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『学校でまなびたい歴史』 1 まえがき

【まえがき】

 学校で歴史をまなんで、「日本人に生まれなければよかった」と書く子供がいる。日本の過去を反省するためなら、史実をまげてでも日本人が行ったとされる悪事を教えなければならないと考える教師がいる。
こんな歴史教育は間違っているのではないか。こんな歴史を子供たちは、まなびたいはずがない。子供たちにとって、本当に「学校でまなびたい歴史」とは、右の感想とは逆に、「日本人に生まれてよかった」、「日本人であることを誇らしく思えるようになった」と書きたくなるような歴史なのではないか。そう考えて、私は、この数年間、ひとりの小学校教師として、ささやかな模索を続けてきた。
 本書は、現段階で私がたどりついた、右の設問への答案である。私の授業を受けた六年生は、次のような感想を残して、学校を巣立っていった。

●今の私たちや今の日本は、昔、日本を立派な国にしようと一生けん命努力した人々のおかげであることがわかった。
●私は歴史の授業を通して日本のことをたくさん知ることができた。これでやっと本当に日本人になれた気がする。

 子供たちは、先人の努力を敬い、自国を愛する真心のあふれた文章を書いてくれた。子供たちは、自国の歴史を「わがこと」としてまなんでくれた。家族の一員として先祖から命のバトンを引き継ぎ、日本人の一人として先人から国づくりのバトンを受け継ぐ。そうした決意のようなものを、子供たちは言葉にして残してくれた。
本書は、小学校における歴史授業の実践報告である。同時に、私が担任し、私が心から誇りに思っている子供たちとの共同作業で生み出した、新たな歴史物語でもある。そうしたものとしてお読みいただければ幸いである。
 授業は、さいたま市立島小学校で私が担任した平成十二年度の六年二組と、平成十四年度の六年一組で行った。この二つの学級は、私の学級通信の名前を取ってそれぞれ「まほろば一代目」「まほろば二代目」とよばれている。一代目が三十六名、二代目が三十九名。この素敵な子供たちと、彼らを慈しみ育てた保護者と出会えたことは、私にとってこれ以上ないといえるほどの幸運だった。毎週三時間、全六十八時間の歴史授業を、子供たちは真剣にまなび、また、まなぶことを楽しんでくれた。
 その中から、八時間分の授業を選び、六章のお話にまとめた。
 私たち教師が授業研究の資料に使う記録は、そのままでは読みにくくて、一般読者に提供できるものにはならない。そこで、歴史読み物としても読めるわかりやすさ、読みやすさを追求して文体を私なりに工夫した。そのヒントになったのは、産経新聞の教育欄「解答乱麻」に書かせていただいた授業記録風の文章である。できれば、読者も一学習者になったつもりで、「同級生」の子供たちの意見に耳を傾けながら、祖国の歩みの大きな物語を楽しんでいただけるとうれしい。
次の文章は、まほろば一代目が、すべての歴史授業を終えて書いた「日本の歴史を学んで」という題の作文の一つである。それは、生まれて初めて歴史を学んだ少女が、一筆で描ききった「日本」でもある。少し長いが、全文を引用させていただきたい。

●私は、縄文時代の時から今まで、ずっと歴史はつながっていたんだと思った。そして、今も歴史は進み続けているんだと思った。
弥生時代に初めて卑弥呼というリーダーが現れてから、日本は天皇をリーダーにして発展していったのだと思った。日本が一つにまとまったころ、日本は他の国との交流が始まった気がする。
 そして、六世紀から七世紀ごろに、聖徳太子が活躍した。私は、聖徳太子が国のかたちをはっきりと決めたから、今まで日本が一度(アメリカ)しか支配されずに、ここまでやってこれたのだと思う。このころから日本は中国に追いつこうとしていたことにはおどろいた。それは、明治時代に日本が西洋の国に追いつこうとしていたことにつながっていたと思う。これもやっぱり歴史のつながりなんだと思った。
 そして、七世紀についに戦い(白村江の戦い)が起きた。これで初めて、日本として戦ったことがわかった。でも、戦うことばかりではなく、奈良の大仏ができたり、文化も発展していったからすごいと思った。そして、日本の文化も発展していって、かな文字ができて、短歌が発展し、日本の行事が生まれた。私は、かな文字ができたことが特にすごいと思った。そのかな文字がなければ、今日本人みんなが困っていたかもしれない。こんな前にできたかな文字が今でも使われているなんて、本当にすごいと思った。
 それから日本は戦国時代になった。私は、日本の中で戦いをしてはぜったいにいけないと思った。またいくつもの国に分かれてしまったら、日本がここまで発展してきた意味がないと思った。でも、そんな中、戦いをおさめられる人物も現れ、日本はまた一つにまとまれた。よかったと思った。
 一八五三年、ペリーがとつぜん日本に乗りこんできた。私は、このころから西洋の国々とかかわってきたことが太平洋戦争になった一つの原因だと思った。でも、江戸幕府が終わったことはよかったと思う。このまま幕府を続けていたら、日本はただ西洋の言いなりになっているだけだったかもしれないからだ。
 でも、明治時代になってから、日本は変わったと思う。人々は平等や自由をもとめるようになって、今の人々とすごく似ていると思った。しかし、新しい社会が始まったとたんに戦争が起こった。日露戦争には勝ったけど、その後の戦争は日本が負け続ける戦争になっていった。太平洋戦争だ。でも、日本は負けても戦い続けた。私は、ここまでして日本を守った人々はすごいと思う。きっと今の人にはできないと思う。「日本のためなら死んでもいい」そうみんなが思っていたんだと思った。でも、アメリカはそれ以上に強く、原子ばくだんを落としてきた。たくさんの人々が亡くなり、たくさん人が悲しんだ。
 私は戦争だけはしたくないと思っている。でも、この時代の人々がもう戦争はしないという気持ちを日本国民に伝えてくれたから、私も戦争をしないという気持ちを持てたのだと思う。
 歴史を勉強して、一番大切なことは自分の考えを持つことだと思った。それぞれの時代にすごく意味があって全て今の私たちにつながっている。それを忘れてはいけないと思った。歴史は今も進み続けている。このままずっと日本の歴史が進み続けてほしい。

