改訂版16「陸奥宗光と領事裁判権の撤廃」


★領事裁判権(治外法権)の撤廃をめざした苦闘の歩みを学ぶ。陸奥宗光がその第一歩を達成した。陸奥の偉大さは教えるが、しかし、それはたんに一外交官の手柄ではなく、名に日本の官民一体の団結と努力が成し遂げたことであることを教えよう。ようやく、明治の目標{列強と対等につきあえる国}の半分が達成できた。後の半分は、戦争の実力を見せなければ達成できなかった。明治日本が置かれた過酷な運命を思いたい。

1 ノルマントン号事件

◆ビゴーの絵「ノルマントン号事件」を見せる
t02200147_0653043610769961073.jpg
┌───────────────────────────────┐
│ この絵を見て、疑問に思ったことをノートに書きなさい │
└───────────────────────────────┘
*発表させる。
◆板書:明治18年;ノルマントン号事件
◆事件の概要を説明する。
①1886年(明治18年)、ノルマントン号というイギリスの船が沈没した。
②横浜から神戸へ向かう途中、和歌山県沖で。
③救命ボートで助かったのはイギリス人だけ。日本人乗客23人は全員おぼれ死んだ。
┌────────────────────────────────────┐
│ 日本人を助けず、見殺しにした船長ドレイクは裁判にかけられました。 │
│ どんな判決が出たか予想してください。 │
│  A:無期懲役    B:懲役10年    C:無罪 │
└────────────────────────────────────┘
*発表させる。
◆無罪が正解です。「私は早くこのボートに乗れと言ったのに、日本人は英語がわからず、ボートに乗ろうとしなかったのだ」という言い訳を、裁判長が認めたためでした。
┌────────────────────────────────────┐
│ この裁判長に明治の日本国民はたいへん怒り、抗議しました。 │
│ みなさん、ご先祖様になったつもりで話してみてください。 │
└────────────────────────────────────┘
*発言させる。
┌────────────────────────────────────┐
│ その抗議が認められて、もう一度ドレイクは裁判にかけられ、3ヶ月の禁固刑、│
│ ただし、賠償金はなしとなりました。それにしても、23人を見殺しにした罪 │
│ としてはあまりにも軽すぎました。 │
│  どうしてこんな軽い刑罰ですんだのでしょう? │
└────────────────────────────────────┘
*発言させる。
◆板書:不平等条約①外人が日本で犯した犯罪は、日本の裁判所が裁けない。

◆このほかにも、
・少女が暴行されて無罪(東京)、
・衝突で船が沈められて74人が死んで、相手が悪いのに損害賠償1万ポンドを払わせられた(瀬戸内海)。
・外人に杖でなぐられて殺されても無罪(新潟)
などが起き、新聞報道で国民の多くが疑問と怒りを持つようになった。
政府も条約改正にいっそう取り組むようになった。

2 井上馨の欧化政策

◆絵「鹿鳴館のダンスパーティ」を見せる。
鹿鳴館

┌────────────────────────────────────┐
│ これは東京の鹿鳴館という建物で行われていたパーティの絵です。 │
│  井上馨が進めた「日本西洋化政策」で、条約改正を進めようと言うのです。 │
└────────────────────────────────────┘
◆板書:「鹿鳴館」・・・日本のリーダーが西洋人のように行動して仲よくなれば、
条約改正ができるだろう

◆この際策を進めた井上馨は次のような案で、条約改正を進め、各国も認めようとしました。①日本がつくる法律は外国に見せて承認を受ける
②日本の裁判所の裁判官の半分以上を外国人にし、英語で裁判する。
┌─────────────────────────┐
│ みなさんはこの案に賛成ですか、反対ですか? │
└─────────────────────────┘
*発言させ、理由を言わせる。
◆国民の反対にあい、条約改正は失敗する。これでは不平等条約よりももっと悪い。日本が外国にのっとられてしまったみたいだというわけです。

3 陸奥宗光の偉大な一歩

◆この条約改正をやりとげたのが、陸奥宗光です。写真を貼る。
陸奥宗光


◆プリント「陸奥宗光」を配り、読む。
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不平等条約の改正に成功した陸奥宗光

