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樋口季一郎と杉原千畝

 1933年、ドイツにナチス政権が成立しユダヤ人に対する迫害が始まった。
祖国を持たない大量のユダヤ人難民が受け入れ国を求めてさまよい出した。ユダヤ人を受け入れてくれる国は少なく、同情的だった英米さえ入国制限をするようなった。日本もユダヤ人難民受け入れの方針を立てる必要に迫られ「ユダヤ人対策要綱」が策定された。

 日本は第一次世界大戦後のベルサイユ会議で「人種平等案」を提案したことがあるように、有色人種の先頭に立って人種平等の精神を主張してきた。ユダヤ人迫害は明らかにこの日本精神に反していた。
「要綱」には、現在居住するユダヤ人は他国人と同様公正に扱うこと、入国するユダヤ人は入国取締規則に基づき公正に対処すること、などユダヤ人を差別しない方針がうたわれた。

1939年ドイツはポーランドに侵攻しヨーロッパは戦場になったため、彼らが逃れる道はもはやシベリア鉄道しか残っていなかった。彼らの多くは日支事変によって日本軍が占領していた上海をめざした。
なぜなら、当時上海だけがビザなしでも難民を受け入れる唯一の都市だったからだ。上海には2万7千人のユダヤ人が移り住んでいた。

1938年12月、満州のハルピンで第1回極東ユダヤ人大会が開かれ、日本を始め東アジアからからたくさんのユダヤ人が集まった。ナチス・ドイツの暴挙を世界に訴えるのが目的だった。
この会の開催を許可したのが、ハルピン特務機関長だった樋口季一郎中将だった。樋口はこの会に来賓として出席し、次のような挨拶をしている。

「ヨーロッパのある国は、ユダヤ人を好ましからざる分子として追放している。(中略)受け入れ国がないまま追放するのは、刃を加えない虐殺にひとしい行為である。私は個人としてこのような行為に怒りを覚え、心から憎まずにいられない。」

翌年の3月に事件が起こった。
満州国の満州里駅と国境を隔てたソ連領オトポール駅に、約2万人のユダヤ難民が吹雪の中で立ち往生しているというのだ。彼らは日本滞在のビザを持たないので、ウラジオストクから船で日本に渡ることができない。そこで、満州国を経由して陸路上海をめざそうとしたのである。

 樋口はただちに満鉄総裁の松岡洋右に頼んで列車の手配をした。満州国の外務省を飛び越えて動くのは樋口の権限を越えていたが、樋口は「五族協和・王道楽土」という満州国建国の理想を信じたかった。
樋口のおかげで、すべての難民がハルピン駅まで運ばれ医療介護を受けて命びろいをした。多くはその後上海へ向かい一部は満州に入植した。樋口はそのための住居や土地も世話している。

この件について、ドイツ外相から「ドイツ国家と総統の理想に対する妨害行為だ」と、樋口の処分を要求する抗議が舞い込んだ。
樋口は満州国参謀本部参謀長の東条英機に呼び出されたが、次のように主張したという。

「ドイツのユダヤ人迫害という国策は人道上の敵であり、日本満州の両国がこれに協力すれば人倫の道に外れることになります。ヒトラーのお先棒をかついで弱い者いじめをすることを正しいと思われますか。」

 東条は説得され、樋口は処分されないどころか参謀本部第2部長に栄転していった。
別れの時、特急あじあ号の展望デッキに立った樋口を、満州在留のユダヤ人が見送った。ホームにあふれた群衆は、両目に涙をあふれさせながら口々に感謝の声をかけて見送った。

翌1940年7月、ユーラシア大陸の西北端のリトアニアでは、領事の杉原千畝が外務省の訓令を破って6千人のユダヤ人難民に手書きの日本滞在ビザを発給した。
前年にドイツが侵攻したポーランドから逃れてきたのである。
日本通過ビザがなければソ連を通過できず、ゲシュタポに逮捕され、強制収容所に送られ、その多くは虐殺されていただろう。

 杉原千畝は書いている。

「最初の訓令を受理した日は,一晩中私は考えた。考えつくした。訓令を文字どおり民衆に伝えれば,私は本省に対し従順であるとして,ほめられこそすれ,と考えた。(中略)苦慮,煩悶の挙句,私はついに人道博愛精神第一,という結論を得た」

 杉原は、毎日毎日数百枚のビザを手書きで書いた。
 杉原からビザを発給されたユダヤ人はシベリア鉄道を経てウラジオストクに至り、そこから船で日本に渡り、神戸や横浜から上海かイスラエルかアメリカに逃れて生き延びることができた。

 さて、最後に上海のユダヤ人はどうなったのか。
1941年、後に「ワルシャワの虐殺者」とよばれることになるナチス親衛隊のヨーゼフ・マイジンガーが上海にやってきた。彼は上海を管理する日本軍にこう提案した。

「廃船にユダヤ人を詰め込み、洋上で撃沈する。」

 ヒトラーの大虐殺計画をアジアにまで持ち込もうとしたのである。
しかし、日本政府はこの要請を断固として拒否した。ユダヤ人居住区の生活は、戦時中困難を極めたが、ユダヤ人はそれを乗り越えて終戦によって解放された。

 イスラエルの首都エルサレムの丘に高さ3メートルの本を広げた形の黄金の碑が立っている。
ユダヤ民族のために力をかした人々の恩を永久に讃えるために、世界各国のユダヤ人の寄付で造られた。ユダヤ人は歴史上多くの迫害を受けたが、一部の人々から受けた恩を忘れずにこの碑に記してる。 
メンデルスゾーンやアインシュタインなどのユダヤの偉人達にまじって、「偉大なる人道主義者、ゼネラル・樋口」とあり その次に樋口の部下であった安江仙江大佐の名も刻まれている。

また外交官・杉浦千畝はイスラエル政府から「諸国民の中の正義の人賞」を授けられている。

 樋口季一郎と杉原千畝は、現在もなおイスラエル国民および世界のユダヤ人から偉大な人物として顕彰されているのである。
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授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫

Author:授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫
戦後70年間日本の教育は根無し草の「世界市民」を育ててきました。そのため小中学校の歴史教育はウソとタブーによって大事な内容が教えられていません。また誤って教えられています。
「授業づくりJAPAN」は、日本の教育のウソとタブーを排し、真実とフェアネスを取り戻していきます。
かつてGHQに禁じられた教育は現在も禁じられたままです。私たちは「日本人を育てる教育」を取り戻します。そのために、命ある限り授業づくりとその普及につとめます。私たちは「誇りある日本人」こそが「真の国際人」になれると信じています。

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