子供たちは、このように、それぞれ個性的な「歴史」を書いてくれたが、授業としては、私の実践はまだまだ未完成である。本書をお読みいただいて、ご教示いただければ幸いである。

平成十五年六月                       著者



【本書の構成・表記について】
各章は①「授業づくりの話」、②「授業の実際」、③「子供たちが学んだこと」の三つの節に分かれている。
①「授業づくりの話」には、その授業がどうやってできたか、その授業までに至る経緯や付随するエピソードなどが書かれている。授業のねらいや意図を示して、本文の理解を助けるための節である。
②「授業の実際」が本文にあたる。
 文章中の『 』は授業の中で教師が子どもたちに話した言葉である。「 」は子供が話した言葉である。
 ただし、『 』に入れずに地の文に落とした教師の話もある。『 』の中があまり長くなるのがわずらわしく見え、勢いでそうなったのである。だから、地の文であっても、「・・・です」のように文末が敬体の部分は、教師が教室で話しているイメージで読んでほしい。しかし、地の文の中で「・・・だ」のように常体の文末になっている部分は、現在進行中の授業ではなく、その外に出た筆者の解説や注記である。
 子供の発言や、子どもが書いた文章は実際とほとんど変えていないが、地の分に落とした教師の説明や解説部分などは、単純な授業記録を大幅に加筆修正している。また、子どもたちの発言は、順序を入れ替えたりグルーピングして示したところもある。これらはみな、授業記録を読み物にするためにしたことである。
③「学習を終えて」には、それぞれの授業の後に子供たちが書いた感想文の一部を並べておいた。それを読めば、子供たちの中にどんな学習が成立したのかがわかるだけでなく、授業の意図や史実の持つ意味もまた立体的になるはずである。
この三つの節は、私たち教師がくり返し行っている授業研究(教師修行)の基本的なサイクルでもある。授業をつくり、実践し、結果を評価し、授業を修正する。そのようにして日々の授業を改善し、また新たにつくり直しながら、教師は前に進むのである。

ご無沙汰でした!再開します!!よろしくお願いします!!!

◆しばらく留守にしました。以下のことを優先してやっていました。
・教師のための日本が好きになる!歴史授業講座〈全授業IN千葉〉第7回11/3市川

・上と同様な内容の一回講座IN埼玉、IN名古屋、IN札幌
・「斎藤先生の日本が好きになる!親子歴史教室」IN三室(さいたま市緑区)
1029三室親子歴史教室

・ウェブライブ授業「斎藤武夫の日本が好きになる歴史講座」(Learn Japan提供)
http://www.learnjapanonline.com/
・ブログ「授業づくりJAPANの日本人を育てる授業」http://jdjapan.blog.fc2.com/
・メルマガ「授業づくりJAPANの日本人を育てる授業」http://melma.com/backnumber_198666/
・私家版『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』の販売

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◆おおむね軌道に乗りましたので、ここで、自分なりのつぶやきなどを再開することにしました。
 新たに授業もつくっていこうと思います。

◆私家版『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(¥2000)は、2刷りして現在1400部ほど販売しました。現在600部の在庫を抱えています。
 趣旨をご理解いただけましたなら、販売にご協力いただければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。
 また歴史講座が開催できるようでしたら、ぜひ声をかけてください。交通費(+必要な場合は宿泊費)+講師料(ご相談)でどこへでも参ります。
 また、来春をめどにCD版「パワーポイント授業用スライド:授業づくりJAPANの日本が好きになる全授業」を販売します。ご期待ください。FullSizeRender.jpg

