをうばわれていくのが悲しい。
 私は、西洋の弱肉強食のやり方をまねしたくない。政府は西洋に学ぶというが、お金の力と軍事力で弱い者いじめをするような国をめざすのはおかしいのではないか。日本は西洋よりも道徳的に上の国をめざすべきではないだろうか。そのために、長い伝統のある武士の道徳(武士道)をもう一度とりもどしたいと考えるようになった。だから、私はもう今の政府にはついていけない。鹿児島に帰って、苦しい立場にある士族たちのことを考えたい。


【大久保利通の思い】

西郷さんの理想はわかるが、私たちがちょとゆだんすれば、日本がほろびるというピンチにあることを忘れてはいけない。西洋の豊かさと力を、この目で見てきた私は、力には力で対抗するしかないとかくごを決めた。
 とにかく「西洋と対等につき合える国」という目標に向かって、このきびしい現実を一歩一歩のりこえることだ。 そのためには、西洋に学んで富国強兵の方針をつらぬくしかない。工場を建て、貿易をさかんにし、お金の面でも西洋と対等な国にする。そして、その経済力で西洋と戦っても負けない強い国をつくる。それしか、日本の選べる道はないのだ。士族も一人の国民として、この現実にたえてほしいのだ。
 弱肉強食が世界の現実なら、日本もまたその現実の中で生き残っていくしかないのである。道徳的な国をめざして、国がほろびてしまっては、私たちが明治維新をやりとげた責任が果たせないではないか。
 私は、富国強兵の政治を進めて、責任を最後まで果たしたい。




読み終わってから指示する。

 これから2つのことをやります。
  1 西郷さんか大久保さん、応援をしたい方を選んでマルをつける。
 2 選んだ理由としていちばん「なるほどそうだなあ」と思ったところに線を引く。


*西郷派と大久保派の人数分布をとり黒板に書く。それぞれ線を引いたところを発表させる。



2 鹿児島の士族が立ち上がった

◆資料を配り、読む。




鹿児島の士族たちと西郷隆盛

西郷隆盛が鹿児島に帰ると、東京にいた薩摩出身の政治家や役人の多くも、政府をやめてふるさとに帰っていきました。
「大久保はあまりにも冷たすぎる」
「西郷さんは、もう一度明治維新をやりなおすお考えではないか?」
そんなふうに話し合っていたそうです。

 鹿児島では、士族たちの不満がうずまいていました。
「明治政府をつくったのはわれわれ武士の力なのに、政府のやり方はひどすぎる」
「まず武士の身分がなくなった」
「いままで明治政府から出ていた給料も、もうすぐなくなるそうだ」
「こんどの法律(廃刀令)で、刀を差すことも禁止になるというではないか」
「刀は武士のたましいである。これだけはゆるせない」
「大久保のやり方では、日本の伝統がすべて失われてしまう」
「もう一度、明治維新をやりなおそう」
「西郷さんはきっとわかってくれる。西郷さんに立ち上がってもらおう」
明治十年二月。鹿児島にはめずらしい雪の日のことです。鹿児島の士族たちは、ついに武器を取って政府を変えようと反乱を起こしました。

 西郷は、大久保といっしょに明治維新をやりとげて、もう武士の時代にはもどれないことはよくわかっていました。しかし、士族の苦しさやくやしさには、深い同情をよせていました。
 西郷は愛情の深い人でした。仲間や教え子たちを思う心の深い人でした。西郷自身は、武力で政府を倒そうとすることには反対でしたが、彼らが必死の思いで自分にたよるのを見ては、もうそれをことわることができませんでした。ここで命を捨てなければ、人の道にはずれる、と思ったのです。
 こうして、西郷は、反乱軍のリーダとなって立ち上がったのでした。

(・・・かわいい士族たちを、
      ほってはおけない・・・)




*板書:明治10年(1877年) 2月 西南戦争(鹿児島士族軍VS政府軍)

『明治政府の最高責任者である大久保利通は、ようやく国づくりの土台ができるというときになって、最大の敵を前にしました。その敵は自分のふるさとの士族たち、明治維新をやりとげた仲間でした。しかも、そのリーダーは自分がもっとも信頼 し、共に明治維新をやり遂げた親友でした。

あなたがもし大久保だったら、どちらを選びますか?