陸奥宗光は田辺藩(たなべはん)(和歌山県)の武士の家に生まれました。ペリーが来たときは十才の少年でした。十五才で家を出て、二十才で勝海舟の海軍繰練所(かいぐんそうれんじょ)に入り、海軍や西洋の法律を学びました。このとき、坂本龍馬と出会い、龍馬の海援隊(かいえんたい)(貿易会社)にも参加しました。陸奥宗光は一人で読書にふけることが多く、仲間とわいわいやるタイプではありませんでしたが、坂本龍馬だけは陸奥をたいへんかわいがり、
「海援隊にはすぐれた人物がたくさんいるが、自分の考えをしっかり持ち、独立してやっていけるのは、私と陸奥宗光だけだろう」と言っていました。
 龍馬が暗殺されたとき、陸奥は、日本を西洋と対等につき合える近代国家にするために、坂本さんのバトンを受けつごうと心にちかいました。
 陸奥宗光は、国会ができて新しい内閣の外務大臣(がいむだいじん)になり、不平等条約の改正に向けて努力をかさねました。それが、明治日本の最大の目標だったからです。
陸奥宗光はイギリスとの交渉(こうしょう)に目標をしぼり、ねばりづよく交渉していきました。イギリスは当時世界一の大国でしたから、イギリスが改正すれば、他の西洋列強(せいようれっきょう)も改正するはずだと考えたからです。
 また、陸奥の工夫は「条約はすぐに改正するが、完全に実施(じっし)するのは五年後にする」という交渉をして、相手を説得したことでした。
 陸奥宗光は国会で次のように演説しました。
「わが国はこれまで、開国して西洋から学び、発展してきました。貿易額(ぼうえきがく)は五倍になり、日本中に電線と鉄道がひかれ、海には大きな蒸気船(じょうきせん)がうかんでいます。軍隊も西洋にひけをとらないほどになりました。とくに、憲法と国会をつくり、重要な問題をこのように国民の代表が話し合ってすすめる国は、西洋以外では日本しかありません。この日本を、西洋の国々もおどろいて見ています。
 さて、国民の中には『外国人の国内の行動を制限して、日本人とふれあわないようにすべきだ』という意見がありますが、これはまちがいです。西洋人も日本の国内で自由に行動できるようにしてこそ、不平等条約の改正が前進するのです。」
 こうして、西洋人が日本のどこでも安全に自由に行動できるようにしたことによって、陸奥宗光はイギリスとの条約改正に成功しました。明治二十七年(一八九四年)のことです。他の西洋諸国もこれにならいました。
 陸奥宗光は、これからの外交で大事なのは、まず自国に誇(ほこ)りを持つこと、相手を恐れず勇気を持つこと、そして強い国の仲間入りをすることだと言っています。
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◆明治27年(1894年) 不平等条約の一部改正(治外法権の廃止)
*外国人の裁判も日本の裁判所ができるようになった。
◆しかし、完全に対等にはならなかった。
◆板書:次は、日本の関税を西洋が決めるという貿易の不平等をなくすことが目標だ!


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改訂版14「藩閥政府と自由民権運動」

★自由民権運動は人権派で善、藩閥政府は反動的で悪、という教え方がふつうです。これは、日本国憲法を善とするために、大日本帝国憲法を悪い憲法と教えなければならないからです。しかし真実はちがいます。目標は同じ、対立は急ぐかゆっくりかの違いに過ぎませんでした。人権派と藩閥政府の国家間はまったく同じだったといっていいと思います。
日本共和国がいいという主張はありませんでした。子供には真実を教えましょう。


1 自由民権運動

◆プリント「自由民権運動」を読む
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 自由民権運動(じゆうみんけんうんどう)

 西南戦争が終わったとき、明治日本の偉大な三人のリーダーが、三人とも死んでしまいました。
 大久保利通(おおくぼとしみち)(薩摩(さつま))、西郷隆盛(さいごうたかもり)(薩摩)、木戸孝允(きどたかよし)(長州)の三人です。
 その後を引き受けたのが、伊藤博文(いとうひろふみ)(長州)です。

 伊藤は大久保利通の意志をひきついで「富国強兵(ふこくきょうへい)」の政治を進めました。明治日本の大目標をなしとげるには、これ以外に進むべき道はありませんでした。西郷さんなきあと、この方針に反対する人はもう一人もいませんでした。

 しかし、ここに新しい意見が出てきました。板垣退助(いたがきたいすけ)(土佐藩(とさはん))や大隈重信(おおくましげのぶ)(佐賀藩(さがはん))たちが、政府に提案した意見です。彼らはこう言いました。
「明治政府のリーダーが、いつまでも長州藩と薩摩藩の出身者だけ(藩閥政府(はんばつせいふ))なのはおかしい。西洋と同じように、国民の選挙(せんきょ)によってリーダーを選ぶべきである。」

この意見を広めていった運動を、自由民権運動(じゆうみんけんうんどう)といいます。それは、今の日本と同じような「民主主義(みんしゅしゅぎ)」の考え方の第一歩でした。
リーダーを選挙で選ぶようにするためには、次のことが必要でした。

①憲法(国の形や政治の進め方を決めた法律・・・国の基本になる法律)
②議会(国会・・・選挙で選ばれた議員が話し合って、法律や税金の使い方を決める)

┌────────────────────────────────┐
│■明治政府のトップだった伊藤博文は、この意見に賛成だったでしょう│
│ か? 反対だったでしょうか? │
│    A 賛成     B 反対 │
└────────────────────────────────┘
********************************