◆最後に、ライブ授業の宣伝をします。
 PC、タブレット、スマホなどで、世界中のどこからでもアクセスできる歴史授業です。
もちろん日本語で進めます。9/25に第一回を始めて、11/27に第9回「仏教伝来」の授業をやります。このあらましを紹介します。
・この授業は、現在の学校教育では望みがたい「日本人としてのアイデンティティー・誇り」をしっかり育てる歴史授業です。
 この授業を受けると日本が好きになります。考える力もつきます。先人への感謝の心が自然とわいてきて、日本人としての自分に誇りが持て、生きる自信がつきます。自尊感情が豊かになり、情緒が安定し、思いやりのある子になります。意欲と向上心が高まります。規範意識と公共心という地盤ができて、自律・自立できる力になります。最も重要な変化は逆境に強い子になることです。2000年の祖国の歴史(先祖・先人のバトンリレー)にいまここにある自我がしっかりと支えられるからです。
・主催は「Learn Japan」という日本語教室のサイトで、ウエールズにお住まいのホール典子さんがやっています。この歴史講座も彼女の企画です。
・申し込みは「Learn Japan」から簡単にできます。受講料は1ヶ月4回3000円ですが、一家族何人参加してもOKです。しかも初めの4回は体験講座ということで無料です。
無料で体験してやめることができますので、お試しにどうぞ!
・毎週(日本時間です)日曜日の午後6:00~(欧州用)、水曜日の昼12:00~(米西海岸用)、水曜日の午後7:00~(アジア・豪州用、の3コマのどこに入っても大丈夫です。日本の方はおもに水曜午後7時を想定していますが、どのコマも自由に選べます。・zoomというソフトを使いますがPCの場合はソフトをダウンロードしなくても教室には入れます。ただし、タブレットまたはスマホの場合はあらかじめzoomアプリ(無料)をダウンロードしておきます。
・お申し込みいただいたら、ホストからメール(教室に入るためのリンク(ID)と資料のプリントpdf)が届きます。時間になったらメールにあるリンクをクリックすると「実行か保存か」を聞いてきますから、実行をクリックすれば、もうそこは教室です。すぐに授業に参加できます。
・現在、日曜のコマが一番多く10名ほど参加しています。イギリスとスペインと日本の方(日本人とハーフのお子さん)です。水曜の昼はロスに住む日本人の少年が2人。水曜の夜は日本在住の方が3人参加しています。まだ少人数ですので、とてもアットホームな雰囲気で楽しく授業を進めています。
・ぜひアクセスしてみてください。
http://www.learnjapanonline.com/?page_id=50

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パンフ2

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改訂版16「陸奥宗光と領事裁判権の撤廃」


★領事裁判権(治外法権)の撤廃をめざした苦闘の歩みを学ぶ。陸奥宗光がその第一歩を達成した。陸奥の偉大さは教えるが、しかし、それはたんに一外交官の手柄ではなく、名に日本の官民一体の団結と努力が成し遂げたことであることを教えよう。ようやく、明治の目標{列強と対等につきあえる国}の半分が達成できた。後の半分は、戦争の実力を見せなければ達成できなかった。明治日本が置かれた過酷な運命を思いたい。

1 ノルマントン号事件

◆ビゴーの絵「ノルマントン号事件」を見せる
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┌───────────────────────────────┐
│ この絵を見て、疑問に思ったことをノートに書きなさい │
└───────────────────────────────┘
*発表させる。
◆板書:明治18年;ノルマントン号事件
◆事件の概要を説明する。
①1886年(明治18年)、ノルマントン号というイギリスの船が沈没した。
②横浜から神戸へ向かう途中、和歌山県沖で。
③救命ボートで助かったのはイギリス人だけ。日本人乗客23人は全員おぼれ死んだ。
┌────────────────────────────────────┐
│ 日本人を助けず、見殺しにした船長ドレイクは裁判にかけられました。 │
│ どんな判決が出たか予想してください。 │
│  A:無期懲役    B:懲役10年    C:無罪 │
└────────────────────────────────────┘
*発表させる。
◆無罪が正解です。「私は早くこのボートに乗れと言ったのに、日本人は英語がわからず、ボートに乗ろうとしなかったのだ」という言い訳を、裁判長が認めたためでした。
┌────────────────────────────────────┐
│ この裁判長に明治の日本国民はたいへん怒り、抗議しました。 │
│ みなさん、ご先祖様になったつもりで話してみてください。 │
└────────────────────────────────────┘
*発言させる。
┌────────────────────────────────────┐
│ その抗議が認められて、もう一度ドレイクは裁判にかけられ、3ヶ月の禁固刑、│
│ ただし、賠償金はなしとなりました。それにしても、23人を見殺しにした罪 │
│ としてはあまりにも軽すぎました。 │
│  どうしてこんな軽い刑罰ですんだのでしょう? │
└────────────────────────────────────┘
*発言させる。
◆板書:不平等条約①外人が日本で犯した犯罪は、日本の裁判所が裁けない。

◆このほかにも、
・少女が暴行されて無罪(東京)、
・衝突で船が沈められて74人が死んで、相手が悪いのに損害賠償1万ポンドを払わせられた(瀬戸内海)。
・外人に杖でなぐられて殺されても無罪(新潟)
などが起き、新聞報道で国民の多くが疑問と怒りを持つようになった。
政府も条約改正にいっそう取り組むようになった。

2 井上馨の欧化政策

◆絵「鹿鳴館のダンスパーティ」を見せる。
鹿鳴館

┌────────────────────────────────────┐
│ これは東京の鹿鳴館という建物で行われていたパーティの絵です。 │
│  井上馨が進めた「日本西洋化政策」で、条約改正を進めようと言うのです。 │
└────────────────────────────────────┘
◆板書:「鹿鳴館」・・・日本のリーダーが西洋人のように行動して仲よくなれば、
条約改正ができるだろう