  A:だんことして戦い、西郷をたおす。
B:親友である西郷とは戦わない。

AかBを選び、その理由をノートに書きなさい。


*人数分布をとり、話し合わせる。



3 大久保の選択と戦争の結果

◆大久保は断固戦う決意を固め、政府軍を九州に派遣しました。
 それは、Aを選んだ人たちが言ったとおりです。

『政治家というのは、家族や友人のためよりも、国のため、国民のために、やるべきことを優先しなければならないきびしい仕事です。大久保は、日本の新しい国づくりを進めるのは自分の使命だ考え、強い責任感で親友の反乱をたたきつぶしました。両方の戦死者がそれぞれ6000人、けが人を入れると全部で4万人という大戦争でした。西南戦争は日本の歴史最後の国内戦争でした』

◆板書:日本の歴史最後の国内戦争
    9月 政府軍の勝利、西郷は自殺した。→武士が完全に終わった

『この戦争で、士族の反乱はなくなりました。武士という存在が完全に終わったのです。』


4 大久保の死 

◆大久保は、日本という国のために大切な友人を死なせてしまった。先に立ち上がったのは西郷でしたが、大久保は西郷が進んで立ったとは思っていません。愛情の深さからやむを得ず立ったのだと考えていました。
◆末の妹の証言を話す。
『西郷さんの死を知らされた兄は、目にいっぱい涙をためて、だまって家中を歩き回っていました。背の高い兄は鴨居に頭をぶつけても気がつかないようでした』

◆板書:「新しき日本のために、やむをえざる非情」=政治家の責任

『さて、大久保はこの10年で明治の土台ができたと考えました。西郷の死をムダにしないために、次の10年で西洋に追いつく政治をぐんぐん進めていきました』

大久保は西郷が死んだ後、どのくらいで亡くなったでしょうか?

    A:8ヶ月後
    B:8年後
    C:18年後


◆【正解はAの8ヶ月】『大久保は、西郷さんの考えに賛成だった石川県の士族に、大蔵省に出勤する途中で襲われ暗殺されました。西南戦争終結後わずか8ヶ月、これからほんとうの国造りが始まると考えていた大久保はそぞかし無念だったことでしょう。大久保の内ポケットには西郷さんからの手紙が大事そうに入っていました』

板書:明治11年5月14日 大久保暗殺される

『歴史の大きな流れを神様の目から見ると、西郷と大久保は最後まで協力して武士(士族)を終わりにして、一緒に死んでいったのだという人がいます。なぜなら、西南戦争で武士という身分が完全に終り、みんな平等な国民になり、武力による反乱がなくなったからです。ようやく明治日本のしっかりした土台ができたと言えるでしょう。』

◆西南戦争中に木戸孝允も病気で亡くなり、この戦争でこうして維新の三傑がそろっていなくなった。明治日本の土台に家を建てていったのは、大久保利通のバトンを引き継いだ伊藤博文でした。
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授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫

Author:授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫
戦後70年間日本の教育は根無し草の「世界市民」を育ててきました。そのため小中学校の歴史教育はウソとタブーによって大事な内容が教えられていません。また誤って教えられています。
「授業づくりJAPAN」は、日本の教育のウソとタブーを排し、真実とフェアネスを取り戻していきます。
かつてGHQに禁じられた教育は現在も禁じられたままです。私たちは「日本人を育てる教育」を取り戻します。そのために、命ある限り授業づくりとその普及につとめます。私たちは「誇りある日本人」こそが「真の国際人」になれると信じています。

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