【板書】
 タイトル「自由民権運動・・・民主主義の第一歩」
・国のリーダーは選挙で選べ→憲法と国会(議会)をつくる
 写真①「板垣退助」写真②「大隈重信」写真③「伊藤博文」

『AかBを選びなさい』

・人数分布を板書し、理由を言わせる。
◆伊藤博文はもちろん賛成でした。五箇条のご誓文に「広く会議を起こし万機公論に決すべし」とあるとおりです。
◆国家目標である不平等条約改正にとっても、「憲法と議会」は日本が平等条約を結ぶための条件とされていた。これは既習事項なので生かせるといい。
◆大久保利通は「政体に関する建白書」で、君主専制、共和制、君民共治の三つがあるが、日本の伝統には君民共治(立憲君主制)が最もふさわしいと書いている。

2 藩閥政府と自由民権派の対立点

『政府も自由民権派と同じで、憲法と議会をつくりたいのなら、何が対立点だったのでしょうか?』
◆マークしながら、プリント「自由民権派の意見と政府側の意見」を読ませる。
*******************************
┌───────────────────────────────────┐
A 【「自由民権運動」側の意見】 板垣退助・大隈重信
│  急いでやるべきだ。このままでは薩摩と長州出身の一部の者の独裁政治(どくさいせいじ)が│
│ 続き国民の元気がおとろえてしまうだろう。四民平等(しみんびょうどう)ではなくなってしまう│
│ からだ。不公平なリーダーの決め方は、ぜったいによくない。 │
│  だから、国会(こっかい)を開いて、国民が選挙(せんきょ)で代表を選び、その代表が話し合いに │
│ よって政治を進めるべきなのである。 │
│  また、西洋列強(せいようれっきょう)は不平等条約(ふびょうどうじょうやく)の第一の理由に「憲法(けんぽう)がなく国    会もない」│
│ ことをあげている。日本を、西洋と対等(たいとう)な国にするためにも、一日も早く│
│ やるべきである。 │
└──────────────────────────────────────────────┐
B 【政府側の意見】 伊藤博文

│  国のリーダーを選挙で選ぶべきだという考えは、政府も賛成だ。 │
│ しかし、今すぐそれをやるのは、たいへん危険(きけん)である。急ぐべきなのは、│
│ 富国強兵の政治であり、のんびり話し合って政治を進めるよゆうは、今の │
│ わが国にはないのである。 │
│  また、国民はこれまで何百年も、武士の政治にだまって従(したが)ってきたので、│
│ 政治がやるべき事がよくわかっていない。もしまちがったリーダーが選ばれた│
│ ら、日本の独立(どくりつ)もあぶなくなる。国民の教育を進めて、国民が国や政治につい│
│ て理解できるようになってから、選挙を行うべきなのである。 │
└───────────────────────────────────┘
『対立点は、今すぐやるか、時間をかけてやるか、だったことがわかりました。 あなたが当時の国民だったら、どちらの意見に賛成しますか。
 AかBを選び、その理由をノートに書きなさい』

◆人数分布をとり、話し合わせる。


3 国会開設を約束する

『こうした議論の結果、政府は9年後に議会政治を始める約束をしました』
◆明治天皇の写真を貼る
板書:明治天皇の約束・・・明治14年(1881)
    「9年後の、明治23年に選挙を行い、国会を開きます」

◆プリント「国会開設の勅諭」を読む。
******************************
国会開設の勅諭

 私は平安時代からゆるんでいた天皇の力をふるいおこし、国を一つにまとめると共に、立憲政治を進めようと考えてきました。
 3年前に府県会(地方議会のこと)を開いて選挙を始めたのも、立憲政治の基礎をつくろうとしたからです。
 しかし、国の政治の仕組みをつくる仕事はそうかんたんにできるものではありません。
 今から9年間、政府も民間もしっかりと準備を進めるようにしなさい。
 そして、9年後には、憲法を作り、選挙を行い、国会を開くなど、これまで目標としてきたことを必ず実現することを約束します。
************************************

『自由民権派はどうしたでしょうか?』

A:いますぐやれと、さらに反対運動を進めた。
B:約束に賛成し、それにしたがった。

◆大隈も板垣もっこの約束を喜んだ。自分たちも憲法案を作ったり、政党を結成したり、その日までに準備することがあったからだ。
◆自由民権派全体としてはBだったが、一部の過激派は暴力的な事件を起こした。(秩父事件など)
◆これは板垣退助『自由党史』から。
「自由民権運動の人々も、まるで雷にでも打たれたように言葉を失い、10年後には理想が実現することを喜んだ。そして、政党を作り、選挙のための準備を始めた」