◆この際策を進めた井上馨は次のような案で、条約改正を進め、各国も認めようとしました。①日本がつくる法律は外国に見せて承認を受ける
②日本の裁判所の裁判官の半分以上を外国人にし、英語で裁判する。
┌─────────────────────────┐
│ みなさんはこの案に賛成ですか、反対ですか? │
└─────────────────────────┘
*発言させ、理由を言わせる。
◆国民の反対にあい、条約改正は失敗する。これでは不平等条約よりももっと悪い。日本が外国にのっとられてしまったみたいだというわけです。

3 陸奥宗光の偉大な一歩

◆この条約改正をやりとげたのが、陸奥宗光です。写真を貼る。
陸奥宗光


◆プリント「陸奥宗光」を配り、読む。
*********************************

不平等条約の改正に成功した陸奥宗光

陸奥宗光は田辺藩(たなべはん)(和歌山県)の武士の家に生まれました。ペリーが来たときは十才の少年でした。十五才で家を出て、二十才で勝海舟の海軍繰練所(かいぐんそうれんじょ)に入り、海軍や西洋の法律を学びました。このとき、坂本龍馬と出会い、龍馬の海援隊(かいえんたい)(貿易会社)にも参加しました。陸奥宗光は一人で読書にふけることが多く、仲間とわいわいやるタイプではありませんでしたが、坂本龍馬だけは陸奥をたいへんかわいがり、
「海援隊にはすぐれた人物がたくさんいるが、自分の考えをしっかり持ち、独立してやっていけるのは、私と陸奥宗光だけだろう」と言っていました。
 龍馬が暗殺されたとき、陸奥は、日本を西洋と対等につき合える近代国家にするために、坂本さんのバトンを受けつごうと心にちかいました。
 陸奥宗光は、国会ができて新しい内閣の外務大臣(がいむだいじん)になり、不平等条約の改正に向けて努力をかさねました。それが、明治日本の最大の目標だったからです。
陸奥宗光はイギリスとの交渉(こうしょう)に目標をしぼり、ねばりづよく交渉していきました。イギリスは当時世界一の大国でしたから、イギリスが改正すれば、他の西洋列強(せいようれっきょう)も改正するはずだと考えたからです。
 また、陸奥の工夫は「条約はすぐに改正するが、完全に実施(じっし)するのは五年後にする」という交渉をして、相手を説得したことでした。
 陸奥宗光は国会で次のように演説しました。
「わが国はこれまで、開国して西洋から学び、発展してきました。貿易額(ぼうえきがく)は五倍になり、日本中に電線と鉄道がひかれ、海には大きな蒸気船(じょうきせん)がうかんでいます。軍隊も西洋にひけをとらないほどになりました。とくに、憲法と国会をつくり、重要な問題をこのように国民の代表が話し合ってすすめる国は、西洋以外では日本しかありません。この日本を、西洋の国々もおどろいて見ています。
 さて、国民の中には『外国人の国内の行動を制限して、日本人とふれあわないようにすべきだ』という意見がありますが、これはまちがいです。西洋人も日本の国内で自由に行動できるようにしてこそ、不平等条約の改正が前進するのです。」
 こうして、西洋人が日本のどこでも安全に自由に行動できるようにしたことによって、陸奥宗光はイギリスとの条約改正に成功しました。明治二十七年(一八九四年)のことです。他の西洋諸国もこれにならいました。
 陸奥宗光は、これからの外交で大事なのは、まず自国に誇(ほこ)りを持つこと、相手を恐れず勇気を持つこと、そして強い国の仲間入りをすることだと言っています。
*******************************

◆明治27年(1894年) 不平等条約の一部改正(治外法権の廃止)
*外国人の裁判も日本の裁判所ができるようになった。
◆しかし、完全に対等にはならなかった。
◆板書:次は、日本の関税を西洋が決めるという貿易の不平等をなくすことが目標だ!


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改訂版14「藩閥政府と自由民権運動」

★自由民権運動は人権派で善、藩閥政府は反動的で悪、という教え方がふつうです。これは、日本国憲法を善とするために、大日本帝国憲法を悪い憲法と教えなければならないからです。しかし真実はちがいます。目標は同じ、対立は急ぐかゆっくりかの違いに過ぎませんでした。人権派と藩閥政府の国家間はまったく同じだったといっていいと思います。
日本共和国がいいという主張はありませんでした。子供には真実を教えましょう。


1 自由民権運動

◆プリント「自由民権運動」を読む
****************************
 自由民権運動(じゆうみんけんうんどう)

 西南戦争が終わったとき、明治日本の偉大な三人のリーダーが、三人とも死んでしまいました。
 大久保利通(おおくぼとしみち)(薩摩(さつま))、西郷隆盛(さいごうたかもり)(薩摩)、木戸孝允(きどたかよし)(長州)の三人です。
 その後を引き受けたのが、伊藤博文(いとうひろふみ)(長州)です。

 伊藤は大久保利通の意志をひきついで「富国強兵(ふこくきょうへい)」の政治を進めました。明治日本の大目標をなしとげるには、これ以外に進むべき道はありませんでした。西郷さんなきあと、この方針に反対する人はもう一人もいませんでした。

 しかし、ここに新しい意見が出てきました。板垣退助(いたがきたいすけ)(土佐藩(とさはん))や大隈重信(おおくましげのぶ)(佐賀藩(さがはん))たちが、政府に提案した意見です。彼らはこう言いました。
「明治政府のリーダーが、いつまでも長州藩と薩摩藩の出身者だけ(藩閥政府(はんばつせいふ))なのはおかしい。西洋と同じように、国民の選挙(せんきょ)によってリーダーを選ぶべきである。」

この意見を広めていった運動を、自由民権運動(じゆうみんけんうんどう)といいます。それは、今の日本と同じような「民主主義(みんしゅしゅぎ)」の考え方の第一歩でした。
リーダーを選挙で選ぶようにするためには、次のことが必要でした。

①憲法(国の形や政治の進め方を決めた法律・・・国の基本になる法律)
②議会(国会・・・選挙で選ばれた議員が話し合って、法律や税金の使い方を決める)

┌────────────────────────────────┐
│■明治政府のトップだった伊藤博文は、この意見に賛成だったでしょう│
│ か? 反対だったでしょうか? │
│    A 賛成     B 反対 │
└────────────────────────────────┘
********************************

【板書】
 タイトル「自由民権運動・・・民主主義の第一歩」
・国のリーダーは選挙で選べ→憲法と国会(議会)をつくる
 写真①「板垣退助」写真②「大隈重信」写真③「伊藤博文」

『AかBを選びなさい』

・人数分布を板書し、理由を言わせる。
◆伊藤博文はもちろん賛成でした。五箇条のご誓文に「広く会議を起こし万機公論に決すべし」とあるとおりです。
◆国家目標である不平等条約改正にとっても、「憲法と議会」は日本が平等条約を結ぶための条件とされていた。これは既習事項なので生かせるといい。
◆大久保利通は「政体に関する建白書」で、君主専制、共和制、君民共治の三つがあるが、日本の伝統には君民共治(立憲君主制)が最もふさわしいと書いている。

2 藩閥政府と自由民権派の対立点

『政府も自由民権派と同じで、憲法と議会をつくりたいのなら、何が対立点だったのでしょうか?』
◆マークしながら、プリント「自由民権派の意見と政府側の意見」を読ませる。
*******************************
┌───────────────────────────────────┐
A 【「自由民権運動」側の意見】 板垣退助・大隈重信
│  急いでやるべきだ。このままでは薩摩と長州出身の一部の者の独裁政治(どくさいせいじ)が│
│ 続き国民の元気がおとろえてしまうだろう。四民平等(しみんびょうどう)ではなくなってしまう│
│ からだ。不公平なリーダーの決め方は、ぜったいによくない。 │
│  だから、国会(こっかい)を開いて、国民が選挙(せんきょ)で代表を選び、その代表が話し合いに │
│ よって政治を進めるべきなのである。 │
│  また、西洋列強(せいようれっきょう)は不平等条約(ふびょうどうじょうやく)の第一の理由に「憲法(けんぽう)がなく国    会もない」│
│ ことをあげている。日本を、西洋と対等(たいとう)な国にするためにも、一日も早く│
│ やるべきである。 │
└──────────────────────────────────────────────┐
B 【政府側の意見】 伊藤博文

│  国のリーダーを選挙で選ぶべきだという考えは、政府も賛成だ。 │
│ しかし、今すぐそれをやるのは、たいへん危険(きけん)である。急ぐべきなのは、│
│ 富国強兵の政治であり、のんびり話し合って政治を進めるよゆうは、今の │
│ わが国にはないのである。 │
│  また、国民はこれまで何百年も、武士の政治にだまって従(したが)ってきたので、│
│ 政治がやるべき事がよくわかっていない。もしまちがったリーダーが選ばれた│
│ ら、日本の独立(どくりつ)もあぶなくなる。国民の教育を進めて、国民が国や政治につい│
│ て理解できるようになってから、選挙を行うべきなのである。 │
└───────────────────────────────────┘
『対立点は、今すぐやるか、時間をかけてやるか、だったことがわかりました。 あなたが当時の国民だったら、どちらの意見に賛成しますか。
 AかBを選び、その理由をノートに書きなさい』

◆人数分布をとり、話し合わせる。


3 国会開設を約束する

『こうした議論の結果、政府は9年後に議会政治を始める約束をしました』
◆明治天皇の写真を貼る
板書:明治天皇の約束・・・明治14年(1881)
    「9年後の、明治23年に選挙を行い、国会を開きます」

◆プリント「国会開設の勅諭」を読む。
******************************
国会開設の勅諭

 私は平安時代からゆるんでいた天皇の力をふるいおこし、国を一つにまとめると共に、立憲政治を進めようと考えてきました。
 3年前に府県会(地方議会のこと)を開いて選挙を始めたのも、立憲政治の基礎をつくろうとしたからです。
 しかし、国の政治の仕組みをつくる仕事はそうかんたんにできるものではありません。
 今から9年間、政府も民間もしっかりと準備を進めるようにしなさい。
 そして、9年後には、憲法を作り、選挙を行い、国会を開くなど、これまで目標としてきたことを必ず実現することを約束します。
************************************