4 政党ができた

板書:板垣退助「自由党」、大隈重信「立憲改進党」
   伊藤博文・・・・明治15年、憲法の勉強をするためにドイツに行った。

『官軍と幕府軍の目標が同じだったように、藩閥政府と自由民権運動の目標も一つでした。彼らは戦いながらも、しっかり協力して日本の次のステップを目指したのです。明治の日本人はっこのように明治天皇の下、しっかり団結していたことをわすれてはなりません。こうして政府と国民は、アジア初の立憲政治の実現に向けて準備を進めていきました』


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感想文(小6)「坂本龍馬と大政奉還」

*これは「まほろば2代目」の感想文集です。なつかしい。ほぼクラス全員分だと思う。

■★薩長同盟で幕府をたおそうとしていたけど、勝海舟が最初にいっていた★「国内で戦いあっているようじゃ、日本は・・・~植民地にされる」を、坂本龍馬は目標として、進めていたことがわかった。イギリスが薩摩藩たちをおうえんするのは前回の授業でわかったけど、●なぜフランスが幕府と協力したいのかを知りたい。(角田幸子)

■坂本龍馬は、★戦争をしないで幕府を終わらせようとしたところに、感動しました。昔は泣き虫だったのに、すごい人になるなんてすごいと思いました。坂本龍馬を殺した人は、本当に許せないと思いました。★国内で争っている場合ではないというのが良いと思いました。(斎藤琴乃)

■私は、ふつうは西洋とつき合えばやられるといっていたのに対して、●西洋とつき合わなければやられるといった勝海舟の言葉がすごいと思いました。★でも「常に国内で戦争をすると弱くなる」ということをもとにして、龍馬は戦いを止めたのですごいと思います。とにかく●15代目の将軍だったよしのぶがものわかりのいい人でよかったと思います。
(石原桃子)

■りょうまや、勝海舟は、●本当に日本のことを思っているんだなあって思った。さいごうたかもりや、桂こごろうとかは、藩のことを一番に考えていたと思うから、だから、りょうまは、本当に強い力があるんだなあって思った。★●あと、幕府は、政治の中心をちょうていにもどすことをよくすんなりOKしたなあって思った。(山中裕子)

■★龍馬は薩長同盟を成功させ、★大政奉還を成功させた。●徳川慶喜はえらいと思った。とても国のことを考えたんだ。(秋本航)

■もし坂本龍馬がいなかったら、★きっとイギリスかフランスにとられたろうし、★日本どうしで争ってたら、つぶれたかもしれません。龍馬がいたから、こういうことにはなりませんでした。(竹迫和貴)

■坂本龍馬は、★薩摩と長州をつないで、幕府をつぶそうとするなんてやばいと思いました。★薩長にはイギリスで、幕府にはフランスがついて、戦争をおこしたら、日本がまっ二つになるかと心配になりました。でも、★戦争をしないで、幕府を終わらせる方法があるなんてすごいと思った。1867年に大政奉還で江戸幕府が終わってよかったです。
(加藤聡)

■坂本龍馬は最初は剣の達人で●人殺しをしていたけど、勝海舟の話を聞いたおかげで、見事、★薩摩と長州を同盟させた。しかし、薩長VS幕府の戦争が始まりそうになったが、それも、龍馬が解決した。★その解決法がすばらしかった。「武士から天皇にリーダーを変える」ものだった。こうすれば、幕府は倒幕してしまう。坂本龍馬は本当に頭がよいと思った。まさに龍馬は、日本を助けた大救命士だと思った。(松戸利樹)

■私は、今日の授業がある前から、坂本龍馬のことは少しだけ知っていました。でも今日の授業で、龍馬が勝海舟の弟子になったことや、★龍馬が薩摩と長州が同盟をむすぶことにかかわったことが、わかりました。★龍馬が幕府の政治をするけんりを朝廷に返す時に、龍馬が考えたあんでもどってしまうなんてすごいなと思った。(竹前真莉菜)

■坂本りょうまは、写真を見て、ものすごくかっこいい人物だなあと思いました。でも「18才までねしょんべんをしていた」ときいて、びっくりしました。でも、★長州とさつまを仲よくさせたことは、すごいことだなと思いました。★それに戦そうをしないで幕府をたおせたこともすごいと思いました。(守屋美咲)

■龍馬はある意味、★かげで幕府を倒すことに協力し、そして、新政府ができるころには、暗殺者によって殺されてしまった。龍馬は名前からしてこわそうだし、剣もすごかったのに、なぜ暗殺されてしまったのだろうと思った。★薩長同盟は幕末の日本でかなり大きな意味があると思う。(深澤美葉)

■坂本龍馬は、★仲の悪い長州藩と薩摩藩を結ばせたのである。そして、幕府対薩長との戦争が起こりそうになってしまった。イギリスは薩長に、フランスは幕府におうえんした。けど、★このまま戦争になったら、また戦国時代にもどってしまうので、政けんを天皇に返した。それで幕府はなくなり、新しい政治がすすめられる。(佐藤遼太郎)