『自由民権派はどうしたでしょうか?』

A:いますぐやれと、さらに反対運動を進めた。
B:約束に賛成し、それにしたがった。

◆大隈も板垣もっこの約束を喜んだ。自分たちも憲法案を作ったり、政党を結成したり、その日までに準備することがあったからだ。
◆自由民権派全体としてはBだったが、一部の過激派は暴力的な事件を起こした。(秩父事件など)
◆これは板垣退助『自由党史』から。
「自由民権運動の人々も、まるで雷にでも打たれたように言葉を失い、10年後には理想が実現することを喜んだ。そして、政党を作り、選挙のための準備を始めた」

4 政党ができた

板書:板垣退助「自由党」、大隈重信「立憲改進党」
   伊藤博文・・・・明治15年、憲法の勉強をするためにドイツに行った。

『官軍と幕府軍の目標が同じだったように、藩閥政府と自由民権運動の目標も一つでした。彼らは戦いながらも、しっかり協力して日本の次のステップを目指したのです。明治の日本人はっこのように明治天皇の下、しっかり団結していたことをわすれてはなりません。こうして政府と国民は、アジア初の立憲政治の実現に向けて準備を進めていきました』


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感想文(小6)「坂本龍馬と大政奉還」

*これは「まほろば2代目」の感想文集です。なつかしい。ほぼクラス全員分だと思う。

■★薩長同盟で幕府をたおそうとしていたけど、勝海舟が最初にいっていた★「国内で戦いあっているようじゃ、日本は・・・~植民地にされる」を、坂本龍馬は目標として、進めていたことがわかった。イギリスが薩摩藩たちをおうえんするのは前回の授業でわかったけど、●なぜフランスが幕府と協力したいのかを知りたい。(角田幸子)

■坂本龍馬は、★戦争をしないで幕府を終わらせようとしたところに、感動しました。昔は泣き虫だったのに、すごい人になるなんてすごいと思いました。坂本龍馬を殺した人は、本当に許せないと思いました。★国内で争っている場合ではないというのが良いと思いました。(斎藤琴乃)

■私は、ふつうは西洋とつき合えばやられるといっていたのに対して、●西洋とつき合わなければやられるといった勝海舟の言葉がすごいと思いました。★でも「常に国内で戦争をすると弱くなる」ということをもとにして、龍馬は戦いを止めたのですごいと思います。とにかく●15代目の将軍だったよしのぶがものわかりのいい人でよかったと思います。
(石原桃子)

■りょうまや、勝海舟は、●本当に日本のことを思っているんだなあって思った。さいごうたかもりや、桂こごろうとかは、藩のことを一番に考えていたと思うから、だから、りょうまは、本当に強い力があるんだなあって思った。★●あと、幕府は、政治の中心をちょうていにもどすことをよくすんなりOKしたなあって思った。(山中裕子)

■★龍馬は薩長同盟を成功させ、★大政奉還を成功させた。●徳川慶喜はえらいと思った。とても国のことを考えたんだ。(秋本航)

■もし坂本龍馬がいなかったら、★きっとイギリスかフランスにとられたろうし、★日本どうしで争ってたら、つぶれたかもしれません。龍馬がいたから、こういうことにはなりませんでした。(竹迫和貴)

■坂本龍馬は、★薩摩と長州をつないで、幕府をつぶそうとするなんてやばいと思いました。★薩長にはイギリスで、幕府にはフランスがついて、戦争をおこしたら、日本がまっ二つになるかと心配になりました。でも、★戦争をしないで、幕府を終わらせる方法があるなんてすごいと思った。1867年に大政奉還で江戸幕府が終わってよかったです。
(加藤聡)

■坂本龍馬は最初は剣の達人で●人殺しをしていたけど、勝海舟の話を聞いたおかげで、見事、★薩摩と長州を同盟させた。しかし、薩長VS幕府の戦争が始まりそうになったが、それも、龍馬が解決した。★その解決法がすばらしかった。「武士から天皇にリーダーを変える」ものだった。こうすれば、幕府は倒幕してしまう。坂本龍馬は本当に頭がよいと思った。まさに龍馬は、日本を助けた大救命士だと思った。(松戸利樹)

■私は、今日の授業がある前から、坂本龍馬のことは少しだけ知っていました。でも今日の授業で、龍馬が勝海舟の弟子になったことや、★龍馬が薩摩と長州が同盟をむすぶことにかかわったことが、わかりました。★龍馬が幕府の政治をするけんりを朝廷に返す時に、龍馬が考えたあんでもどってしまうなんてすごいなと思った。(竹前真莉菜)

■坂本りょうまは、写真を見て、ものすごくかっこいい人物だなあと思いました。でも「18才までねしょんべんをしていた」ときいて、びっくりしました。でも、★長州とさつまを仲よくさせたことは、すごいことだなと思いました。★それに戦そうをしないで幕府をたおせたこともすごいと思いました。(守屋美咲)

■龍馬はある意味、★かげで幕府を倒すことに協力し、そして、新政府ができるころには、暗殺者によって殺されてしまった。龍馬は名前からしてこわそうだし、剣もすごかったのに、なぜ暗殺されてしまったのだろうと思った。★薩長同盟は幕末の日本でかなり大きな意味があると思う。(深澤美葉)

■坂本龍馬は、★仲の悪い長州藩と薩摩藩を結ばせたのである。そして、幕府対薩長との戦争が起こりそうになってしまった。イギリスは薩長に、フランスは幕府におうえんした。けど、★このまま戦争になったら、また戦国時代にもどってしまうので、政けんを天皇に返した。それで幕府はなくなり、新しい政治がすすめられる。(佐藤遼太郎)

■坂本龍馬は下級武士なのに、★さつまと長州のつなげ役や★大政奉還など、とても下級武士のやることとは思えないことをしている。●まさに下克上の世の中みたいに、実力のある人が上に行き、日本を支えていく世の中だと思う。坂本龍馬もその一人だと思う。しかし、それにしても、あの龍馬が18才ぐらいまでだらしなくて泣き虫だったとは思わなかった。(浦弘毅)

■今日はまた日本が一つ変わったと思う。★それは何百年続いた幕府の政治が終わったからだ。これをやったのが坂本龍馬だ。この人は18才ぐらいまでねしょんべんをしていたぐらいなのに、日本を動かすなんてすごい人だなと思った。でも龍馬は一ヶ月後に暗殺されてしまい、次の政治の中に龍馬の名前はなかった。●もし生きていたら、政治を龍馬はやることができたのか?(小野寺大樹)

■ぼくは前回の感想文で、★長州と薩摩の仲をよくする人が必要だと書いた。まさに今日その人が出てきてくれて本当によかった。坂本龍馬という人物がこのようなことを行っていた事は知らなかった。坂本が考えた、★戦わずにすむ方法を考えたのはよかった。●自分は戦争をしてほしかったけど・・・。夜もねないで色々な事を考えている人がたくさんいる事がわかった。(根本駿)

■坂本龍馬はすごいと思う。★薩摩と長州をむすんだし、★戦争はやらなくてすんだ。もし、坂本龍馬がいないと、日本はなくなっていたと思う。でも、●フランスもイギリスも、日本のことがきにかかっているのかなと思う。(斎田明也)

■私は坂本龍馬はすごいと思いました。だって、てじなみたいな方法で、★幕府と薩長の戦争をしそうになったところを、あっさりと止めてしまったからです。●でも、幕府が終わってしまって、おうえんしようとしていたフランスはどう思ったのかなと思いました。
(神林沙織)

■今日は待ちに待った坂本の勉強をした。あまり発言することができなかったが、いつもよりスラスラ勉強をすることができた。また、坂本の計画もすごいと思った。★戦争をしないで解決するなんて。●けっきょく幕府が終わってしまって、なんとなく気がぬけた気がする。(高岡あずさ)

■龍馬が説得して★薩長同盟を結んで、薩長と幕府が戦争しそうになった時に、薩長はイギリス、幕府はフランスを味方につけたと知って、●両方とも負けないように強い国を味方につけたなあと思いました。あと、★戦争をせず幕府を終わらせる方法を考えた龍馬はすごいなあと思いました。(福田千紘)

■龍馬が勝海舟のことを変なやつだったらころそうとしていたのに、勝海舟の話を聞いたら、ころすのをやめただけでなく。弟子になってしまった。勝海舟はそれだけすごい人なのかなあと思った。★龍馬は薩長同盟を結ばせ、★幕府から朝廷に実権を移させた。明治時代が楽しみだ。(渡辺祥太郎)

■今日は僕の好きな坂本龍馬だった。ぼくは家で伝きなどもよんでよくわかった。そしてあらためて、すごさを知った。★長州と薩摩に同めいを組ませた。★幕府に政治をやるけんりをちょうていにゆずらせた。(福永龍)

■坂本龍馬は29才の時いろいろといわれて龍馬はすごく感動した。そしてこんどは、★長州と薩摩を仲よくした。これが薩長同盟で、こんどはばく府をたおそうとしたが、りょうほうに西洋が入るといううわさで、★龍馬は徳川よしのぶにばく府を終わらせろということで、江戸時代は終わった。(平田悟)

■ぼくは、きょうこのべんきょうをやって、坂本龍馬は勝海舟と出会って、★長州と薩摩のたいけつを一つにまとめたら、2つの藩が幕府をたおそうとして、イギリスが2つの藩のなかまになって、フランスが幕府のなかまになって、★龍馬が幕府と戦争をさせないようにどうにかして幕府をたおさせないでたおせるかというので、●いまのリーダーのぶしを天皇にさせてふせぐなんてすごいとおもいました。龍馬はすごいとおもいました。
(北里博之)

■坂本は、★長州と薩摩が仲直りさせるように努力していた。私は、どちらかが言うまで、どちらがいわずで、仲直りさせるのはとても難しかった事だと思う。それなのに、よく上手にまとめたと思う。長州藩と薩摩藩が一つになったことだったので、すごく強くなったけど、●幕府にフランスがついていたため戦争ができなかった。とても残念だった。坂本が殺されたのにはおどろいた。剣のうでもよく説とく力もあるのに、どうして殺されたのかと思っていた。めいじ時代では、坂本のような人にかつやくしてもらいたいなと思いました。(佐伯未央)