■坂本龍馬は下級武士なのに、★さつまと長州のつなげ役や★大政奉還など、とても下級武士のやることとは思えないことをしている。●まさに下克上の世の中みたいに、実力のある人が上に行き、日本を支えていく世の中だと思う。坂本龍馬もその一人だと思う。しかし、それにしても、あの龍馬が18才ぐらいまでだらしなくて泣き虫だったとは思わなかった。(浦弘毅)

■今日はまた日本が一つ変わったと思う。★それは何百年続いた幕府の政治が終わったからだ。これをやったのが坂本龍馬だ。この人は18才ぐらいまでねしょんべんをしていたぐらいなのに、日本を動かすなんてすごい人だなと思った。でも龍馬は一ヶ月後に暗殺されてしまい、次の政治の中に龍馬の名前はなかった。●もし生きていたら、政治を龍馬はやることができたのか?(小野寺大樹)

■ぼくは前回の感想文で、★長州と薩摩の仲をよくする人が必要だと書いた。まさに今日その人が出てきてくれて本当によかった。坂本龍馬という人物がこのようなことを行っていた事は知らなかった。坂本が考えた、★戦わずにすむ方法を考えたのはよかった。●自分は戦争をしてほしかったけど・・・。夜もねないで色々な事を考えている人がたくさんいる事がわかった。(根本駿)

■坂本龍馬はすごいと思う。★薩摩と長州をむすんだし、★戦争はやらなくてすんだ。もし、坂本龍馬がいないと、日本はなくなっていたと思う。でも、●フランスもイギリスも、日本のことがきにかかっているのかなと思う。(斎田明也)

■私は坂本龍馬はすごいと思いました。だって、てじなみたいな方法で、★幕府と薩長の戦争をしそうになったところを、あっさりと止めてしまったからです。●でも、幕府が終わってしまって、おうえんしようとしていたフランスはどう思ったのかなと思いました。
(神林沙織)

■今日は待ちに待った坂本の勉強をした。あまり発言することができなかったが、いつもよりスラスラ勉強をすることができた。また、坂本の計画もすごいと思った。★戦争をしないで解決するなんて。●けっきょく幕府が終わってしまって、なんとなく気がぬけた気がする。(高岡あずさ)

■龍馬が説得して★薩長同盟を結んで、薩長と幕府が戦争しそうになった時に、薩長はイギリス、幕府はフランスを味方につけたと知って、●両方とも負けないように強い国を味方につけたなあと思いました。あと、★戦争をせず幕府を終わらせる方法を考えた龍馬はすごいなあと思いました。(福田千紘)

■龍馬が勝海舟のことを変なやつだったらころそうとしていたのに、勝海舟の話を聞いたら、ころすのをやめただけでなく。弟子になってしまった。勝海舟はそれだけすごい人なのかなあと思った。★龍馬は薩長同盟を結ばせ、★幕府から朝廷に実権を移させた。明治時代が楽しみだ。(渡辺祥太郎)

■今日は僕の好きな坂本龍馬だった。ぼくは家で伝きなどもよんでよくわかった。そしてあらためて、すごさを知った。★長州と薩摩に同めいを組ませた。★幕府に政治をやるけんりをちょうていにゆずらせた。(福永龍)

■坂本龍馬は29才の時いろいろといわれて龍馬はすごく感動した。そしてこんどは、★長州と薩摩を仲よくした。これが薩長同盟で、こんどはばく府をたおそうとしたが、りょうほうに西洋が入るといううわさで、★龍馬は徳川よしのぶにばく府を終わらせろということで、江戸時代は終わった。(平田悟)

■ぼくは、きょうこのべんきょうをやって、坂本龍馬は勝海舟と出会って、★長州と薩摩のたいけつを一つにまとめたら、2つの藩が幕府をたおそうとして、イギリスが2つの藩のなかまになって、フランスが幕府のなかまになって、★龍馬が幕府と戦争をさせないようにどうにかして幕府をたおさせないでたおせるかというので、●いまのリーダーのぶしを天皇にさせてふせぐなんてすごいとおもいました。龍馬はすごいとおもいました。
(北里博之)

■坂本は、★長州と薩摩が仲直りさせるように努力していた。私は、どちらかが言うまで、どちらがいわずで、仲直りさせるのはとても難しかった事だと思う。それなのに、よく上手にまとめたと思う。長州藩と薩摩藩が一つになったことだったので、すごく強くなったけど、●幕府にフランスがついていたため戦争ができなかった。とても残念だった。坂本が殺されたのにはおどろいた。剣のうでもよく説とく力もあるのに、どうして殺されたのかと思っていた。めいじ時代では、坂本のような人にかつやくしてもらいたいなと思いました。(佐伯未央)

■坂本龍馬は、★長州とさつまのけんかをやめさせたのがすごいなと思った。明治をみるめの前に死んでしまった坂本龍馬がすこしかわいそうに思えた。もし、下手人が見つかったら、ぼくはかんぷなきまでに、下手人をたたきのめすと思う。坂本龍馬はいだいな人物だと思った。(川村航也)

■坂本龍馬は、★長州藩と薩摩藩を手をくませた。そして、薩摩藩が幕府をうらぎり幕府をたおした。が、坂本龍馬は殺されてしまった。自分ががんばったことをさいごまでみとどけられなくて、かわいそうだと思った。(大野雅子)

■私は今日の授業で、プリントをもらって、どこがでんりゅうがながれるくらい心にきた文は・・・。の所で、●「国が一つにまとめって気力を出せば、やられやしないよ」の所が、私は心にきました。ほかにも、★「日本どうしでたたかっている(けんかをしている)場合ではない」のところも心にきました。(利根川弥生)

■坂本龍馬は、薩摩と長州の仲をふかめるために会わせたが、二人とも手をつなごうとしないで(くまないかと言う話をしない!)ので、坂本龍馬が★「まだそんなちっぽけな藩の体面や意地にこだわっちょるがか-・・・」とどなっただけなのに、仲よくなってしまって、それから幕府をたおすとこまでいくのはすごいと思った。(瀬田ひとみ)

■★長州藩と薩摩藩をむすぶために坂本龍馬がうごいたことを知りました。どちらの藩からも同盟をくもうといわないけれど、●どうしていわなかったのかがしりたいです。
(大澤拓人)

■今回は、坂本龍馬について勉強した。今回は、一番心にのこっている事は、★薩長同盟についてです。薩摩は長州と薩摩をつなげる事をしていていました。あくしゅをすることになっていたけど、ずっとあくしゅをしませんでした。そのとき龍馬が「この同盟は、長州のためでも薩摩のためでもない、日本のためじゃ!!」といった。本当にこれに感動した。自分のことじゃなく、日本が大切だといっているようだった。(増見幸恵)

■今日は坂本龍馬のことをやった。★薩摩と長州を仲直りさせてしまうなんてよほどいだいな人物だったのだなと思いました。どうしてこんなすごい人なのに暗殺されてしまうなんてと思いました。(岩野詩織)

■今日の授業もやはりわかりにくかった。勝海舟の弟子になって、その後が気になった。★長州藩と薩摩藩がいっしょになって、イギリスが手をかしてくれるのはわかるけど、●なんで幕府にフランスがついたのかな-と思った。●最後の大政奉還の意味もよくわからなかった。(阿久根敦)

■今日の授業で一つ疑問ができました。●長州と薩摩にイギリスがつく理由はわかったけど、幕府にフランスがついたことがあまりよくわからなかったです。(斎藤有輝)

■最後のクイズで「幕府をおわらせるにはどうするでしょうか?」の問題で、私は発言しなかったけど、●私はおどしたのではないかと思った。このあいだの授業でやったときに、だれかがおどして、お金を幕府にはらわせたときみたいに、やったのではないかと思った。(野場麻未)

■坂本龍馬はすごい。小さいころはねしょんべんをしたりしていたのに、あんな考えるのはすごいと思った。坂本龍馬がいなければ今の日本はなかったのかなと思った。坂本龍馬をあんさつした人は、坂本龍馬にうらみがある人だと思う。(大北弥生)

■今日は東大の人たちがきたけどあんまりきんちょうしなかった。坂本りょうまは、せっとくの力もあるんだな-と思った。りょうまは、なきむしで弱かったけど、努力したからすごい人になった。努力は大切だと思った。(池田裕一)

■●どうして幕府はフランス、長州藩と薩摩藩はイギリスについたのか。龍馬は何さいで死んだのだろうか。(山崎裕喜)

■龍馬は、すごくかんじんな所でみんなをまとめた。龍馬は自分のことよりも、国のためにつくしていた。こんな人がいるから日本がまとまるわけで、龍馬みたいな人がいなければ、薩摩と長州はまっぷたつに分かれていたかもしれない。幕府と薩長が対立していたとき、西洋(フランス・イギリス)も応援についていた。もしそこで、戦争が始まっていたら、日本は大きく二つにわかれてしまっていただろう。戦国時代のように・・・。そのころの日本は国内の戦争に夢中で、西洋がせめてきても対応できなかったんじゃないかと思った。(高橋美里)