■坂本龍馬は、★長州とさつまのけんかをやめさせたのがすごいなと思った。明治をみるめの前に死んでしまった坂本龍馬がすこしかわいそうに思えた。もし、下手人が見つかったら、ぼくはかんぷなきまでに、下手人をたたきのめすと思う。坂本龍馬はいだいな人物だと思った。(川村航也)

■坂本龍馬は、★長州藩と薩摩藩を手をくませた。そして、薩摩藩が幕府をうらぎり幕府をたおした。が、坂本龍馬は殺されてしまった。自分ががんばったことをさいごまでみとどけられなくて、かわいそうだと思った。(大野雅子)

■私は今日の授業で、プリントをもらって、どこがでんりゅうがながれるくらい心にきた文は・・・。の所で、●「国が一つにまとめって気力を出せば、やられやしないよ」の所が、私は心にきました。ほかにも、★「日本どうしでたたかっている(けんかをしている)場合ではない」のところも心にきました。(利根川弥生)

■坂本龍馬は、薩摩と長州の仲をふかめるために会わせたが、二人とも手をつなごうとしないで(くまないかと言う話をしない!)ので、坂本龍馬が★「まだそんなちっぽけな藩の体面や意地にこだわっちょるがか-・・・」とどなっただけなのに、仲よくなってしまって、それから幕府をたおすとこまでいくのはすごいと思った。(瀬田ひとみ)

■★長州藩と薩摩藩をむすぶために坂本龍馬がうごいたことを知りました。どちらの藩からも同盟をくもうといわないけれど、●どうしていわなかったのかがしりたいです。
(大澤拓人)

■今回は、坂本龍馬について勉強した。今回は、一番心にのこっている事は、★薩長同盟についてです。薩摩は長州と薩摩をつなげる事をしていていました。あくしゅをすることになっていたけど、ずっとあくしゅをしませんでした。そのとき龍馬が「この同盟は、長州のためでも薩摩のためでもない、日本のためじゃ!!」といった。本当にこれに感動した。自分のことじゃなく、日本が大切だといっているようだった。(増見幸恵)

■今日は坂本龍馬のことをやった。★薩摩と長州を仲直りさせてしまうなんてよほどいだいな人物だったのだなと思いました。どうしてこんなすごい人なのに暗殺されてしまうなんてと思いました。(岩野詩織)

■今日の授業もやはりわかりにくかった。勝海舟の弟子になって、その後が気になった。★長州藩と薩摩藩がいっしょになって、イギリスが手をかしてくれるのはわかるけど、●なんで幕府にフランスがついたのかな-と思った。●最後の大政奉還の意味もよくわからなかった。(阿久根敦)

■今日の授業で一つ疑問ができました。●長州と薩摩にイギリスがつく理由はわかったけど、幕府にフランスがついたことがあまりよくわからなかったです。(斎藤有輝)

■最後のクイズで「幕府をおわらせるにはどうするでしょうか?」の問題で、私は発言しなかったけど、●私はおどしたのではないかと思った。このあいだの授業でやったときに、だれかがおどして、お金を幕府にはらわせたときみたいに、やったのではないかと思った。(野場麻未)

■坂本龍馬はすごい。小さいころはねしょんべんをしたりしていたのに、あんな考えるのはすごいと思った。坂本龍馬がいなければ今の日本はなかったのかなと思った。坂本龍馬をあんさつした人は、坂本龍馬にうらみがある人だと思う。(大北弥生)

■今日は東大の人たちがきたけどあんまりきんちょうしなかった。坂本りょうまは、せっとくの力もあるんだな-と思った。りょうまは、なきむしで弱かったけど、努力したからすごい人になった。努力は大切だと思った。(池田裕一)

■●どうして幕府はフランス、長州藩と薩摩藩はイギリスについたのか。龍馬は何さいで死んだのだろうか。(山崎裕喜)

■龍馬は、すごくかんじんな所でみんなをまとめた。龍馬は自分のことよりも、国のためにつくしていた。こんな人がいるから日本がまとまるわけで、龍馬みたいな人がいなければ、薩摩と長州はまっぷたつに分かれていたかもしれない。幕府と薩長が対立していたとき、西洋(フランス・イギリス)も応援についていた。もしそこで、戦争が始まっていたら、日本は大きく二つにわかれてしまっていただろう。戦国時代のように・・・。そのころの日本は国内の戦争に夢中で、西洋がせめてきても対応できなかったんじゃないかと思った。(高橋美里)


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授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫

Author:授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫
戦後70年間日本の教育は根無し草の「世界市民」を育ててきました。そのため小中学校の歴史教育はウソとタブーによって大事な内容が教えられていません。また誤って教えられています。
「授業づくりJAPAN」は、日本の教育のウソとタブーを排し、真実とフェアネスを取り戻していきます。
かつてGHQに禁じられた教育は現在も禁じられたままです。私たちは「日本人を育てる教育」を取り戻します。そのために、命ある限り授業づくりとその普及につとめます。私たちは「誇りある日本人」こそが「真の国際人」になれると信じています。

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