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朝日新聞のこと

帰国して朝日新聞が慰安婦報道についての訂正記事(というか言い逃れ記事)を載せたことを知った。
藤岡信勝氏の産経新聞コメントによれば、次の3点だ。

1 慰安婦を強制連行したという吉田清治証言をウソだったと認め、関連記事を取り消した。

2 女性を戦時勤労動員した女子挺身隊と慰安婦を同一視した記事の誤りを認めた。

3 軍が組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていないと認めた。

これで慰安婦とは「戦地にも遊郭があった」というだけの話になった。

それなのに「帝国陸軍によって女性の尊厳と名誉が傷つけられた」という「本質」は変わらないと言っている。
売春婦を連れない軍隊が何をしたか?
満州やドイツに侵攻したソ連軍、ノルマンディーに上陸したアメリカ軍を見ればよい。
暴行・強姦の山である。

戦時にも平時にも慰安婦はいた。
いまも世界中にいる(その多くが韓国人だという)。
いまも世界中で「女性の人権と名誉は傷つけられている」。
なぜ朝日は昭和10年代の日本の軍についてだけそれを言うのだろうか?

どなたか朝日新聞のウソをすべて、洗いざらい暴いてほしい。

この訂正記事もウソだともう。
朝日新聞自体が日本をおとしめる話題なら何でもよかった確信犯だったのである。
南京事件の報道も裏付け取材なし、伝聞(創作?)の垂れ流しは、まったく同じだ。
ウソを書いて、正義と人権を振りかざし日本と日本人を断罪し続ける。
今回とまったく同じだ。
それですべてが合理的に説明できるだろう。

これがもし新聞だというなら、こんな全体主義的な新聞はつぶすべきだ。
支那や北朝鮮や韓国の新聞と変わらない。


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続「幕末から明治の日本」をこう学んだ

■新しい歴史教科書を作る会の『新しい歴史教科書』(自由社)で授業をしています。その内容を発信していますのでどうぞ読んでください。

続「幕末から明治の日本」をこう学んだ

*続編も中学2年生の女子のノートからです。彼女のノートは1年生から数えて3冊目で、授業3から始まっています。

3 ペリー来航と開国
・黒船というのは見た目もすごく強そうでこわいと思いました。白旗を持ってきて「降伏させる」というのは少しむかつきますが、日本は平和主義なので、爆弾を落とされたら困るので、阿部正弘の選択は間違っていません。しかし、やはりくやしいと思いいました。

4 不平等条約とその後
・私は攘夷派を選びます。この条約は日本がとても不利で、植民地にはされたくないからです。
・日米修好通商条約はとても日本に不利すぎます。不平等条約にもほどがあると思います。しっかり戦って、どうにかして植民地にはならないようにしてほしいです。

5 尊皇攘夷運動1「吉田松陰と松下村塾」
・日本全体のためにつくす志がある吉田松陰をとてもかっこいいと思いました。あこがれました。吉田松陰は、とても強い心で野山獄を学校みたいにかえてしまいすごいと思いました。また松下村塾では、無料で勉強を教えて、これから国を作りかえていく志士たちをたくさん育てました。死刑になったのはとても悔しいです。

6 尊皇攘夷運動2「高杉晋作と国作りの大方針」
・日本を西洋列強と対等につきあえる国(独立国)にするという高杉の目標がすごいと思いました。日本を植民地なんかにされてたまるかという強い心が伝わってきました。

7 生麦事件と薩英戦争
・「薩摩藩はどうすべきか?」私の考えは「賠償金は払うが犯人は渡さない」です。犯人も悪いところはあるが相手のイギリス人もそのまま行列に乗り込んで来たので、相手も悪いです。犯人は殿様を守るためにやむをえずやったことなのでしかたがないと思います。それに両方受け入れてしまったら、日本は何でも言うkとをきくと思わせてしまって、植民地にされてしまうかもしれないからです。
・大久保利通の勇敢な心に感動しました。両方とも断り、日本の法律を守れとうったえ、西洋列強の中でも一番超大国のイギリスと戦ったことはとてもすごいと思いました。

8 坂本龍馬と江戸幕府の滅亡
・坂本龍馬にとても感動しました。日本のために、幕府に大政奉還をすすめ幕府を終わらせました。それは、国内戦争なしで幕府を終わらせて、天皇中心の国を作るというものすごいアイデアでした。とてもよかったと思います。「この同盟は長州のためでも、薩摩のためでもない。日本のためじゃ!」という言葉はとてもすごいと思いました。

9 戊辰戦争と明治維新
・日本のためによりよい方針を考えてくださった西郷隆盛さんと勝海舟さんにとても感激しました。外国(イギリス・フランス)の援助をことわり、、日本が植民地にされないように、天皇中心の国という目標をかかげ、戦争を止めてくれました。おかげで江戸は火の海にならずたくさんの命も助かりました。

10 中央集権国家への道
・私は廃藩置県には反対です。確かに新しい国作りの目標は大切ですが、日本を強くしたいのならば武士は絶対必要だと思います。今まで国のために一生懸命つくしてきた武士がいっきにクビになるのは、ひどすぎると思います。
・みんな国民になり、四民平等になりました。みんな平等はとても平和的でいい案だと思いましたが、私的には武士のリストラは今でもなっとくいきません。

11 三大義務の改革
・結果的に中央集権国家になり、天皇中心の政治が進められるようになってよかったです。学制発布で義務教育が始まり、子供はみんな勉強ができるようにしてくれたのはいいことだと思います。これがなければ、今私たちは勉強できないでいるからです。がんばって勉強したいと思います。

12 国境の画定
・私は、1875年に千島樺太交換条約を結んでいるのに今ロシアが北方領土を占領しているのはおかしいと思いました。琉球の漁民が殺害されて、台湾もひどいです。日本人のようなユーモアがなさすぎると思いました。日本も確かに殺人事件がないわけではありませんが、でもひどいと思います。清と平等条約を結べたのは良いと思います。その結果、朝鮮は清の属国なので日本と対等条約を結べませんでした。

13 岩倉使節団と征韓論
・西郷隆盛の意見もわかるけど、大久保利通の意見の方が現状に合っていると思う。外国はいつ日本にせめこんでくるのかわからない。

15 自由民権運動
・私は政府の考え(伊藤博文)に賛成です。いずれは民撰議院にするべきだと思いますが、まだ日本は強くありません。それでもし間違ったリーダーがたくさん選ばれてしまったら、また昔にもどってしまうかもしれません。そうすると、いまよりもっと大変になってしまうので、時間をかけてやったほうが安全だと思います。
・9年後に国会を開くと約束して、きちんとその約束を守った政府がとてもすごいと思いました。自由民権運動側も賛成しましたが、伊藤博文が言ったように、時間をかけてやったほうがいいと思いました。結果的に内閣制度もでき、急いで適当に選ばなかったので、伊藤博文が日本にいて良かったと思いました。

16  大日本帝国憲法と帝国議会
・「法律と予算」私はまだ議会にすべてを決めさせるわけにはいかないと思います。
・私の考えとは逆で、伊藤はすごく進歩的な憲法をつくりました。衆議院議員選挙で本当の意味で四民平等になったと思います。リーダーがきちんと国民の中から選ばれるようになったのはとても良いと思います。天皇中心の国に一歩前進できたと思います。

17 条約改正の歩み
・陸奥宗光や小村寿太郎が治外法権の撤廃と関税自主権の回復をしてくれたので、不平等条約平等条約になり、「西洋列強と対等につきあえる国」という目標が達成されました。ノルマントン号事件はひどすぎます。イギリス人は全員助かり、日本人乗客は260人亡くなってしまうのは不平等すぎます。でもその不平等条約が改正されたので、今のすばらしい日本ができたんだと思いました。

18 日清戦争
・私は日清戦争に反対です。確かに朝鮮を清から独立させることは必要ですが、ロシアや清は大国すぎて相手にならないと思います。国民の命の方が大切です。

19 日英同盟
・日本は清と戦い勝利して遼東半島を手に入れたのに、それを関係ないロシア・フランス・ドイツが清に返せと行ってくるのはおかしいです。確かにことわれば戦争になってしまいますが・・・でもがんばって日本のために戦った人々にしつれいだと思います。 
・私は日英同盟に賛成です。ロシアと同盟を結べば、戦争はさけられますが、(遼東半島を取られた)清のようになってしまう可能性もあります。イギリスと同盟を結び、日本をロシアから完全に守るために戦争に勝つべきだと思います。

20 日露戦争
・日露戦争で勝利したことはとてもすごいことだと思います!!
これによって西洋列強に入れたことは、日本がアジアの中で唯一強い国だと認められたことです。
これで日本も安心です!

21 韓国併合
・日本の植民地になったのに、こんなに援助しているのは日本はすばらしい国です。奴隷などは絶対につくらず、アジアの国々を支えているのに、他の国が日本を悪者あつかいしてくるのはおかしすぎます。

22 世界列強の一つになった日本
・孫文が日本に学んで、日本人もたくさん援助して、中国を良い国にしようとしたのに、それを袁世凱がめちゃくちゃにしてくれたのはひどすぎます。


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プロフィール

授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫

Author:授業づくりJAPANさいたま代表:齋藤武夫
戦後70年間日本の教育は根無し草の「世界市民」を育ててきました。そのため小中学校の歴史教育はウソとタブーによって大事な内容が教えられていません。また誤って教えられています。
「授業づくりJAPAN」は、日本の教育のウソとタブーを排し、真実とフェアネスを取り戻していきます。
かつてGHQに禁じられた教育は現在も禁じられたままです。私たちは「日本人を育てる教育」を取り戻します。そのために、命ある限り授業づくりとその普及につとめます。私たちは「誇りある日本人」こそが「真の国際人」になれると信じています。

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